栃木の里山で4人家族が6年かけて作り上げた「農的暮らし×複数収入」の全記録
この記事は、2020年から栃木県の里山でSNS発信を続けてきた「きびと月の畑」が、はじめて有料でまとめた「等身大の暮らしと仕事の全記録」です。「お金の不安なく、自分らしく生きることはできるのか」という問いへの、生い立ちから正直な答えを書きました。結論から言うと、できる。ただし、やり方がある。そのやり方を、僕たちの失敗も含めて、すべて書きます。日々のお金のことを記載しているので、価格は高めに設定しております。
今、私たちは、栃木県の里山の町に、築250年の古民家に住んでいる。
太い梁が通り、土間があり、囲炉裏の跡がある。屋根は茅葺きの上に金属板が張られていた。庭は草に覆われ、ポストには何年分かの郵便物が詰まっていた。10年以上、誰も住んでいなかった家だ。


「絶対に住めないだろう」と思った。
でも、地元の大工さんに見てもらったら一言こう言われた。
「大丈夫、補修できるよ」
その言葉を信じて、借りることにした。現状渡し。直すのは自分たちだ。
今、その家に家族4人で暮らしている。
ホテルマンの目が笑っていなかった、あの日のこと
4歳だった。
大阪ミナミにある有名ホテルのレストランで、祖父が得意げに言った。「この子はもう4歳や。どや、可愛いでっしゃろ?」
担当のホテルマンが笑顔で返す。「ほんま、はじめ君は賢そうなお顔してますわ」。
ホテルマンの目の奥は、一切笑っていなかった。
僕は子どもながらに、それがわかった。そしてなぜか、恥ずかしかった。居心地が悪かった。
あのホテルマンは悪い人ではない。仕事として丁寧に振る舞っているだけだ。でも幼い僕には、「お金がある人のところに人は集まるが、それは本当の意味で大切にされているわけではない」という事実が、言葉にならないまま刻まれた。
それから30年が経つ。
庭の畑では在来種の野菜を育てている。薪ストーブの前で、子どもたちがゴロ寝しながら絵本を読んでいる。妻は隣の部屋で、来週のフリースクールの準備をしている。



SNSのフォロワーは8万人(2026年時点)になった。
「どうやって生活しているんですか?」
「本当にお金は回るんですか?」
「子どもがかわいそうじゃないですか?」
何回もそんなことを聞かれてきた。
これまで、全部にSNSで正直に答えてきたつもりだ。でも伝えきれないことが、山ほどある。この記事は、その「全部」を書いたものだ。
この記事で書いていること
古民家を手に入れて、快適に住むまでの話を、かなり丁寧に書いた。
物件サイトに出ない空き家の見つけ方。地元の大工さんとの出会い方。「ハーフビルド」という改修の考え方。プロに任せるべき工程と、自分でできる工程の仕分け方。補修費用の実態と、補助金制度の使い方・断熱工事。シロアリとの向き合い方。
移住する前から、こういう情報が一冊にまとまったものが欲しかった。でも見つからなかった。だからこそ、自分の経験を全部ここに書いた。
お金の話も、正直に全部書いた。
「里山に移住すれば経済的に楽になる」は半分正しく、半分間違いだ。その「やり方」を、失敗の話も含めて書いた。
SNSのフォロワーが伸びた理由。クラウドファンディングで100万円を集めた設計思想。黒歴史。炎上したときに学んだ情報リテラシー。
読んでほしい人
里山や田舎への移住を考えているが、お金のことが不安な人
古民家に住みたいが、何から始めればいいかわからない人
自分らしい働き方と暮らし方を両立させたいが、具体的なモデルが見えない人
SNSで発信しているが、収益につながらない人
「豊かさ」という言葉の意味を、もう一度考え直したい人
僕たちが6年かけて経験してきたことを、できるだけ正直に書いたものだ。そこから何を持ち帰るかは、読む人それぞれに委ねている。
目次
第一章 僕の幼少期 :バブルの余韻と、「成功」への違和感
第二章 中高時代:存在を無視された6年間と、居場所の見つけ方
第三章 20代:アートと働き方と、身体が変わった話
第四章 30代:里山との出会いと、なぜ栃木の山の中を選んだのか
第五章 古民家暮らし: 空き家の見つけ方から改修まで
第六章 「結」という仕組み:在来大豆と麦を地域で育てる
第七章 妻の話:フリースクールを立ち上げるまで
第八章 収入の設計:里山で暮らすお金の話
最終章 「本当に大切なものはどこにあるか」という問い
第一章
僕の幼少期:バブルの余韻と、「成功」への違和感
商店街が「毎日がお祭り」だった時代
1990年前後の大阪の下町。
祖父が一代で築いた商店街の婦人服店は、バブル景気の余韻の中にあった。商店街は毎日、大勢の人で溢れ、高級ブランドの時計やバッグが当たり前のように並んでいた。祖父母の家のクローゼットには毛皮のコートがずらりと並んでいて、子どもの僕はその値段を聞くのが楽しかった。
初孫だった僕はとにかく甘やかされた。毎週日曜日には地元の小料理屋に連れて行ってもらい、誕生日には部屋いっぱいのおもちゃをもらった。家族みんなで祝ってくれたあの光景は、今でもはっきりと覚えている。
でも同時に、あの「目の笑っていないホテルマン」の記憶も、同じくらいはっきりと残っている。
お金で買えるものと、お金では買えないものの違いを、僕は4歳で直感していた。言葉にできなかったが、感覚は確かにあった。
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