15年目の足跡、iPod touchと「水なき棚」を忘れないために
こんにちは!たったのあーもんの「きあい」です。
今日、2026年3月11日で、あの東日本大震災から15年が経ちました。 普段は「お腹の特急列車」の運行ダイヤに一喜一憂し、プロテイン片手に梅の写真を撮っている私ですが、今日という日だけは、少しだけ真面目に、静かにあの日の記憶をたどってみたいと思います。
会社での一夜、そして「水なき棚」を横目に歩いた4時間
2011年3月11日。私は帰宅難民となりました。
あの日、私は会社にいました。 つくばエクスプレス(TX)も常総線も、絶望的な沈黙。 翌昼、私は「歩いて帰る」という決断を下しました。
相棒は、iPod touchの地図だけ。 持病の左くるぶしは、歩き始めてすぐに「おい、本気か?」と悲鳴を上げ、両足は交互にこむら返りの大合唱。まさに足裏がストライキを起こしているような状態でした。
道中、コンビニに駆け込むと、そこには異様な光景が広がっていました。 飲料の棚から、水も茶も一滴すら残らず消えていたのです。 棚を埋め尽くしていたのは、皮肉にもアルコール類だけ。 「喉は乾いているのに、選べる選択肢がこれしかないのか……」と、日常が崩壊した歪な景色を突きつけられた気分でした。

幸い、水道は生きていました。蛇口から出る水の、なんと冷たく、なんと尊かったことか。 お酒ではなく、ただの「水」にこれほど感謝した日は、後にも先にもありません。
「がんばろう」という等身大の温度
震災直後、街中に溢れた「がんばろう日本」という言葉。 私はこの言葉に、強い共感を覚えました。
「がんばれ」と言われると、どこか他人事のように突き放された響きを感じることもあります。 でも、「がんばろう」は違いました。 「私も頑張るから、一緒にこの困難を乗り越えよう」という、等身大の連帯感。
被災地の一角で、水の消えた棚を眺めながら途方に暮れていた私にとって、あの一体感はどれほど救いになったか分かりません。
15年経って思う、「記録」という名の記憶の預金
関東に転勤してきて最初に出会ったのが、あの大震災でした。 その後も2015年の鬼怒川決壊による大水害など、私たちは何度も過酷な自然災害に直面してきました。
そんな経験を経て思うのは、最後は「自分自身の意識」が自分を守る、ということです。 法整備が進み、「特定非常災害」という枠組みができても、あの余震の中で一歩を踏み出すのは、いつだって私たち一人一人の意志なのです。
私は今、AIという新しいパートナーの手を借りながら、心の中にある「形にならない想い」を言葉にする共同作業を続けています。 人の記憶なんて脆いものです。 15年前のあのくるぶしの激痛も、水道水のありがたさも、記録がなければ「誰か他人のエピソード」のように薄れてしまいます。
記録を残すことは、未来の自分へ想いを託す「記憶の預金口座」です。 あの日を忘れないことは、あの日を生き抜いた自分を、ちゃんと愛してあげることだと思うのです。
最後に
今日という日は、犠牲になられた方々への冥福を祈るとともに、今ここに生きている奇跡に感謝する日です。
「世界中に笑顔を」というテーマで写真を撮り続けている私の活動も、あの日という「原点」があったからこそ、より切実な意味を持つようになりました。
生まれてこられて、よかった。 あの日を共に乗り越え、今日まで出会ってくれたすべての人に、心からの「ありがとう」を。
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