「頑張ってるね」と言われるたびに、少しだけ苦しくなる
「頑張ってるね」と言われるたびに、少しだけ苦しくなる
「頑張ってるね」
この言葉が苦手だ。
言ってくれる人に悪意はない。むしろ、励まそうとしてくれている。それは分かっている。
でも、この言葉を聞くたびに、少しだけ苦しくなる。
なぜなのか、ずっと分からなかった。最近、やっと言葉にできた。
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障害者雇用で工場勤務をしている。30代後半。このnoteでは、削られながら働く日々を記録している。
今回は、「頑張ってるね」という言葉について書く。
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■ 「頑張ってるね」が苦しい理由
この言葉の裏には、こういう前提がある。
「障害があるのに、頑張ってるね」
つまり、「障害がある=普通に働くのが難しい人」が「普通に働いている」から、偉い。そういう意味だ。
悪意はない。でも、この言葉を受け取るたびに、自分が「普通ではない存在」だと確認させられる感覚がある。
自分はただ出勤して、仕事をして、帰っているだけだ。健常者の同僚と同じことをしているだけだ。なのに、自分だけ「頑張ってる」と言われる。
その瞬間、「ああ、自分は特別扱いされる側なんだ」と思ってしまう。
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■ 褒め言葉なのに素直に受け取れない
これが一番きつい部分だ。
相手は善意で言っている。自分を認めてくれている。それは分かっている。
なのに、素直に「ありがとう」と言えない。
心の中では「頑張ってるんじゃなくて、必死なだけなんだけどな」と思っている。
「頑張ってる」と言われるということは、「頑張らないと普通のラインに立てない人」だと見られているということだ。健常者の同僚が同じ仕事をしても「頑張ってるね」とは言われない。
同じ仕事をしているのに、自分だけ「頑張ってる」と言われる。その違和感が、じわじわ効いてくる。
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■ 「頑張らなくていいよ」も困る
じゃあ「頑張らなくていいよ」と言われたらどうか。
これもきつい。
「頑張らなくていいよ」は、裏を返すと「あなたは頑張っても限界があるから」に聞こえることがある。
「頑張ってるね」も困る。「頑張らなくていいよ」も困る。じゃあ何と言えばいいのか。
正直、分からない。正解がない。
ただ、一番楽なのは「何も言われないこと」だ。障害のことに触れず、ただ普通に接してくれること。それが一番助かる。
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■ 「すごいね」も実は似ている
「障害があるのにすごいね」
「障害者雇用で7年も続けてるの、すごいね」
「ちゃんと働けてて、すごいね」
全部、善意だ。全部、褒め言葉だ。
でも、全部の裏に「障害がある人なのに」がくっついている。
健常者が7年同じ会社にいても「すごいね」とは言われない。自分が言われるのは、「障害がある」という前提があるからだ。
存在するだけで褒められる。出勤するだけで褒められる。それは、裏を返すと「あなたには期待していない」ということでもある。
期待されていないから、普通にやるだけで褒められる。そのことが、地味にきつい。
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■ 贅沢な悩みだと分かっている
こんなことを書くと、「褒められてるんだから喜べばいいじゃん」と思う人もいるだろう。
そうかもしれない。褒められないより、褒められる方がいい。無視されるより、声をかけてもらう方がいい。
贅沢な悩みだと分かっている。
でも、この「贅沢な悩み」を抱えている障害者雇用の人は、たぶん少なくない。
褒め言葉が刺さる。善意が重い。ありがたいのに苦しい。
この矛盾を抱えたまま、毎日出勤している。
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■ 自分なりの折り合い
今は、こう考えるようにしている。
「頑張ってるね」と言われたら、「ありがとうございます」と返す。深く考えない。相手の善意をそのまま受け取る。
その上で、心の中で1つだけ自分に言う。
「頑張ってるんじゃなくて、生きてるだけだ」
頑張っているわけじゃない。ただ、出勤して、仕事をして、帰っている。それを「頑張り」と呼ぶなら、全人類が毎日頑張っている。
自分だけが特別に頑張っているわけじゃない。そう思うと、少しだけ楽になる。
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■ 同じように感じている人へ
「頑張ってるね」と言われて、モヤモヤしたことがある人。
「ありがたいのに苦しい」と感じたことがある人。
それは、わがままでも贅沢でもない。障害者雇用で働く人間が抱える、構造的な違和感だ。
自分だけじゃないと知るだけで、少しだけ楽になる。自分はそうだった。
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この記事を読んで「分かる」と思った人は、スキを押してほしい。
善意の言葉に苦しんでいる人が、どれだけいるか知りたい。
けずり
