【気づき】親に隠れてこっそり見た深夜番組が、世界を広げてくれた。
夜11時を過ぎると、テレビのチャンネル権が自分のものになった。
リビングの電気は消えている。
両親は寝室に引き上げた。姉も寝た。
そっとリモコンを手に取り、音量を限界まで下げて深夜番組にチャンネルを合わせる。
テレビの画面だけが、暗い部屋の中でぼんやりと光っている。
「内村プロデュース」「ワンナイR&R」「はねるのトびら」「ゴッドタン」「アメトーーク!」などなど。
番組名は世代によって違うだろうが、
「親が寝た後にこっそり見ていたテレビ」という体験を持っている人は、おそらくこの世代には大量にいると思っている。
昼間のテレビとは違う空気が、画面の向こう側に流れていた。
ちょっとだけ下品で大人っぽくて、昼間の教育テレビでは絶対に放送できないような内容が、深夜23時以降のフリーダムな時間帯に解き放たれていた。
内容の半分はわからなかった。大人のネタの文脈が読めない。
でも「わからないのに面白い」という体験が、強烈に新鮮だった。
あれは、自分の世界の外側を初めて覗いた体験だったのだと思う。
学校では教わらないこと。友達との会話には絶対に出てこない話題。
深夜番組には、自分の日常から一歩はみ出した、アンダーグラウンドな世界があった。
そしてそのアンダーグラウンドは、怖い場所ではなく自由で風通しのいい場所だった。
「こういう世界もあるのか」。
その驚きと興奮が、自分の視野を、学校のフェンスの外側にまで押し広げてくれた。
30代の今、「自分の外側」を覗く機会が減っている気がする。
いや、正確に言うと「減っている」のではなくある意味で「遮断されている」のだ。
SNSのタイムラインはアルゴリズムが「好みに合うもの」「過去に反応したものとかそれに似たもの」だけをフィルタリングして表示し、。
YouTubeのおすすめ動画欄は「以前に見た動画の延長線上にあるもの」しか提案してこない。
Amazonのレコメンドは「あなたが買ったものと似た商品」をエンドレスに並べる。
自分の世界が、自分の過去データによって最適化されていく。
これは「フィルターバブル」と呼ばれる現象だ。
泡の中にいるように、自分の既存の価値観を強化する情報だけに360度囲まれて、異質な情報が入ってこなくなる。
視野が広がるのではなく、視野がどんどん深くなる。
同じ方向に掘り進むだけで、横に広がらないのだ。
ただ、深夜番組は、「選んでいないのに目に入る」コンテンツだった。
見るつもりがなかった番組を、チャンネルをザッピングしていて偶然見つけた。
リモコンを適当にカチカチ押していたら、謎の番組に行き当たった。なんとなく見る。
その「偶然の出会い」が世界を広げてくれたのだ。
今の自分に必要なのは、「深夜番組を覗き見するような行為」だと思う。
意図的に自分の専門外の本を読む。
いつも読まないジャンルのnote記事を開く。
知らない人のポッドキャストを聴く。
普段絶対に行かない街を散歩してみる。
アルゴリズムの外側に出る。「フィルターバブル」の壁を意図的に破る。
自分の「好み」の枠を越えた場所にしか、本当の意味での新しい出会いはない。
親に隠れてこっそり見た深夜番組は、ある意味で「禁じられた教育」だった。
わからないことに触れる面白さを、あの暗い部屋の中で、一人でこっそり覚えた。
30代の深夜番組は、もう親に隠す必要がない。
でも、自分から「わからないもの」に手を伸ばす勇気と好奇心は、今も相変わらず必要だ。
音量をわざわざ下げなくていい。堂々と、知らない世界を覗きに行こう。
あの夜みたちょっとHな番組を見たときのように。
