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私だってできるものなら 「絶倫のバイセクシャルに変身し 全人類と愛し合いたい」 (©枡野浩一)羽生結弦と彼を応援する、隣人に語りかけるマダムたち(それと報道されない歴史をかいま見ることについて)


https://youtu.be/4B214L6YxmA?si=jflxqGbtB7P2RKeN


3月15日、日曜日。所沢航空記念公園で開催された「武蔵野 MUSIC JAM」を観に行った。



こまっちゃクレズマ + 原マスミ
井上園子
T字路s
民謡クルセイダーズ(出演順)


「ココ池」 さんに置いてあったフライヤー見て、
わりと直前に知りフラッと観に行ったのだが…

すべての出演者が素晴らしく良かった。
また日曜の午後、ほどよい規模の、
何もかもが 「いい感じ」 のフェスだった。


T字路s の『スローバラード』、
伊東妙子さんの歌と、
梅津和時さんのサックスに心が震えた。



その前の週、3月9日には羽生結弦さんのアイスショーを、妻に誘われて仙台まで観に行った。 
(宮城・セキスイハイムスーパーアリーナ)

仙台駅からアリーナ会場のある利府町までは、
シャトルバスで小一時間かかる。その車中で、開場前の物販列で、名物のせり鍋を食べながら、そして座席が隣り合えばもちろんのこと…

羽生結弦さんを応援するマダムたち、
ぼっちで来たマダム同士が声を掛け合い、
まるで旧知の仲であるかのように語らっている

それ見て泣きそうになってる変なおっさん俺。

女性のトイレ🚺列が長蛇。とんでもなく長い !
わたしも一応、列をかき分け男子トイレへ。
🚹の先客は 3名。一秒も待たずに済んだ。

羽生さん人気がジェンダーレスとはいえ、
出現していた楽園は…男が存在しない世界。
羽生ファン同士、女性たちの友情に感動した。

そこに平和が実現していた。
(そこはわたしの夢だった❇️)


できるものなら全員の
話相手になりたかった


コミュニケーションは時に傷を負ったり、
傷つけ合ったりもするが、それでも希望だ✨

東日本大震災から15年、
「被災地から再び希望を発信」 という、
羽生のコンセプトに応える形になっていた。



羽生結弦さんを最前列で、至近距離で見た。


アイスショーの感動は上手く語る術がない。
それに 「真実は伝わらない」 が主旨でもあり。
出演者、全員プロフェッショナルだったが…


羽生結弦はやはりスーパースターであった。

しなやかで、力づよく、繊細で、美しい。
それを表現するための鍛練と節制、克己。

間近で見た者は 「言葉の無力」 を知るだろう。

天才はただでさえ捉え難い。
(が、誰でもいえて、誰かは撮れてしまう)

目撃者たちの(フィルター越しの)「表象」 が、「言葉と映像」 に変換されメディアで伝わる。


羽生にとって半年ぶりの演技であった。かつてないほど広がったように思える関節の可動域をはじめ、その半年も立ち止まることはなかったであろうことを明確に示す動作をはじめとする演技も、その表現を支えていた。

苦しみのその先へ まっすぐな 「希望」
羽生結弦 notte stellatte 2026
『AERA』2026年3月30日号より


今週の『AERA 』池袋まで行って買った
棚に無いので聞いたら下のストックに😓


テレビで何度も羽生結弦を見てきたが、
それは「編集」や「再生」で薄まった、
もしかしたら別物かもしれなくて。
(十分に凄いが)見ていたのは一部始終。

一気に飛躍して申し訳ないが…

アイススケートに羽生結弦が存在するように、
大谷翔平が野球のスーパースターであるように政治の世界でスターが現れないことが問題だ。

定年でいったん無職になり、今までと違ってじっくりモーニングショーやタイムライン(X)を眺めることができるようになった。

それで今さら気づく。多分もうとっくに、

政治の世界が、つまり日本が終わってた。
(スターがいてもメディアに乗れない)

これって政治利用とかの話じゃないでしょう?


話は戻るが、今から11年前、
わたしは大森靖子さんのライブを近くで見て、
超歌手に出会って「最前至上主義」 になった。
(大森さんファンなら全員に伝わる話だ)

それ以前だと『イチロー物語』を著した、毎日新聞の名物記者だった佐藤健さんが身振り手振りを交えて熱心に語る(まだオリックス時代の)イチロー選手のエピソードを聞き、メディアは 「天才の凄さ」を伝え切れないと悟った。

といってその後もライブは、まあ見やすいあたり、前の方ならラッキー程度の感覚で、近ければ近いほど良い! とまでは思っていなかった。

今ではガツガツ 「最前」 に突き進む人が(それは客観的にはみっともないのだが)正しい派。

今回は抽選で 「1列目」 が当たったが、実は最前ではなかった。「P列」(プレミアム)が最前だ。4万円。倍の値段で至福が約束される。

ドジャー・スタジアムまで(米粒大の)大谷を見に行って、果たしてそれで大谷翔平を見たことになるのか?(なるか。)

でも、目が見える人であるわたしは、
近ければ近いほど良い。本物を見たい。
見えなくなったら見えないものを見たい。


しかし、この「明日の午後の降水確率は60パーセントである」という「情報」は、受け手次第で、無数の「意味」を生み出します。明日運動会を控えた小学生なら、この情報は「運動会が延期になるかもしれない」ということを意味するでしょうし、傘屋なら「明日は儲かるな」、農家なら「朝の水やりは控えめにしよう」となるでしょう。あるいは災難つづきの一日を過ごした人なら、ここに何かの暗示を読み込むかもしれない。
つまり「意味」とは、「情報」が具体的な文脈に置かれたときに生まれるものなのです。

「明日の午後の降水確率は60パーセント」
という「情報」と「意味」
『目の見えない人は世界をどう見ているか』
伊藤亜紗(光文社新書)より引用


音楽はさらに聴かなくなった。
正解にいうと、音楽をかけなくなった。
面倒くさいっていうものぐさもあるが…

再生したものには終わりがある。
その繰り返しが、どこか虚しい。

現実には終わりがない。いや、
わたしの現実はいつか終わってしまうが、
それは一回こっきりのものだ。

人生は再生ではない。


今週、火曜日は Y先輩との読書会Ⓜ️🍔🍟

たった一人(か二人)の暴君のせいで、わたしらは歴史的に死んでいく可能性が出てきてしまった。歴史的に死んでいくことは歴史の繰り返しとも言えるが、それは再生ではない。

死んだわたしらは歴史の一部になるのだが、後世どのように語られ、教科書に記述されるのかを、残念なことに永遠に知ることができない。

そんな話でお互い落ち着いた…か?😂😅😓

それ以前に、ただでさえ ↓


五十代までは、そんなことは考えもしなかった。永遠に生き続けるような錯覚のなかで、仕事をし、遊び、勉強をしていた。
あらゆるものには限りがあるということは頭では分かっていても、それを実感する機会もなければ、こちらの身体もまだそれを受け入れる態勢になっていない。
まだまだ、観念の世界の中では右肩上がりの時代を生きている。右肩上がりが永遠に続くという錯覚を生きることができたのである。それでも、ある年齢になれば、誰でもが、もう右肩上がりの世界は終わっていることを、ほとんど突然に悟ることになるのである。

後ろから眺める風景 平川克美
『復路の哲学』夜間飛行より引用


60才くらいに「ほとんど突然に悟る」ことになってしまうのは、やはり資本主義のサイクル、
それまで常に(恒に)繰り返しの経済ライフを生きて、生きさせられて来たせいなのだろう。

恵まれた。けど、疎外されても、いた。

いつまでもリピーターのつもりでいたら、歴史より、クラシック音楽よりも先に死んでいく。

でもその「一回性」が、逆に救いだったり?
(先輩が舌を噛んで大出血。その後自分も噛む)


ツイッターで、有名な評論家やジャーナリストをフォローするとしましょう。彼らのつぶやき(ツイート)のうち「 これいいな!自分も、そういうことが言いたかったんだ」と思えるものを RT(リツイート)すると、それがあなたをフォローしている友人たちにも、あなた自身のつぶやき同様に流れてゆきます。
これを毎日くりかえしていくと、ほんらいはあなたの書いたものではないツイートが、「あいつ、内心ではこんなことを考えていたんだ」 というかたちで、周囲の友人にとってのあなたの内面として定着していきます。なによりあなた自身が、ほんとうはフォローしている著名人に感化されてそうなったのかもしれないのに、「俺って、もともとこう考えていたんだ。この人はさすが、いつも俺の好みにあう発言をしてくれる」 と思いこむようになるかもしれません。

エクリチュールとひき裂かれる自己:デリダとSNS社会
與那覇 潤『知性は死なない』文春文庫より引用


今のわたしはなぜ音楽や映像を「再生」して鑑賞するよりも、本を「読み」意味を知りたい欲望がまさるのか。それは再生ではないのか?

言葉について、デリダは何ていってたかなぁ。

(先週もココに登場してもらったので)
手元にあった、與那覇 潤さんの本によれば…



言語というものを自分の頭のなかでだけつかっていると、往々にしてこのように「自分」のありかたを硬直させていく副作用をもたらしますが、いっぽうで言語にはまったく逆に、自分というものの輪郭を解体していく作用もあります。
先にふれたデリダが流行させた概念に、「エクリチュール」があります。もともと「書かれたもの」という意味のフランス語で、なぜそんな平凡なことばを哲学の用語にもちいたかというと、「人間が主体的に言語をあやつるのではなく、むしろ『書かれたもの』のほうが先にあって、人間はそれを追いかけるだけの存在である」といったイメージを、わかりやすく伝えるためでした。

エクリチュールとひき裂かれる自己:デリダとSNS社会與那覇 潤『知性は死なない』文春文庫より引用


なんだリピート、言葉も再生じゃん。

そして與那覇さんは…

「デリダの存命中は、いかにも哲学者好みの極論だと思われていたのですが、いまはたとえば各種の SNS を連想してもらえば、すっと理解できるように思います」

として最初に引用した(まさに今のわたしが見事に描かれている! )描写に繋げていく。

これ、2018年4月に単行本になったもの。
今から7~8年以上前に書かれたものですよ!

わたしのバカっぷりこそが、
ジャック・デリダの概念である、
エクリチュールのサンプルだった~

言葉はやはり面白い。知性は死なない。





国会前のデモに、毎週のように出掛けている。


始まりは2~3人
開始時間を過ぎても続々と来る❇️


無職なので、音楽のライブ、フェスに行くノリでスタートの時間より1~2時間も前に着く。

最前確保。

ステージ前?には5人(議員会館前)とか、
3人(国会正門前)しか先客はいなかった。

それが最終的に、1万1千人(議員会館前)、
2万4千人(国会正門前)にもなった。

フェスとは違い、みんなお仕事を終えてから、
わざわざやって来ていることがわかる。

報道されない、再生されることのない歴史。
私だけが知っている、ライブだ。


Aiというのは人間よりも素晴らしい過去の専門家である。てことはチームみらいはチーム過去なんです。その単純な理屈さえわからないわけでしょ? (©️菅野完さん)

まだ音になっていない何か。
それが人生だ(©️大森靖子さん)

おまけ💓(どろんぱさん🙇‍♀️)


わが家のウリちゃん🐱を…


「NO WAR CAT 」化してくれた !
ちぇさん⚡ありがとう! 🐱



追伸 : 未だに退職祝いを頂戴している😢
バッグ(大好き)、ブックカバー(本好き!)、
そして図書カードを何枚も! ( KZさん✨)

本当にありがとうございました🙇‍♀️


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