徒然熊(11/19)グルジエフとウィルバー・霊的主権の回復宣言
グルジェフとウィルバー
今週のキリスト教神秘主義の授業ではトマス・キーティング司祭について学び、キーティングについてシンシア・ブージョー(Cynthia Bourgeault)という著者が書いた文献を読んだ。キーティングのことはなんとなく知っていたが、改めて読んでみると、うわあ、キリスト教の中にもこんな人達が存在していたのかと度肝を抜かれた。どうやら彼らは日本でほとんど知られていないようだが、ぜひ彼らの思想や実践を日本のキリスト教界に知ってほしい。福音派の宣教魂が呼び起こされたような気がした。
シンシアは隠れグルジエフマニアのようで、隙があればグルジエフの「三の法則」について語っており、ウィルバーやインテグラル理論についても言及されていた。自分に最も強い影響を与えた二人の思想家が同じ著作の中で語られているのは何とも言えない感動を覚えた。しかも、ちょうど今回の授業でプレゼンをする役だったので、キーティングのことは放っておいてグルジエフとウィルバーについて語り倒した。
グルジエフはアルメニアで育つ中でキリスト教の影響を受け、また彼の旅の中でも神秘主義的キリスト教の実践者達と出会ってきただろう。キリスト教に限らず様々な宗教の影響を受け、彼はそれらを超越した新たな枠組みとして「第四の道」を教えた。彼は世界中の至る所にて様々な人々に影響を与え、トランスパーソナル心理学やヒューマンポテンシャルムーブメントなどが発展する為の種を蒔いた大きな貢献者であると言っても過言ではないだろう。
そして、それらの新しいムーブメントや思想実践体系は、新たな心理的・霊的・神秘的対話が行われる為の、世界的なネットワークの土壌となった。西洋神秘主義の世界観を形作った人々のコラージュをプレゼンのためにサッと作ってみた。特に今回の授業のトピックに関わる人物を直感で選んだので、大きなバイアスがかかっているのはお許しいただきたい。

左上から、神智学のヘレナ・ブラヴァツキー、哲学者のアラン・ワッツ、精神分析学のジークムント・フロイトとカール・グスタフ・ユング、意識の構造発達を理論体系化したジャン・ゲプサー、人智学のルドルフ・シュタイナー、チベット仏教の行者のチョギャム・トゥルンパ、神秘思想家のピョートル・ウスペンスキー、仏教学者の鈴木大拙、心理学者アブラハム・マズロー、インドの聖者ラマナ・マハルシ、クリヤー・ヨーガ指導者のパラマハンサ・ヨガナンダ、インテグラル・ヨーガのオーロビンド・ゴーシュ、宗教的哲人ジッドゥ・クリシュナムルティ、ヒッピー文化の象徴ラム・ダス、臨済禅をアメリカに伝えた佐々木承周老師、ヴェーダンタを伝えたスワミ・ヴィヴェーカーナンダ。
以上、超バイアスのかかった、西洋の心理的・霊的パラダイムを形成した人物セレクションである。佐々木老師はキーティングとも交流があり、またブラウン大学の教授であり、Contemplative Studiesという単語を作った張本人でもあるハロルド・ロス教授の師匠でもあるということもあって、授業の中で紹介させていただいた。ところで、ヒッピー文化にもサイケデリクスの動向にも非常に大きな影響を与えたラム・ダスのWikipdeia日本語版が存在しないというのは驚きだ。やはり英語と日本語で、触れられる情報やトレンドな人物も全然変わってくるのだろう。他の言語にも目を向ければ、自分や自分の周りの人がが全く知らないけれども超重要人物、みたいな人もたくさん居ると思うと、世界は広い。
なぜわざわざこんなスライドをキリスト教の授業の中で紹介したかと言えば、それまでの時代のキリスト教神秘主義者は主に伝統的なキリスト教の著作を読んでいたが、現代を代表するキリスト教神秘主義者は、上述したような思想を吸収し、彼らに馴染みのある聴衆に対して発信しているという文脈を伝えたかったからである。もはや現代の最先端のキリスト教は他の学問分野や思想体系との関係なしに語ることは不可能である。こういう観点はまだ日本のキリスト教界にほとんど存在しないのではないだろうか。
これはキリスト教に限ったことではない。仏教だって西洋にやってきて相当変化を遂げてきた。その様子を把握している僧侶は日本にどれだけいるだろうか?グローバル仏教の動向を把握しながら、同時に日本に伝わる伝統の強みを理解し、その上で世界的な仏教の発展のために貢献ができる人物はどれだけいるだろうか?これからの時代の宗教家の教育には、現代の心理的・霊的な枠組みを形作ってきた、主要な思想家たちについて包括的に、かつ批判的に学ぶことが必要になってくるのではないかと思う。そうでなければシンプルに本質を探る現代人たちと話が通じなくなって宗教は価値のないものになってしまう。
話をグルジエフに戻すと、キリスト教神秘主義という文脈においては、キリスト教の文化の中から生まれ、シンシアをはじめとするキリスト教神秘主義の実践者を通して、今でも影響を与え続けているグルジエフの存在は、非常に大きなものなのではないかと思う。まあ、自分が勝手にグルジエフは世界に対して最も大きな影響を与えたアルメニア人だと思っているというバイアスに強く左右された意見ではあるのだが。
そして、このような流れ、さらに大きな他分野に渡る流れを把握して、その上で新たな対話のために必要なインテグラル理論という超包括的な枠組みと語彙を提供したケン・ウィルバーの貢献は計り知れない(と勝手に思っている)。インテグラル理論は最終地点ではないし、それ自体はただの理論でしかないが、多くの人々がこの枠組みによって意識の構造の理解の解像度が上がり、これをベースに各分野で更なる発展を成し遂げって言ったのは間違い無いだろう。未来の教育では少なからず誰もがインテグラル理論、もしくはそれをベースにした新しい何かに触れるようになるのでは無いかと思っている。AQALの全体像はいつでも出せるようにパソコンにもスマホにも保存してある。(壁紙にしようとも思ったが両界曼荼羅は譲れない。)

今回の授業はこの表を見せながらディスカッションで無双できたので楽しいったら仕方がない。いつもはキリスト教徒たちにうまく説明できなくて少々不機嫌な仏教の実践者たちも、水を得た魚のようにこれまで溜まりに溜まっていた思いを語ることができたようだ。何よりもこんなに楽しい授業は人生で初めてだった。自分が本当に心から興味を持っていることに関して、好きなだけ語り尽くし、しかもそれがただの独りよがりの語りではなくて、授業の流れとクラスメイトたちの興味と完璧に合致するもので、心ゆくままに討論し、自分の世界観も大きく広がった。これまでの探究が報われ、本当に価値ある知的貢献ができたと実感させられた。もうこんな授業は二度と無いだろうが、今のところ全てを出し尽くしたと思えたので十分に満足である。学びて時に之を習ふ。亦説ばしからずや。
霊的主権の回復宣言
自分が育った教会の影響について考える中で、「リバイバル」という言葉に対しての違和感が浮き彫りになってきた。小さい頃からずっと世界や日本で「リバイバル」が起こるように祈らされてきた。一体リバイバルとは何なのか、多くの人が深く考えずにこの言葉を使っていたと思うが、考えれば考えるほど、日本のリバイバルを祈るというのはおかしいのである。
キリスト教用語としてのリバイバル(英: revival)は、敬虔な信仰者の急速な増加を伴う信仰運動を指す。国民のほとんどがキリスト教徒と言われてはいるが、全員が信仰を持っているとはいえなかった18世紀のアメリカにおいて、信仰的熱心さと教会成長を伴う信仰運動が勃発・拡散した歴史的事象は、「信仰復興」の意でリバイバルと呼ばれてきた。
つまり、アメリカにおいて一応キリスト教徒という人々が一気に熱心党員になる現象をリバイバルと呼ぶのなら、日本でのリバイバルというのは、一応仏教や神道を信仰しているらしい無宗教の日本人が、一気に仏教や神道に熱心になる事を指すのが最も自然であるはずなのだ。教会では、そんな事が起こってはいけないと、仏教や神道の力が弱められ、外部からやってきたキリスト教が広まるようにという祈られているのであって、それをリバイバルと呼ぶのは、般若心経の言葉を借りるのならば、全くもって顛倒夢想だろう。
そうやって考えているうちに、一つの宣言文が生まれてきた。文脈を知らなければ大した文章では無いかもしれないだろうが、教会関係者が読んだら震え上がってしまうような恐ろしい内容だろう。これを書くのも公開するのも結構勇気がいるものである。今日の日記はこれを共有して締めようと思う。
ここに、リバイバルミッション2.0の始まりを宣言する。
リバイバルミッションは、日本や世界各国に歴史的ルーツを持たないキリスト教的霊性を復興しようと試み、その過程で、既に存在していたその土地固有の霊的遺産を批判、伝統の価値を蔑ろにした。
キリスト教の中で生まれ育ち、バプテスマを授かり、今もキリストの道を歩む者として、私は権威的構造や抑圧的宗教制度によって傷つけられた人々と共に立つことを誓う。とりわけ、大地に根ざした霊的伝統のリバイバルと継承に身を捧げる。
すべての土地とそこで育った霊的伝統には、固有の叡智があるが、近代化や文化的断絶のなかで、その多くが弱められ、あるいは消滅の瀬戸際に追いやられてきた。私は、かつて確かに存在した霊性を、現代に必要とされている形で復興することこそリバイバルであると定義し、その叡智が未来の世代を導き続けられるようにすることを私の使命とする。
私は霊的戦いという枠組みからの自由を宣言する。いかなる宗教や文化も敵対視する事を拒み、真の霊的叡智を守る者であることをここに宣言する。
真理に根ざすすべての道が、末長く花咲んことを。
