「努力しても入口が閉じていた世代」― 氷河期世代が背負わされたもの ―
50代になっても苦しさが消えない――。
それは本当に「努力不足」だったのでしょうか。
就職氷河期世代(1970〜1985年生まれ)の問題を追うと、
日本は“最も支えるべき世代”を長期間放置してきたことが見えてきます。
これは単なる世代論ではありません。
そして私は、
誰かを吊し上げたいわけでも、
過去への怒りだけを書きたいわけでもありません。
むしろ逆です。
氷河期世代という「大きな失敗」を、
今の若者や子供達に繰り返してはいけない。
そのために、
この問題を“構造”として見つめ直す必要があると思っています。
「努力が足りなかっただけでは?」
「自己責任では?」
氷河期世代は長年そう言われ続けてきました。
しかし、政府統計や政策史を丁寧に追うと見えてくるのは、
まったく別の現実です。
氷河期世代を苦しめた最大の原因は、
“個人の能力”ではありません。
最も支えるべき時期に、
制度が支えなかったことです。
そしてその影響は氷河期世代だけでは終わらず、
人口減少
消費低迷
少子化
社会不安
将来不安
として、日本全体へ跳ね返ってきています。
◆ 氷河期世代の損失は“構造的”だった
● 生涯賃金の大幅減少
氷河期世代は、
「働かなかった世代」ではありません。
むしろ、
派遣
契約社員
アルバイト
業務委託
など、不安定雇用を転々としながら、
必死に働き続けた人が多い世代です。
しかし、
非正規雇用が長期化したことで、
正社員との差は生涯賃金で換算すると数千万円から1億円規模に達するという試算もあります。
これは、
昇給カーブ
賞与
退職金
厚生年金
などの差が、
何十年も積み重なった結果です。
つまり、
個人の努力だけで埋められる差を、
遥かに超えていたのです。
● 結婚・出産への巨大な影響
収入不安定は、
そのまま結婚率低下へ直結しました。
特に男性は、
正社員でないことや年収の低さ、将来不安から、
結婚を諦めるケースが増えていきました。
女性側も、
共働き前提
出産コスト増
保育不安
などから、
結婚・出産へのハードルが上昇。
結果として日本は急速な少子化へ入っていきます。
つまり氷河期世代問題は、
単なる「一世代の不幸」ではありません。
国家規模の人口問題へ繋がっていったのです。
● 消費できない世代が生まれた
氷河期世代は、
給料が上がらない
貯蓄が少ない
将来不安が強い
ため、消費にも慎重にならざるを得ませんでした。
住宅、自動車、教育、旅行――。
本来なら日本経済を支えるはずだった巨大世代が、
「消費できない世代」になってしまった。
これは日本経済にとって、
極めて大きな損失だったと思います。
◆ なぜ氷河期世代は放置されたのか
ここが最も重要なポイントです。
氷河期世代は、
誰かに意図的に潰されたわけではありません。
しかし日本の制度構造が、
結果的に“若者を後回しにする仕組み”になっていた。
① 「支える」より「削る」が優先された
1990年代後半以降、日本の政策は、
歳出削減
緊縮財政
プライマリーバランス重視
社会保障抑制
へ大きく傾いていきました。
もちろん、
財政規律そのものが不要だとは思いません。
しかし問題は、
景気が弱く、
若者の雇用環境が崩壊していた時期にまで、
「まず削る」
「まず抑える」
が優先されたことです。
本来、不況期に最も必要なのは、
将来世代への投資です。
しかし実際には、
若者支援
雇用対策
所得支援
教育投資
などが後回しにされました。
景気が最悪の時期に、
最も支えるべき世代を支えなかった。
これが氷河期世代問題の本質だったのではないでしょうか。
② 「自己責任」という空気
2000年代には、
成果主義
規制緩和
派遣拡大
市場競争
小さな政府
が“正義”として語られました。
その結果、
「競争に負けた人間が悪い」
「努力しない人間が悪い」
という空気が社会全体へ広がっていきました。
しかし現実には、
氷河期世代の多くは、
競争のスタートラインすら存在しなかった。
求人自体が極端に少なかったからです。
つまり彼らは、
「努力不足だった世代」
ではなく、
「努力しても入口が閉じていた世代」
だったのです。
◆ 私たちは“努力しなかった世代”ではない
私はここを、
どうしても書いておきたいと思っています。
氷河期世代は、
決して「努力しなかった世代」ではありません。
むしろ、
不安定雇用の中でも働き続け
将来が見えない中でも耐え続け
社会から取り残されそうになりながらも
必死に社会へしがみついてきた
人達です。
それでも報われなかった。
そしてその苦しみは長い間、
「自己責任」
という言葉で片付けられてきました。
私はそこに、
日本社会の大きな残酷さがあったと思っています。
③ 若者支援は「票になりにくい」
政治構造も厳しい現実を生みました。
高齢者支援は、
今すぐ票になる
人数が多い
投票率が高い
一方、若者支援は、
効果が10〜20年後
投票率が低い
組織票になりにくい
という特徴があります。
政治は構造的に、
未来への投資より“今の票”を優先しやすい。
氷河期世代は、
その谷間に置かれてしまった。
これは非常に大きかったと思います。
④ 官僚制度の評価軸にも問題があった
行政の評価基準は、
財政赤字削減
歳出抑制
数字上の効率化
が重視されやすい。
一方で、
若者の安心
将来不安の軽減
結婚率改善
出生率改善
などは短期成果として見えにくい。
その結果、
若者支援は、
“未来への投資”
ではなく、
“現在のコスト”
として扱われやすかった。
ここに、
日本社会の構造問題があったように思います。
◆ 放置のツケを、これ以上未来に回さないために
氷河期世代の問題は、
決して「一世代だけの問題」ではありません。
もし当時、
若者への雇用支援や所得支援が十分に行われていたなら、
結婚できた人
子供を持てた人
住宅を購入できた人
安定した消費ができた人
は、もっと多かったかもしれません。
しかし実際には、
不安定雇用と将来不安が長期間続きました。
その結果、
少子化
消費低迷
人手不足
社会保障の担い手不足
が進み、
その負担は次の世代へも広がっていきました。
つまり、
氷河期世代を支えなかった代償は、
氷河期世代だけが払ったわけではないのです。
社会全体へ、
そして未来世代へと、
静かに波及していった。
私はそこに、
「若者支援を後回しにする社会」の危うさがあると思っています。
◆ 氷河期世代を今から救うことはできるのか
結論から言えば、
私は可能だと思っています。
必要なのは、
「本人の努力論」ではなく、
国家レベルでの再投資です。
● 必要なのは“再挑戦できる社会”
例えば、
所得補填
住宅支援
学び直し支援
正社員化支援
最低保障年金
などは十分現実的な政策だと思います。
特に重要なのは、
「中年になっても再挑戦できる社会」
を作ることです。
人生100年時代において、
一度つまずいたら終わりという社会は、
あまりにも非効率です。
◆ この問題は、今の若者にも繋がっている
私は、
氷河期世代を生んだ過去を、
ただ責め続けたいわけではありません。
本当に怖いのは、
失敗が検証されないまま、
同じことが繰り返されることです。
今の若い世代も、
実質賃金低下
非正規雇用増加
社会保険料負担
奨学金問題
住宅価格高騰
など、似た構造に入り始めています。
奨学金という名の借金を背負い、
手取り額が増えない中で社会保険料だけが上がっていく。
今の若者が直面している景色は、
かつての氷河期世代が見た絶望の入り口と、
酷似しているように見えてなりません。
それなのに今でも、
緊縮財政
PB黒字化
「まず削る」
ばかりを語る人達を見ると、
私は強い違和感を覚えます。
もちろん財政規律は重要です。
しかし、
未来世代への投資まで削り続けた結果、
何が起きたのか。
その検証なしに、
同じ議論を繰り返していいのでしょうか。
◆ 結論
そして私は、
もう一つ変えなければならないものがあると思っています。
それは、
「苦しいのは本人の努力不足だ」
と簡単に切り捨ててしまう社会の空気です。
人は、
生まれた時代や景気や制度によって、
人生が大きく左右されることがあります。
にもかかわらず、
すべてを“自己責任”だけで説明してしまえば、
社会は弱い立場の人を支えられなくなる。
氷河期世代の問題は、
日本社会がその危うさを示した象徴でもあったのだと思います。
氷河期世代は、
「努力しなかったから苦しくなった」のではありません。
制度が、
最も支えるべき時期に支えなかった。
そしてその失敗は、
少子化
消費低迷
人口減少
社会不安
という形で、
日本全体へ返ってきています。
だから私は、
この問題を単なる世代論で終わらせたくありません。
氷河期世代への再投資は、
過去の補償だけではない。
それは、
日本が未来世代を見捨てない社会へ戻るための、
第一歩なのだと思うのです。
