第11話「ベランダにプールを出したら、夏が始まった。」

ある日の朝。
空を見上げると、雲の切れ間から、じりじりと夏の日差し。梅雨の終わりが近い。もうすぐ、本格的な夏がやってくる。
ちびすけは、朝起きたばかりで、まだパジャマ姿。車の柄のパジャマに、黄色いピカチュウ柄のパンツ。寝癖でくるくるの髪が、さらにくるくるしている。
「よし、今日はプール出すか」
パパが、そう言った。妻は用事で出かけていて、今日はパパとちびすけの二人きり。せっかくの休みだし、家で楽しく過ごそう——というわけで、我が家の夏の定番、ベランダのお家プールの出番である。
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お家プールは、もう何度もやっている。
夏が近づくと、ベランダにビニールプールを広げて、水を張って、ちびすけを遊ばせる。わざわざ遠くに行かなくても、家で気軽に水遊びができる。ちびすけは、このお家プールが大好きだ。
パパが、ベランダにプールを広げて、ホースで水を入れる。みるみる溜まっていく水を見て、ちびすけはもう待ちきれない様子。ぴょんぴょん飛び跳ねて、「はやく、はやく」と催促してくる。
水を入れている間も、ちびすけはプールの縁を触ったり、中を覗き込んだり、そわそわしっぱなし。カラフルなおもちゃのカップやボールを、パパが用意すると、それにも大興奮。まだ水も溜まりきっていないのに、テンションは最高潮だ。二歳児にとって、水は最高のエンターテインメントらしい。
そして——ここで、事件が起きた。
ちびすけ、お着替えをしないまま、プールに突入したのである。
「あ、こら、まだパジャマ!」

パパが止める間もなく、ちびすけはパジャマのまま、ざぶんとプールへ。水着に着替えさせるつもりだったのに、本人はそんなの待っていられない。パジャマも、パンツも、あっという間にびしょ濡れである。
——まあ、いっか。
パパは、諦めた。どうせ濡れるんだし、着替えなんて後でどうにでもなる。ちびすけの「今すぐ遊びたい!」という気持ちを、無理に止めることもない。パジャマ水浸し上等。夏だし、乾くし、細かいことは気にしない。
こういうとき、パパは意外とおおらかだ。ちびすけの「やりたい」を、なるべく尊重してあげたい。多少行儀が悪くても、多少汚れても、子どもが夢中になっている姿は、それだけで尊い。
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パジャマのまま、ちびすけは大はしゃぎ。
パパも、Tシャツにハーフパンツで、一緒にプールへ。狭いベランダのプールに、大人と子どもがぎゅうぎゅうで入る。まあ、これがまた楽しい。
カラフルなカップやボールを浮かべて、水をすくったり、かけ合ったり。パパが赤いカップで水をすくって、ちびすけの頭上からザーッとかけると、ちびすけは満面の笑みで水を浴びる。
「もういっかい!」
とばかりに、手を叩いて催促。何度でも、何度でも。パパは、ちびすけが喜ぶなら、いくらでも水をかけてあげる。ちびすけの笑い声が、ベランダに響く。
水が顔にかかっても、ちびすけは平気。むしろ喜んでいる。お手伝い好きの延長なのか、カップで水をすくっては、パパにかけ返してくる。二人で、びしょびしょになりながら、きゃっきゃと笑い合う。
ボールをプールに浮かべると、ちびすけはそれを追いかけて、ぱしゃぱしゃ。つかまえては、ぽーんと放り投げる。水しぶきが、きらきらと舞う。カップを重ねたり、水を移し替えたり、遊び方は無限だ。シンプルな水遊びで、これだけ夢中になれるのは、二歳の特権かもしれない。
パパと二人のプール時間。ママがいない日の、特別な父子の時間。普段は三人だけど、たまにはこうして二人きりで過ごすのも、いいものだ。ちびすけと、じっくり向き合える。妻には申し訳ないけど、こういう「父子の密度が濃い日」は、パパにとってちょっと嬉しい。ちびすけの成長を、独り占めできる気がするから。
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ひとしきり遊んで、少し休憩。
ちびすけは、プールサイドでカップを並べて、一人遊びを始めた。赤、青、黄色、緑。色とりどりのカップに水を入れては、こぼして、また入れる。真剣な顔で、黙々と。
その横顔を、パパはスマホで撮る。我が家は記録魔だ。パジャマのままプールに入って、びしょ濡れで遊ぶちびすけ。この夏いちばんの、いい表情。あとで妻に送ったら、「ちょっと、パジャマで入れたの?」と突っ込まれるだろうけど、まあ、それも含めて思い出だ。あーちゃまや大分のじいじばあばにも送ろう。孫のはしゃぐ姿は、きっとみんなを笑顔にする。
水面に、夏の光がきらきら反射する。ベランダの向こうには、緑の木々。梅雨明けが近い、初夏の空気。
ちびすけは、時間を忘れて水と戯れている。カップの水をすくっては流し、ボールを浮かべては沈め。二歳の集中力は、好きなことにはとことん発揮される。飽きるまで、とことん遊ぶ。
「楽しいなあ、ちびすけ」
パパが声をかけると、ちびすけは顔を上げて、にっこり。言葉はまだ多くないけど、その笑顔が、何よりの返事だった。
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やがて、ちびすけの唇が、少し青くなってきた。
さすがに、そろそろ上がる時間だ。
「はい、おしまい。あったかいお風呂入ろう」
名残惜しそうにするちびすけを、なんとかプールから引き上げる。びしょ濡れのパジャマを脱がせて、タオルでくるむ。小さな体は、水遊びですっかり冷えていた。
お風呂で温まって、今度こそ、ちゃんとした服にお着替え。プールで遊び倒したちびすけは、ほかほかの顔で、満足そうだった。
ベランダには、まだ水を張ったプールと、散らばったカップやボール。夏の遊びの、幸せな跡。
窓の外の空は、もうすっかり夏の色をしていた。梅雨が明けたら、本格的な夏が始まる。プール、水遊び、かき氷。ちびすけの大好きなものが、これからたくさん待っている。
思えば、二歳になってからの一ヶ月ちょっと、ちびすけはいろんな「はじめて」を経験してきた。誕生日、救急車、カキ氷、家族旅行、いとことの再会。梅雨の季節を、めいっぱい生きてきた。そして今、季節は夏へと移り変わろうとしている。
ベランダにプールを出したら、夏が始まった。
二歳のちびすけと過ごす、はじめての夏。その入り口に、確かに立った気がした。
パジャマ姿のまま、全力で夏を迎えにいったちびすけ。その姿が、なんだかとても、この子らしかった。
― 最終話へつづく ―
