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AIは学ぶが、惹かれない

前回、Seedを目覚めさせる「触媒」について次に書くと言った。その話はもう少し先に取っておきたい。今日はその手前にある、もう一つの問いに向き合いたい。——Seedとは、そもそも何の中にあるのか。


新しいツールを初めて手にしたとき、説明書を読んだだけで使いこなせたことがあるだろうか。

カメラ。楽器。プログラミング言語。あるいは、新しい職場の空気。

最初は手探りだ。うまくいかない。思った通りに動かない。——けれど、何度も触れ、試し、失敗するうちに、少しずつ「自分のもの」になっていく。説明書のどこにも書かれていない、自分だけの使い方が生まれる瞬間がある。

あの感覚は、何だったのか。


AIと「知識」の関係

生成AIは、形式知を扱うことにおいて圧倒的な能力を持っている。

マニュアル。論文。仕様書。手順書。——こうした言語化された知識を処理する能力は、人間をすでに超えつつある。

つまり、言語化された瞬間、その知はAIの領域になる。

前回の記事で書いた通り、企業がナレッジマネジメントの名のもとに進めてきた「暗黙知の言語化」は、結果としてその知をAIが扱える領域へと変換する行為でもあった。

ここまでは、既に語ったことの延長だ。

今日はその先——AIが扱えない知とは、そもそも何なのか——について、一歩踏み込んで考えてみたい。


知識ではなく「適合」

自転車の乗り方を、言葉だけで完全に学ぶことはできない。

どれだけ丁寧な物理学的説明を読んでも、実際に乗らなければ乗れるようにはならない。人は自転車に乗り、転び、バランスを崩しながら、身体が少しずつ環境に適合していく。 その結果として、ようやく「乗れる」という状態が生まれる。

ここで起きているのは「知識の獲得」ではない。世界との関係の調整だ。

哲学者ポランニーは、これを「棲み込み(indwelling)」と呼んだ。道具を使い込むうちに、道具が身体の延長になる。環境の中に「棲み込む」ことで、言葉にはならない知が立ち上がる。

知とは、頭の中に蓄積された情報ではない。世界との関係の中で成立する、適合の結果なのだ。


フィジカルAIという挑戦

ここで一つ、いま急速に研究が進んでいるフィジカルAIに触れておきたい。ロボットや自動運転など、AIに身体を与え、現実世界で動かそうとする試み。

これはまさに、AIの弱点を補おうとする研究でもある。

AIはこれまで、言語や画像など「情報の世界」で進化してきた。だが現実世界は、情報だけでは動かない。物体には重さがある。摩擦がある。ノイズがある。——つまり、現実世界ではまさに「適合」が必要になる。

フィジカルAIは、無数の試行錯誤を繰り返し、環境に合わせた動作パターンを学習していく。ロボットが物を掴む研究では、何千回もの失敗の末に、ようやく適切な力加減を獲得する。

ここで起きているのは、知識の検索ではなく適合の学習だ。

AIもまた、「適合」に向かい始めている。


それでも残る、決定的な違い

では、AIが適合を学習できるなら、人間との違いは消えるのだろうか。

ここに、一つの決定的な違いがある。

AIは「何に適合するか」を外部から指定される。ロボットに「この物体を掴め」という課題を与えるのは、人間の設計者だ。自動運転AIに「安全に走れ」という目的を設定するのも、人間だ。

AIは適合の能力を学習できる。だが、適合の方向を自ら選ぶことはない。

一方、人間は違う。

なぜかこのテーマに惹かれる。理由は説明できないが、この道具をもっと使い込みたい。論理的には別の選択肢の方が合理的なのに、なぜかこちらに手が伸びる。——人間には、適合の方向を内側から決める何かがある。

それは、何だろうか。


Seedは「適合の方向」を持っている

この連載で何度か触れてきたSeed(種子)の話に、ここでつながる。

Seedとは、まだ形になっていない関心のことだ。言語化されていない。論理で説明できない。だが確実にそこにある——「なぜか惹かれる」という、内側からの方向性。

植物の種子が芽を出すとき、それは言葉によってではなく、環境との関係の中で起きる。土壌、水、温度、光。条件が整ったとき、種子は発芽する。

しかし、どの方向に根を伸ばし、どの方向に芽を出すかは、種子の中に既に書かれている。 ヒマワリの種からバラは咲かない。

人間のSeedも同じだ。

環境との適合の中で少しずつ形になっていく。だが、適合の方向——何に向かって根を伸ばすのか——は、Seedの中に既に含まれている。

AIは適合の能力を獲得しつつある。だが、「何に向かって適合するか」という方向性を、AIは自らの内側に持たない。 その方向性は常に、外部から与えられる。

ここに、AI時代における人間の「最後の砦」ではなく、人間であることの本質がある。


知識の外、適合の先

AIはこれからさらに多くの知識を処理するだろう。マニュアルも、判断も、文章も。やがてフィジカルAIが発展し、現実世界での適合すら学習するようになるかもしれない。

だが、「なぜ、これに惹かれるのか」という問いに答える力は、人間の内側にしかない。

Seedとは、知識ではない。適合の能力でもない。

それは、適合が始まる前の、小さな方向性だ。

まだ芽を出していない。まだ何者にもなっていない。だが、どこに向かうのかだけは、静かに決まり始めている。では、その種子が動き出す瞬間——「触媒」とは何か。次回、ようやくその話をしたい。


前回記事:「暗黙知は"言語化"してはいけない

本記事は、学術アーカイブZenodoにて公開中の研究論文「AI時代における『生存の方程式』の構築と主体性再起動に関する研究」の知見をベースにしています。

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