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鉄道ひとつ話③:都営交通

0.初めに
大学進学で九州から東京に来て早50年ほど経過した。そんな中一度も乗ったことがなかった都電(今は「さくらトラム」と呼称)に先般初めて乗ったということで、今回は都営交通を取り上げる。「鉄道ひとつ話」シリーズではあるものの、一部バスも登場する。
https://photos.app.goo.gl/7C2Kb9qXK55VEWXAA 
(筆者撮影写真)

ついでながら、都営交通の表示に使う緑のイチョウのようなマークは東京のTをモチーフにした東京都のシンボルマーク。東京の都章は何となく地図のマーク、天気予報のマークに見えてしまうのだが・・・・

東京都のシンボルマーク
東京都の都章


1.馬車鉄道から市街電車へ

東京の路面鉄道の嚆矢は馬車鉄道である。運営は私営の「東京馬車鉄道」である(明治13年設立)。開業は明治15年の新橋~日本橋間であった。考えても分かるように馬を使うオペレーションはかなり難儀だったようだ(馬糞をまき散らす、厩舎の手配、馬の世話等)。当時の蹄鉄などが東京都埋蔵文化センターにより発掘されている。

東京都埋蔵文化センター企画展示で筆者撮影
表示は明治13年開業と書いてあるが明治15年が正しい

その後、明治36~37年開業の「東京電車鉄道」(旧東京馬車鉄道)、「東京市街鉄道」、「東京電気鉄道」の三社が「東京電気鉄道」として合併(明治42年)、それを明治44年=1911年に東京市が買収して東京市電が成立した。東京都はこの1911年を都営交通元年としている。なお、東京市から東京都に変わった1943年(昭和18年)から東京都電となった。

<オマケ:都営バスの始まり>
1923年(大正12年)の関東大震災により市電の車両は大打撃を受けた(路面の復旧は震災後の1年後から成された模様)。これを補うため生まれたのが乗り合いバスである。バスといっても、最初は自動車大量生産の嚆矢として有名なT型フォードを使ったので乗れる人数は限りがあった。このバスは「円太郎」というニックネームがあった。その後、多くの経緯を経て現在の都バスに変わった。嘗ては、路線バスといっても、例えば阿佐ヶ谷~青梅間といった長距離路線もあった。

2.短かったトロリーバス併用時代
鉄道でもないが路線バスとも言い難い?ものにトロリーバスがある。都内でも嘗ては都営交通が都電で併行して運行してたいた。因みに、東京生まれの知人に子供の頃乗ったことがあるという方がいる。
  開業:1952年(昭和27年)5月20日 今井橋~上野公園(101系統)
  廃止:1968年(昭和43年)9月30日 101系統の廃止をもって事業終了

系統は(最大)4系統であったと思われる。現都電荒川線(さくらトラム)の始発・終着駅の三ノ輪橋駅横に「三ノ輪橋おもいで館」という案内施設があり、嘗ての路線図をもらった。昭和30年代中ばの頃のものと思われ、都電41系統、トロリーバス4系統があり、両者とも最も多く系統があった時だと思う。
旧路線図↓(「三ノ輪橋思いで館」より入手)



3.上野にあった唯一のモノレール(日本最短モノレール)

近年まで存在した為、上野公園に都営モノレールがあったことを子供の頃、或いは子供を連れて上野動物園に行ったことがある人は多分ご存じだろう。
正しくは上野懸垂線と呼ぶ。
 ○開業:1957年(昭和32年)12月17日
 (一時中断あり)
 ○廃止:2023年(令和05年)12月27日
このモノレールは上野公園(動物園)のために造ったものではなく、自動車による渋滞で都電も渋滞がに巻き込まれたため、その対策として都営地下鉄の検討がされていた中、地下鉄よりコストのかからないものとして、都電の代替として運行するための試験線だった。残念乍らモノレール計画は頓挫。試験線だけ継続して残ったのが上野のモノレールだった。

4.都営地下鉄の不思議・・○○号線
私の記憶が確かならば、都営地下鉄は暫くの間、都営1号線と6号線が走っていて、それぞれ浅草線、三田線という名前はなかったと思う。番号の付け方は分からないが、その後に出来た路線も番号はある(浅草線、三田線と違い番号線で呼ばれることはなかった)
 ○都営新宿線・・・10号線
 ○都営大江戸線・・12号線
<補足>
番号の付け方は営団地下鉄(現東京メトロ)を含め、戦後復興計画における地下鉄計画に基づく番号のようである。つまり、営団地下鉄と都営地下鉄を併せた通番。

さて、都営地下鉄の元祖、1号線=浅草線の開業は1960年(昭和35年)で、まずは押上~浅草橋からスタート。最終的に西駒込まで延伸されているのは周知のとおり。この路線には日本初のものがある。
①隅田川の下をとおるためにトンネル工法のウチ「ケーソン工法」を初めて用いた。正確さより分り易さを優先し超簡単に説明すると、最初にトンネルの躯体(中空の箱)を地上で作り、それを河底に沈めていく方式
②京成線、京急線という私鉄と初めて乗り入れた地下鉄

<オマケ:地下鉄にある電気機関車>
大江戸線の大がかりな車両点検は駒込車両基地で行うため(大がかりでないものは木場の車両基地)、機関車が牽引し大江戸線・浅草線を通り馬込まで運ぶ。大江戸線は丸っこいコンパクトな車体(ロンドンの地下鉄Tube(チューブ)に似ている?)で馬力不足で自力で車両基地までいけないとのこと。
 
5.都電の盛衰と生き残った荒川線
都電は41系統、線路延長213㎞まで増え、昭和30年半ばまで健在であったが高速道路網開通や自動車増加で段々と邪魔者扱いにされ昭和42年~47年=1967年~1973年にかけて荒川線を残し廃業した。花形路線の銀座~日本橋の中央通りを通る系統は「銀座線」と呼ばれ、昭和42年・年末近くの最終電車の運行の時、銀座近辺は惜しむ人達で溢れていたようだ。最終電車には当時の美濃部知事が乗っていた。

荒川線が生き残ったのは(住民要望もあったが)専用路線であったからだと言われる(現在、極一部のみ一般自動車との併用区間がある)。都電線路上は、元々自動車は走っていけなかったのだが、途中からOKとなった。荒川線の線路だけ自動車に浸食(侵入)されることがなかったということ。

実は荒川線の前身は、1942年(昭和17年(都電に最後に吸収=事業譲渡された王電(王子電気軌道)である。「鉄道ひとつ話②・・東京の私鉄編」でも書いたよう嘗ての鉄道会社は電力事業も兼営しており、王電は鉄道事業ではなく電力事業がメインであった。王電の最終的な路線は以下のとおり。
 ○三ノ輪橋~赤羽
 ○荒川車庫~早稲田
 (三河島線(三ノ輪橋 - 熊野前)、荒川線(熊野前 - 王子駅前)、
  滝野川線(王子駅前 - 大塚駅前)、早稲田線(大塚駅前 - 早稲田)の
  4つという細かい分け方もある)
現在の都電荒川線はこれらを統廃合してできたものである。三ノ輪橋駅横に
旧王電ビルというレトロなビルがあり、都電ファンの間では有名らしい。

東京都埋蔵文化センター企画展示で筆者撮影

荒川線を除き、大学受験で上京した時は既に都電はなかった。一方、宇宙人だの国賊だの言われる鳩山由紀夫元首相が東大の学生だったころは、本郷の東大前を都電が走っていたはずである。
中央高速の下に隠れ全く風情がなくなった日本橋は、何れ高速の撤去がされるという。また、中央通り(~銀座4丁目~日本橋)に路面鉄道が復活する話もある模様。生きている内に見たいものだと思う。

因みに現在の都電車両は阪急=現阪急阪神グループ傘下のアルナ車両が製造している。
https://alna-sharyo.co.jp/


オマケ:日暮里舎人ライナー
乗ったことがないので最近まで知らなかったが、日暮里舎人ライナーも都営交通の一つである。この路線の車両はリニアモーターで動く。但し、リニアといってもリニア新幹線のような浮動式ではない。また、車輪ではなくゴムタイヤである。
  
  

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