ホスピスの人たちは、恋してくれていた

恋は、ただの感情じゃない。
自分の中では
変容律のひとつだと思っている。
人は誰かに出会うことで
少しずつ形を変える。
言葉が変わり、
世界の見方が変わり、
自分の輪郭が変わる。
仏教でいう「縁起」みたいなものだ。
人は単体では存在していない。
関係の中で変わり続ける。
だから恋は
ただの出来事じゃない。
変化を起こす縁なんだと思う。
ただ、その反作用もある。
恋が人を動かすなら、
それを整えるものが必要になる。
自分の場合、それはたぶん
知性だ。
惹かれたまま流されるんじゃなくて、
何が起きているのかを観察する。
すると、恋は
依存や執着じゃなくて、
人を変える運動として見えてくる。
恋の方程式を考えてみた
最近、自分の恋の仕方を観察していたら、
どうも普通の「好き」と少し順番が違うことに気づいた。
多くの人は
外見
↓
雰囲気
↓
好き
みたいな順番で心が動くと思う。
でも自分の場合、最初に来るのは
**「響き」**みたいなものだ。
まだ好きでもない。
むしろ相手のことはよく知らない。
でも、何かが響く。
そこから自分の自我が少し柔らかくなる。
相手に合わせるというより、
相手を観察できる状態になる。
その時に見ているのは
外見でも肩書きでもない。
その人の中にある
敬意を持てる知性だ。
そこに学びがあると感じたら、
自分は一気に近づく。
言葉
考え方
世界の見方
そういうものを少しずつ取り込みながら
自分の中で再構築していく。
すると価値は増殖する。
これは依存でも崇拝でもなく、
ただの学習の加速に近い。
そして最近、
この構造にふと気づいた瞬間があった。
昔、ホスピスの終末期の人たちと関わる仕事をしていた。
その人たちは、
不思議なくらいこちらに心を開いてくれる。
距離が近い。
信頼が深い。
ずっと「なんでだろう」と思っていた。
でもあるとき気づいた。
あの人たちは
恋をしてくれていたんだ。
男女の恋ではない。
もっと静かな、
人が人に向ける最後の信頼みたいなもの。
限られた時間の中で
その人たちは、誰かの中に
言葉
感情
世界の見方
を残していく。
それはたぶん
価値の増殖だった。
だから自分は今でも
誰かに惹かれるとき、
外見より先に
その人の中にある核を探してしまう。
そして、その核が動いている間だけ
関係は続く。
停滞が見えたら離れる。
怒りでもないし、嫌いになるわけでもない。
ただ
価値が増えなくなったら
自然と関係がほどける。
だから恋は
所有でも
執着でもなくて
価値が増殖する間だけ続く関係
なのかもしれない。
がらじゃない(*´ω`*)
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ふぇぇ...........
