No.38 豊玉姫と豊玉彦・糸島の志登神社④
志登神社 福岡県糸島市志登82

弥生時代の神社周辺は、入り江が東西にから割り込み、伊都国の港を形成していたという。
日本神話の「海幸彦 山幸彦 神話」では、彦火々出見・豊玉姫が海宮(わたつみのみや)から帰って、この地に上陸されたという。
社殿は西方向に向かって立ち、昔は海上から参拝するようになっていた、と案内板は記す。

竜宮での三年間の逗留を終えた彦火々出見は、釣針を受け取り、夫婦共に竜宮を出で、伊都志摩に着き、釣針を弟の彦ソソリノ尊へ還します。豊玉姫は臨月となり、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を出産されますが、豊玉姫は御子を捨てて、海宮(わたつみのみや)に帰られたという。彦火々出見尊は、嘆き悲しんでいるところに、豊玉姫の妹・(鴨)玉依姫が竜宮より来られて、その御子を養育された、と「高良玉垂宮神秘書」は語ります。
高良玉垂宮神秘書 第1条
(前略 No.312参照)
竜王「諸々の魚寄せ集めよ」とアカメクチに伝えれば、しきりに寄せ集められければ、諸々やってきたアカメクチのその中に、頬腫れて異なる口を開けて見れば、釣針見つかり、その釣針を密かに取りて、竜宮へ収め給う。竜王の娘と彦火々出見尊、夫婦となり給う。
三年が明けた時、彼の釣針を取り出し、彦火々出見尊へ渡しまいらせけり。彼釣針を受け取りて、夫婦共に竜宮を出で、海上にほどなく揚がり給いて、彼釣針を御弟彦ソソリノ尊へ還し給いけり。
豊玉姫は妊婦となり臨月となり給う。産所を造り給えと仰せければ、鵜羽をもって葺き給う。葺き合せている最中に出産給う。これにより、この御子の御名を彦波瀲武鵜草葺不合尊と申すなり。
(中略)
豊玉姫、御子を捨て給いて、海宮(わたつみのみや)に帰り給う。彦火々出見尊は、嘆き悲しみ給うところに、豊玉姫の妹・(鴨)玉依姫、竜宮よりあがり給いて、その御子を養育し給うなり。
この物語は、「記紀」では日向(宮崎)での出来事として語られていて、鵜草葺不合尊の存在は、この糸島では希薄です。鵜草葺不合尊は宮崎から鹿児島にかけての存在が強く、糸島の御子は鵜草葺不合尊でなく、名前は伏せられていて、他の御子と想定しています。
また、鵜草葺不合尊の事績は「記紀」にはなく、系譜上の存在で、つなぎに使用されている可能性があります。
それでも、鵜草葺不合尊を脇神として祀る神社が二社、糸島にありました。
◎ 産宮神社(さんのみや)
福岡県糸島市波多江駅南一丁目13-1
(旧)福岡県前原市大字池田706
祭神 奈留多姫命
相殿 鸕鷀草葺不合尊・玉依姫命

詳しくは、No.34 阿蘇の神々・神沼河耳命(女神)と奈留多姫 参照
この記事の結論として
※産宮神社の祭神は
正殿 奈留多姫
相殿 神沼川姫(母・天照女神=豊玉姫)
相殿 神八井耳(父・大幡主=彦火々出見尊)
と置き換えています。
◎ 姫島神社 福岡県糸島市志摩町姫島105
祭神 豊玉姫命、鸕鷀草葺不合尊

🔶志登神社(しと じんじゃ)
福岡県糸島市志登82






福岡県神社誌 志登神社(しとじんじゃ)
糸島郡前原町大字志登字宮廻
祭神 豊玉姫命
相殿 和多津見神、彦火火出見神、息長帯姫命、武内宿神
由緒 延喜式神名帳に怡土郡志登神社一座と在れとも 今は志摩郡に属す、昔は大社也 元亀天正年九州兵乱の時迄は猶12町の神田有りしが 天正12年太閤九州征伐の時神領悉く没収せられたり。元禄の頃の国主 光之より神田一町六反寄附 又新に神殿造立す。先きの神殿は天正9年11月に原田隆種再建也。
華表一基其銘に曰く。宝永4歳次丁亥夏5月2日建立従四位下侍従本州牧松平肥前守綱政。明治5年11月三日郷社に被定 大正5年10月12日県社に被定。
例祭日 十月七日
氏子区域及戸数 四十二戸
境内神社 八坂神社(須佐男命)、白王大神宮、志々岐神社(十城別命、倉稲魂命)
厳島社(市杵嶋姫命)、天満宮(菅原道真公)

🔶志登神社の境内社

左の境内社は天満宮
右の境内社は八坂神社、白王大神宮、志々岐神社
右端の鳥居は玉の井、太陽観測石
※白王大神宮の「白王」は白族伯王の大幡主です


厳島社(市杵嶋姫命)
昔は弁財天の浮島を囲む堀に水が張ってあったという
今は溝程度で囲まれています




改築前の鬼瓦
2014年(平成27年)7月15日火災により焼失
2015年(平成28年)7月再建
抱き茗荷紋は原田家の家紋、社紋も兼ねているようです
三つ巴藤紋は藩主黒田家の家紋
天正9年11月に高祖城主・原田隆種公 再建
元禄3年3月に第三代藩主・黒田光之公 神殿造立
🔶古代の志登神社は太陽と雷山崇拝の神社であった
境内に太陽観測石が置いてあります。
どのように使われたか、不明です。


志登神社を中心に
可也山への春分秋分の東西線、
火山の夏至線、叶岳(高祖山)の冬至線。
冬至(W-24.0)の夕刻には鳥居から社殿へ夕日が差し込みます。
真南に雷山があります。
雷山神社上宮(曽増岐神社)は天照女神と大幡主を祀ります
志登神社は天照女神(豊玉姫)と強くつながっています。

社殿の中心・北緯33度34分27.2秒、東経130度13分20.3秒
冬至(W-24゚)線と雷山への南中線




https://letsleisure.info/itoshima/?p=3850

🔶竜宮はどこにあった?
竜宮での三年間の逗留を終えた彦火々出見は、豊玉姫夫婦共に竜宮を出で、伊都志摩に着き、豊玉姫は臨月となり、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)を出産されます。
糸島で彦火々出見と豊玉姫夫婦共に祀る神社が高祖神社です。(No.34)
◎ 高祖神社 福岡県糸島市高祖1578
祭神 彦火々出見命、高礒比咩(豊玉姫)

ところが、彦火々出見と豊玉姫と鵜草葺不合尊を共に祀る神社が糸島にはありません。
共に祀る神社が対馬にあるのです。
夫婦と共に祀る神社が和多都美神社(対馬市豊玉町仁位字和宮)、その子・鵜草葺不合命は和多都美御子神社(同)に祀られています。

◎ 和多都美神社 長崎県対馬市豊玉町仁位(字和宮)55
祭神 彦火々出見尊、豊玉姫命

◎ 和多都美御子神社 長崎県対馬市豊玉町仁位1416
祭神 彦波瀲武鵜草葺不合尊 神武天皇 応神天皇 菅原道真
由緒 創祀年代は不詳。
※神社の元は天神社 Wiki
元は天神社であり、和多都美御子神社との関係はなく、貞和5年(1349年)に筑前国大宰府から天満宮を勧請したのが始まりであるという。元は「天神宮」と称し、明治初期に和多都美御子神社と改称。海神神社が式内社「和多都美神社」と比定されたため、当社がその御子神という位置づけになったという。(Wikipedia)
以上の二社により、竜宮は対馬にありと思っていましたが、どうやら、そうではないようです。二社の存在は、海神神社が式内社「和多都美神社」に比定されたのが、原因であるという。
そうなると、鵜草葺不合尊の存在が怪しくなります。
さらに、対馬での豊玉彦の存在は、実に希薄です。
豊玉彦は鳥居と小さな石祠の浜殿神社の二社で祀られています。
◎ 浜殿神社 長崎県対馬市豊玉町仁位1718
祭神 豊玉彦

◎ 浜殿神社 長崎県対馬市厳原町今屋敷712
祭神 豊玉彦

それでは、竜宮は何処に?となるのですが、以外にも、竜宮が高良大社由緒(高良玉垂宮縁起)に記載されていました。
※干珠・満珠の玉
山家宝満宮の由緒では、豊玉彦(海神)の姫君で(鴨)玉依姫は、神功皇后の異国征伐時に、父である海神・豊玉彦に「干珠・満珠の玉」を借受けにゆく姫君として登場します。「干珠・満珠の玉」は白と青の勾玉とされています。
しかし、本家の高良大社由緒(高良玉垂宮縁起)では、豊姫(ゆたひめ)が伽羅龍王宮に借受けに行くとなっています。年代からして、豊姫は開化天皇、安曇磯良と同年代になりますので、豊姫が関係する方が理に叶っています。
高良玉垂宮縁起(部分)
爰藤大臣奏、抑吾朝軍兵僅三百七十五人、乗船四十八艘、夷類者四十九万六千余人、乗船十万八千艘也、敵軍既以千万倍、無別秘計、而難及敵対云々、因茲以豊姫為御使者、遣娑伽羅龍王宮、借得旱珠満珠、藤大臣令請取之
(中略)
雖然本朝官軍三百七十五人、夷敵四十九万六千余人、縦為手取不可足乎、異類嘲哢、爰藤大臣投旱珠於海中、滄溟旱五千里、異類凶賊等、海上合戦者、尚以有波浪之恐、陸地之戦則与天之幸悦、喜各捨船、下立旱瀉、撃鼓吹笳、飛毒箭放牟鉾、干時大将軍藤大臣、放八目鏑、数万異類殄滅、所残之凶賊等、見彼勢、自知不可勝、悉退散、藤大臣不令有間、投満珠刹那、潮溢所下立之凶賊、衍悉漂没畢、因茲高良、号玉垂宮
※「滄溟」青い海
※「衍悉漂没畢」ことごとく波間に没す
高良玉垂宮神秘書 第509条
干珠満珠を龍宮にて賜ったのち、玉を龍宮から高良へ持って行き、神代(くましろ)に納められたとも申すなり、故に神代(くましろ)を神の代と書くなり。また、神辺(くまべ)を神のほとりと書くなり。その玉を神代に納められるなり。また、河上に在るとも云う。干珠は白い玉、満珠は青い玉なり。長さ五寸ほどなり。頭は太く、尾は細いと云う。それ故に高良を玉垂宮と申すなり。
神功皇后の異国征伐時に、豊姫が「伽羅龍王宮」に行き、海神・豊玉彦に「干珠・満珠の玉」を借受けたとあります。
龍王宮は伽羅伽耶にあったのです。そこに海神(わたつみ)の豊玉彦がいた。
どこの伽羅伽耶か? おそらく、大伽耶(おおかや)でしょう。
※高良玉垂宮神秘書では、
大幡主と豊姫(とよひめ)の時代と、
開化天皇と豊姫(ゆたひめ)の時代が、
混同混乱されているのです
海神・豊玉彦に会いに行く豊姫とは、
天照女神の豊姫=豊玉姫 となります。
天照女神(豊玉姫)の父は、海神(わたつみ)豊玉彦なのです。
志賀海神社の祭神は、海神(わたつみ 綿津見神)の天照女神(豊玉姫)です。
祭神の底津綿津見神、仲津綿津見神、表津綿津見神は綿津見三神で、それぞれ、天照女神(豊玉姫)、長遊和尚(豊玉彦)又は大幡主、許黄玉と推測しますが、本殿のご神体は姫神の一柱のみです。志賀海神社の宮司家は安曇姓ですが、氏子さんの大部分は坂本姓です。
◎ 志賀海神社(しかうみじんじゃ)
福岡市東区志賀島877
祭神 綿津見神 → 天照女神(豊玉姫)

🔶豊玉彦と豊玉姫
「海幸彦 山幸彦 神話」では、彦火々出見が海宮(わたつみのみや)の豊玉姫の所に行きますが、豊玉姫の父が海神(わたつみ)あるいは豊玉彦と日本書紀に記載されています。
※豊玉彦
「日本書紀」巻第二10段本文(海幸山幸神話)では、海神(わたつみ)と表記し、豊玉姫の父とするも、「豊玉彦」は明記せず。巻第二10段一書(第一)では、海神豊玉彦(わたつみ とよたまひこ)と表記。
豊玉姫の父は海神(わたつみ)と表記され、「豊玉彦」の称号が名記されるのは、巻第二10段一書(第一)の一ヶ所のみなのです。海神豊玉彦(わたつみ とよたまひこ)と表記されています。
※「記紀」での豊玉彦の神名
大綿津見神(おおわたつみのかみ)・古事記(神々の生成)
綿津見大神(わたつみのおおかみ)・古事記(火照命の服従)
海神(わたつみ)・古事記・日本書紀
海神豊玉彦(わたつみ よたまひこ)・日本書紀
※海幸山幸神話での豊玉彦の神名
綿津見大神(わたつみのおおかみ)・古事記(火照命の服従)
海神(わたつみ)・古事記(海神の宮訪問)
海神(わたつみ)・日本書紀(巻第二10段本文)
海神豊玉彦(わたつみ よたまひこ)・日本書紀(巻第二10段第一)
『古事記』 豊玉姫は海神または綿津見大神の娘
『日本書紀』 豊玉姫は海神の娘
※古事記での豊玉彦の系譜
父・伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
母・伊邪那美命(いざなみのみこと)
子・豊玉毘売命
子・玉依毘売命
※豊玉姫を祀る九州北部の神社
志登神社 福岡県糸島市志登82
若宮神社 福岡市中央区今泉一丁目19-17
姫島神社 福岡県糸島市志摩町姫島105
豊姫神社 福岡県久留米市北野町大城1115
與止日女神社 佐賀県佐賀市大和町大字川上1−1
淀姫は豊玉姫とも伝える
豊玉姫神社 佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙2231-2
※豊玉姫と豊玉彦を祀る九州北部の神社
海神社 福岡市城南区東油山508(正覚寺)
祭神 豊玉彦命
海神社 福岡市城南区西油山236
祭神 少童命(豊玉姫)
※海神社は同一地域の油山にある神社です
海童神社 佐賀県杵島郡白石町深浦856-1
祭神 豊玉彦、豊玉姫、埴安姫
海裏神社(箱崎八幡神社)
長崎県壱岐市芦辺町箱崎釘の尾触1294
祭神 豊玉彦命、豊玉姫命

※芦辺町箱崎に式内月読神社が創立され、次に海神が配祀され海裏神社となり、後に筥崎八幡宮が配祀され箱崎八幡神社となっています
豊玉彦の存在は、実に希薄です。
しかし、豊玉彦は重要な存在です。
なぜなら、豊玉彦は古代日本の大物だからです。
海神・豊玉彦は大伽耶に居た。
豊玉彦は誰をモデルにしているのでしょうか。
過去記事での比定です。
No.35 糸島市雷山の笠折神社・雷神社・層增岐神社①
火雷神(ほのいかづちのかみ)=天照女神
八雷神(やくさ いかづちのかみ)=大幡主
別雷神(わけ いかづちのかみ)=崇神帝
No.36 糸島市雷山の千如寺と笠折神社②
糸島市芥屋大門崎の大門神社の祭神は
綿積大神(天照女神)、
大門之道尊(おおとのじ)・大門之辺尊(おおとのべ)
まるで、加羅伽耶国の
許 宝玉(兄) ホ・ホウギョク(ボオク)=宝玉仙人=長遊和尚
許 黄玉(妹) ホ・オウギョク(ファンオク)
その子が天照女神
を想起させる
No.37 異説白木神社 ヒョウカリィライ、ピンホーリィライ③
豊玉姫(天照女神)は許宝玉と許黄玉の子、
許黄玉の兄である許宝玉(宝玉仙人=長遊和尚)は、
糸島にあっては豊玉彦(とよたま=ほうぎょく)
豊玉彦とは大伽耶の宝玉仙人(長遊和尚)
つまり、許 黄玉の兄である許 宝玉 ホ・ホウギョク(ボオク)
となります。
※宝玉(ホウギョク)=豊玉(ホウギョク=とよたま)
豊玉姫(天照女神)の
父は許 宝玉(兄)
母は許 黄玉(妹)
となります。
※倭国の初めと終り
全国邪馬台国連絡協議会 2016 福島 巌
https://zenyamaren.net/wp-content/uploads/2020/04/yamaren20-051.pdf
金首露の皇后・許黄玉と一緒について来た兄のアユタ国王子「許宝玉仙人(長遊和尚)」は首露王につかえるのではなく、洛東江を遡った伽耶山を修行の場所とします。
首露王には十男二女の子供がいたが、宝玉仙人はその中の七人の王子を呼んで伽耶山中にて修験者の生活を一緒に送った。その七人はこの地で成仏し、それを知った首露王がここに「七仏寺」を建立したという。許氏を名乗った一人の息子は長遊和尚の養子になったという。また、娘の妙見王女もこの地で修行に励んで「妙見信仰」の祖になったと伝えられている。
伽耶山に海印寺(ヘインサ)ができたのはずっと後の時代で、新羅時代の僧侶・義湘が802年に伽倻山に建てたのが始まり。海印寺は、世界でも希少な木版の大蔵経「高麗八萬大蔵経」が納められているお寺。
お寺の名前になっている「海印」とは「竜王の印」を意味し、竜王の印というのは「打ち出の小槌」のような品で、三回叩くと願った品物が現れるという。
「海印」とは「竜王の印」を意味し、大伽耶の海印寺がある高霊を竜宮の国とし、許黄玉の一人の息子で長遊和尚の養子となった王子を千如寺の清賀上人とみるのです。
また、一人の王女で妙見王女を豊玉姫(天照女神=大日女 おおひるめ)とみるのです。
おそらく、竜宮の舞台は大伽耶の高霊でしょう。

※神社研究会 百嶋先生講演 2011年5月28日
阿蘇大蛇伝説、その主な舞台は大分県大野郡緒方村、そこにはっきり残っています。大蛇伝説の主人公は市杵嶋姫(天照女神)です。この方の記録が兵庫県の作用町にあります。町の名前は作用(さよう)町、神社の名前は佐用都比賣神社。御祭神は、現在は市杵嶋姫(佐用姫)ですが、本当は、もとの御祭神は、朝鮮半島の大伽倻の神様です。大伽耶がどこにあるかというと韓国第三の都市、大邱市(テグ、たいきゅう)の地図の左端っことなります。判り易くいいますと、大邱の神様の神社だったんです。ところが、現在では市杵嶋姫が鎮座されています。なお、ここには市杵嶋姫が阿蘇の天児屋根とご夫婦だった頃の名残が残っています。
※佐用都比賣神社 兵庫県佐用郡佐用町本位田甲261
祭神 狭依毘売命(サヨリヒメ)、又の名を市杵嶋姫命(イチキシマヒ)
※神八井耳命
阿蘇の神様は神八井耳命(大幡主)で、別記が坂本五瀬命。
伊都国は「いつのくに」とも読めます。五瀬命(いつせのみこと)も本来、伊都背命と書いたという。「伊都の夫」という意味です。
🔶私説・海神の系譜
まだ、思考過程の仮説ですが、海神(わたつみ)の系譜を作ってみました。
※「海」を朝鮮語で「わた」「ぱた」という。神=祇=積(つみ)
※ 海神(わたつみ)=和多津見、綿津見
許家の紋章が「双魚」であることから、海神(わたつみ)につながることが理解できます。そして、天照女神のシンボルが「鯛」と「鯉」です。天照女神を祀る神社には鯛と鯉の彫刻がよくあります。双魚の彫刻もあります。

https://www.busannavi.net/korea/iseki/6411
釜山観光通訳案内士 釜山ナビ「首露王陵」
◎ 私説・海神(わたつみ)の系譜

※阿蘇氏の元の姓は「宇治」=菟道(稚郎子) うじのわきいらつこ
※志賀海神社の宮司家は安曇姓ですが、氏子さんの大部分は坂本姓です
※坂本命+彦火々出見(山王宮)+大山咋(日吉宮)→坂本山王宮日吉神社
