知識で楽しむ恋人と、印象で楽しむ私
ヴェネツィア旅行の計画中に
イタリアのヴェネツィアに行く計画を恋人と立てていた日。
恋人は、あの街の歴史や建築様式、見どころについて、ネットや本でたくさん調べていた。まるで現地ガイドでもやるかのように。
一方の私は、ほとんど何も調べなかった。調べたいとも思わなかった。
「なんで調べないの?」の問い
それに恋人が、不思議そうな顔をした。
「ねえ、なんで何も調べないの? あんまり興味ないの?」
そう聞かれて、ちょっと戸惑った。
いや、興味がないわけじゃない。むしろ、とても楽しみにしている。
でも、だからこそ、あまり知識を入れたくない。
はじめてその場に立ったときの感覚、空気、匂い、音。
そういうのをまっさらな状態で味わいたいのだ。
知識として先に知ってしまうと、「ああ、これか。写真で見たやつだ」となるのが、ちょっと惜しい気がする。
私にとっては、そこに立ち尽くす一瞬こそが、“一回目の楽しみ”なのだ。
知識があった方が楽しい、という考え方
それに対して恋人は言った。
「知らないと、なんかただ“すごい”で終わっちゃって、掘り下げられない。せっかくなら知ってたほうが楽しくない?」
なるほど。たしかに、そういう楽しみ方もある。分かる。分かるけど、やっぱりちょっとわからない。
お互いに「それってもったいなくない?」と思っている。
どちらの言い分も筋が通っているのに、なぜか噛み合わない。
そのずれがどこから来ているのか、話しているうちに少し見えてきた気がした。
育てていく恋人と、一目惚れする私
話していくうちに、ふと気づいた。
恋人は、一目惚れをしないタイプらしい。
人でも物でも、時間をかけて少しずつ理解して、だんだん好きになっていくのだという。
私は、その逆。
出会った瞬間の印象や、目の光、話し方、匂い。
そんなもので一気に心を持っていかれる。一目惚れ体質だ。
ああ、なるほど。知識で深まる人と、印象で感じる人。
その違いが、旅先での過ごし方にも出ていたのかもしれない。
趣味における“楽しみ方”の差
この違いは、趣味にもよく現れる。
恋人は、好きなアーティストや映画ができると、とことん調べ尽くす。
制作秘話、時代背景、他のファンの考察──知れば知るほど、その対象が立体的になっていくのが面白いらしい。
私はというと、そのとき感じた言葉や感情をいちばん大事にしている。
裏話や情報よりも、自分のなかにふっと湧いてきた「あ、好きだな」という感覚を味わっていたい。
情報より、感情の生まれる瞬間を大事にしたい
知識や情報を持って楽しむことも、嫌いなわけではない。
でも、それは私にとっての“本流”ではないし、あくまで知識は後付けで楽しみたい。
情報を積み上げて、知識によって意味づけしていくのではなく、
なにかに出会った瞬間に生まれる感情を、そのまま抱えていたい。
うまく言えないもやもやや、とっさに出た一言こそが、
私にとっての本当の「好き」なのだ。
予備知識がないからこそ、まっすぐにぶつかって、揺さぶられる。
そういう出会い方が、私にはしっくりくる。
二種類の「好き」がある
知識で楽しむ人、印象で楽しむ人
世界には少なくともその二種類の楽しみ方がある。
そしてそれは、どちらが優れているという話ではない。
「好きならもっと調べたら?」「本当に好きなら、詳しくなりたくなるよね」
そんなふうに言われたことが、過去に何度かある。
でも、それはきっと、知識で楽しむ恋人のようなタイプの人から見た世界なのだ。
印象で楽しむ私たちは、直感で恋をし、旅先での偶然を愛し、その場で浮かんだ言葉や感情で、ものごとを好きになる。
それは「浅い」わけじゃない。
ただ、別の角度から世界を楽しんでいるだけなのだ。
ズレたまま、同じ景色を見たい
次に新しくどこかに行くときも、私はまたあまり調べずに行くと思う。
でも、きっと恋人は、またたくさん調べて行くだろう。
それでいい。そんなふうに、違ったまま、同じ景色を見ていたいと思う。
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