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アニメ『天幕のジャードゥーガル』が10倍おもしろくなる、10個の制作裏話。

現役の大相撲力士が、チンギス・カンの声をやっているアニメをご存知ですか。そう今話題沸騰のアニメ『天幕のジャードゥーガル』の話です。

2026年7月に放送が始まったこのアニメはモンゴル出身の現役力士・玉鷲がモンゴル帝国を築いたチンギス・カン役を、同じく玉正鳳が「屈強なモンゴル兵士」役を演じています。プロの声優ではなく、現役の関取です。

正直、最初にこの話を聞いたときは「話題づくりの策だろう」と思いました。ところが、この作品の作られ方を掘れば掘るほど、これが策でも何でもなく、ずっと繰り返されてきた一貫した姿勢のひとつに過ぎないことがわかってきたんです。

原作者は-20℃のモンゴルでカメラが動かなくなり、監督は史実を破ってでも文化を今の形で描こうとし、日本人俳優は本物のモンゴル語のセリフに挑みます。どれも、やらなくてもいい選択です。字幕でごまかせるし、時代考証に従っておけば無難だし、声優なら誰でもよかったはずです。

この記事では、『天幕のジャードゥーガル』のアニメが良すぎて、もっと知りたい衝動に駆られるままに調べてしまった、制作裏側、見つかった10個の話を紹介していきます。バラバラのトリビアに見えて、実は全部が同じ判断基準でつながっていました。


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1. 現役力士が、チンギス・カンの声をやっている

モンゴル出身の現役力士2名、玉鷲と玉正鳳が声優デビューを飾りました。ともに片男波部屋の所属です。玉鷲はチンギス・カン役、玉正鳳は「屈強なモンゴル兵士」役を演じ、2人ともこのほかに複数のキャラクターを担当しています。

声優初挑戦の感想を、2人はこう語っています(製作委員会プレスリリース)。

玉鷲「最初はどんな感じでやるのかなと思いましたが、オファーしていただけて嬉しかったです」
玉正鳳「自分も元々アニメとマンガが好きだったので、最初からすごく嬉しくて、興味が沸きました」

演技力だけで選ぶなら、プロの声優のほうが安全な選択です。それでもこのキャスティングを選んだ理由は、後ほど8話目で触れる「モンゴル語をそのまま作品に入れる」という判断とつながっています。

2. 原作者・トマトスープさんはモンゴルへ何度も訪れた

© Tomatosoup
出典:https://transit.jp/article/mongolia/monthly202506_mongolia_tomatosoup_interview/

原作漫画の作者・トマトスープさんは、連載を始めるずっと前、大学生の頃に冬のモンゴルへ出かけています。訪れたのは12月。ウランバートルの街を歩き、カラコルムの遺跡まで足を伸ばしました。丘の上で写真を撮ろうとしたら、カメラが動かなくなったそうです。現地の人には「-20℃でも今日は暖かいほうだね」と言われた、と振り返っています。

連載が始まってからも、秋田書店の担当編集者と一緒に5月の再取材へ。カラコルム博物館やオゴタイの離宮跡を巡り、遊牧民のゲルを訪ねて羊肉の料理をふるまわれています(TRANSIT.jp「#これが私のモンゴル旅」)。

依頼された取材ではありません。連載が決まる前の興味でそこまでやっていたということなんですよね。

3. 構想10年。記録の多い皇后ではなく、記録の少ない女性を主人公に選んだ

アニメ化発表時、トマトスープさんはこうコメントしています。

『天幕のジャードゥーガル』を描き始めるずっと前、10年以上前から、私はモンゴル帝国の歴史に魅了されていました。『こんなアニメがあったらいいのに』とよく思っていたんです。その思いが空想につながっていきました。もしそんなアニメがあったら、どんなキャラクターが出てくるだろう、どんな物語が展開するだろう、と(Anime News Network、2025-04-14)

Anime News Network

10年以上前に夢想していたアニメが、いま本当に自分の作品として存在しています。an·an誌のインタビュー(2023-03-27)でも、学生時代に世界史へ興味を持ち始め、「先入観が覆されてどんどん好きになり」構想が続いていたことが語られています。

そして主人公の選び方が、この作品の性格をよく表しています。当初は実在の皇后ドレゲネを主人公に据えようとしていましたが、「動きのある人物がいい」という判断で、彼女に仕えたファーティマ・ハトゥンへと軸を移しました。

『天幕のジャードゥーガル』©トマトスープ(秋田書店)

ファーティマも実在の人物です。13世紀の歴史家ジュヴァイニーの『世界征服者史』に独立した章が設けられるほどには、記録が残っています。ただし皇后ほどではありません。その、記録が「ある」と「ない」のあいだの余白に、トマトスープさんは奴隷の少女シタラという出自を創作して差し込んだのでしょうか。

史実の量が多いほうを選べば、考証は楽になります。少ないほうを選べば、埋めるべき空白の責任は全部自分に返ってきます。作者は後者を選んでいます。

4. タイトルの「ジャードゥーガル」は、ペルシャ語だった

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%B3%E7%B3%BB%E6%B0%91%E6%97%8F

「ジャードゥーガル」はモンゴル語でも日本語でもなく、現代ペルシャ語に由来し、「魔術師・魔女」を意味します。jādu(魔術)に「〜する人」を表す -gar が付いた形。

主人公シタラの出身地はペルシャ、現在のイランにあたる地域です。物語の後半で彼女はモンゴル帝国側に取り込まれていきますが、タイトルだけは最後まで、彼女が生まれ持った言葉のままなんですよね

5. 監督が明かした「ディズニーを足したかった」の理由

共同監督のアベル・ゴンゴラさんは、Annecy国際アニメーション映画祭でのインタビューでこう語っています。

PHOTOGRAPH: TAMEKI OSHIRO
出典:https://wired.jp/article/science-saru-interview-2-a-witch-in-mongolia-naoko-yamada-abel-gongora/

"I wanted to add a little of that Disney look to the character acting, pushing some of the scenes to make it a bit comical."(IndieWire
「キャラクターの芝居に、ディズニーっぽい見た目を少し足したかったんです。いくつかのシーンを、もう少しコミカルにするために」

ここには、ちょっとした遠回りがあります。同じ記事は、原作漫画が手塚治虫から強い影響を受けており、その手塚自身がディズニーの影響下にあったことに触れています。そこにスペイン出身のゴンゴラ監督が、あらためてディズニー的な演技を持ち込みました。手塚を経由してディズニーが日本のアニメに根付き、時間を経て、また別の形で戻ってきたということですね。考え深い。

6. 小津安二郎とウェス・アンダーソンと、13世紀の考証

https://mantan-web.jp/article/20260618dog00m200121000a/photopage/007.html

ゴンゴラ監督は演出面の影響として、小津安二郎とウェス・アンダーソンの名前を挙げています。シンメトリーな構図、低いカメラポジション、浅い被写界深度。自然主義的な描写よりも、少し人工的なスタイルを推し進めようとした、と語っています(MANTANWEB)。

すべてのカットを均一に作り込んでいるわけではありません。逆に重要な場面やドラマチックな場面では、自然な構図や極端なパースを使う。どこに密度を集中させるかを、意図的に設計しているということです。そのうえで監督はこう言います。「ペルシャやモンゴルの文化に関しても間違いを犯したくありません」。

名前が出た人物を紹介します。

小津安二郎(1903〜1963)

日本の映画の黄金期を支えた、世界中の映画監督から神様のように尊敬されている巨匠です。

どんな映画を撮った?
普通の家族の日常をユーモアと切なさ混じりで描きました。
娘の結婚や、親子のすれ違いなど、誰もが共感できるテーマが得意です。
代表作は『東京物語』や『晩春』など。

https://aoka.camera/blogs/aoka-tripod-blog/yasujiro-ozu-camera-position?srsltid=AfmBOorUC_QApPAp5Iutr2GbFmKp5gup4npC1nyR5ReAGysxbBRcBy4R

映像の特徴
ローアングル(畳の上の視点): カメラを常に低い位置(大人が畳に座ったときの目線)に固定して撮影しました。
カメラを動かさない: 景色をじっと見つめるように、カメラをほとんど動かしません。
正面を向く登場人物: 会話のとき、役者がカメラ(画面)のほぼ正面を向いて喋る不思議なカットが有名です。

ウェス・アンダーソン(1969〜現在)

現代のアメリカを代表する、まるでおもちゃ箱をひっくり返したようなポップな世界観を作る天才です。

https://cinemore.jp/jp/erudition/861/article_867_p1.html
  • どんな映画を撮った?

    • ちょっと風変わりで不器用な家族やキャラクターたちが巻き起こす、クスッと笑えて最後はジーンとする物語が得意です。

    • 代表作は『グランド・ブダペスト・ホテル』や、日本を舞台にした人形アニメ『犬ヶ島』など。

  • 映像の特徴

    • 完璧な左右対称(シンメトリー): 画面の真ん中を中心に、左右がピシッと綺麗に揃った絵作りを徹底しています。

    • 絵本のような色使い: パステルカラーや、映画ごとに決められたオシャレな色だけで画面を埋め尽くします。

    • 真横へのカメラ移動: カメラがカチッ、カチッと真横や直角にだけ動く、ゲームのようなカメラワークが特徴です。

7. 喫煙シーンの逸話が明かす、「史実を破ってでも」という基準

これは、正確に書いておきたい話です。時代考証の顧問から、あるバザールのシーンで喫煙するキャラクターは13世紀のペルシャではありえないと指摘を受けました。山田尚子総監督はこう振り返っています。

「現代のイランのバザールに行けば、シーシャのようなものを吸っている人がたくさんいますよね」「結局そのキャラクターは使わずじまいでしたが、私たちはこういうことを頻繁にやっていました。多少時代錯誤になっても、今私たちが知っている形で文化を表現し敬意を払うために、あえて史実を破るということを」(IndieWire

このケースでは、結局そのキャラクターは採用されませんでした。でも大事なのは結果ではなく、判断の基準のほうだと思うんです。「史実として正しいか」ではなく「今の観客に、その場の空気が正しく伝わるか」を、監督は場面ごとに問い続けています。時代考証は絶対のルールではなく、説得力のために意図的に破ることもある基準として扱われています。

8. 日本人俳優が、モンゴル語のセリフに挑んでいる

https://anime-jaadugar.com/staffcast/

この作品では、複数のキャラクターが実際にモンゴル語でセリフを話します。ゴンゴラ監督によれば、モンゴル人の俳優も何人か起用したものの、大半は日本人俳優が慣れない言語でセリフを言うことになりました。その現場は「課題だった」と監督は認めています(IndieWire)。

わざわざ苦労を買ってまでモンゴル語を残した理由が、いいんです。主人公シタラには、モンゴル人たちの話す言葉がわからない。だったら観客にもわからないままにしよう、というのが制作陣の判断でした。視聴者をシタラと同じ位置に立たせるために、あえて意味の通じない音を画面に流す。同じ記事で監督がそう説明しています。

9. 監督が気づいた「思い込み」と、その描き方への異論

https://ananweb.jp/categories/entertainment/101006

山田尚子総監督は、制作を通じて自分自身の思い込みに気づいたと語っています。「奴隷」という言葉に、もっと過酷なイメージを事前に持っていました。しかし本作の主人公シタラは、奴隷という身分でありながら家族の一人として受け入れられ、衣食住だけでなく教養まで与えられます。その設定に向き合う中で、「自分の『無知からくる思い込み』に気づかされました」と振り返っています(ananweb)。

https://lostinanime.com/2026/07/first-and-second-impressions-tenmaku-no-jaadugar-jaadugar-a-witch-in-mongolia/

ただ、この描き方には海外レビューから異論も出ています。あるレビューサイト(Lost in Anime)は、本作が「良い奴隷制」と「悪い奴隷制(モンゴル帝国内のもの)」を区別しようとしている点を問題視しました。奴隷制を美化して描く作品はアニメに繰り返し現れる、という文脈からの批判です。

一方で同じレビューは、物語自体が理想化だけで終わっていないとも認めています。本作は転生もののパワーファンタジーとは違う、歴史的現実の誠実な直視がある、という評価です。

https://lostinanime.com/2026/07/first-and-second-impressions-tenmaku-no-jaadugar-jaadugar-a-witch-in-mongolia/

作中には、別の奴隷がシタラに「自分たちには法的な権利がなく、一人前の人間として扱われていない」と警告する場面があり、シタラの主人はシタラをかばって命を落とす際に彼女を「娘」と呼びます。

美談として気づきを語る監督の言葉と、その気づきが招きかねないリスクを指摘する批評。どちらか一方だけを紹介すると、この作品が本当は抱えている緊張感を見誤るのだと思います。あらゆる文化に敬意を持ち、善悪を一方的に判断しません。これは本作の制作方針そのものですが、その方針を実行することの難しさが、賛否そのものに表れているとも言えます。

10. パキスタンでは論争に、欧米では称賛に。世界の顔は一つではない

ここまでの9つは、いわば作り手が何を選んだかの話でした。最後は、その選択が世界でどう受け止められたかです。妥協しなかったことの代償と報酬が、同時に返ってきています。

パキスタンの英字紙The Express Tribuneは、本作を取り上げ、「奴隷であろうとなかろうと、ムスリムには知を求める務めがある」という作中の台詞や、「魔術師」を意味するタイトルとイスラム表象の組み合わせについて、視聴者の意見が分かれていると報じています。

イスラム教では魔術的な力への向き合い方自体が神学的に敏感な論点で、そこに「魔術師」という題名を重ねたこと自体が、称賛と紙一重の際どい選択だったとも言えます。

一方、米国系レビューサイトBut Why Tho?は同じ作品に9/10をつけ、「イスラム教の誠実な描写」であり「モンゴル人を非人間的には描いていない」と称賛しています。

どちらが正しい、という話ではありません。同じ表現が、受け手の文化的な立ち位置によって、模範例にも論争の種にもなります。世界配信のIPには、単一の「世界の観客」など存在しないということが、この1作品の初週の反応だけで具体的に見えてくるんです。

さらに、テレビ朝日での国内放送が始まる前の6月、本作はすでにフランス・アヌシー国際アニメーション映画祭のTVフィルム部門・本選に選ばれていました(同映画祭のTVシリーズ部門では『タコピーの原罪』が審査員賞を受賞しています。Anime News Network)。国内では「深夜アニメ」という顔をして、海外ではすでに「作家性の高い国際的作品」という顔を持って歩いていたわけです。

感想

10話を並べ直すと、共通するのは才能でも予算でもなく、「妥協しなかった」という決断の積み重ねです。

しかも妥協の有無は、いつも同じ場所に現れます。誰も気づかないところに、どれだけ手間をかけたか。気づかれる場所に予算をかけるのは当たり前で、気づかれない場所に手間をかけた回数が、その作品の体温になります。

記録の多い皇后でなく、余白の多い女性を主人公に選んでいます。日本語で喋らせて字幕を出せば済んだところに、本物のモンゴル語を通しました。史実の側ではなく、説得力の側に立った判断もあります。それでも、その都度、楽なほうへ流れませんでした。

地上波の深夜アニメ枠が、放送前にアヌシーの舞台に立ち、放送後にはパキスタンの新聞にまで届きます。

それは才能や運のおかげというより、この妥協しなかった回数が、本当に多い作品だからではないか。わたしはそう感じました。放送の続きが楽しみです。

朝日けけ。


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