【新入生自己紹介ブログリレー】商学部1年 大関謙二郎
慶應文学部の至宝、伊藤慧哉から新入生自己紹介ブログリレーのバトンを受け取りました、商学部1年の大関謙二郎と申します。(率直に、これから先に待ち受けている約 5,200 字を、一体誰が読んでくださるのだろうか。そうだ、Instagram ストーリー機能で宣伝しよう!同級生のみんな、ハートよろしく!)
まず、私の生い立ちについて紹介します。青森県は横浜町、自然が豊かな環境で幼少期を過ごしました。 (おいおい、横浜って神奈川県の横浜市の間違いじゃないのか?)安心してください。
青森県の下北半島に横浜町という町があります。人口 3,000 人の立派な町です!(横浜という同じ名前の縁があり、一度 NHK のとあるロケ番組で三浦大輔氏が訪れてくださいました。)そんな僕は猛勉強の末、県内一の進学校、青森県立青森高等学校に入学を果たしました。高校では、横浜の神童、略して横神(よこしん)の愛称で親しんでいただきました。

次に私の野球歴についてご紹介します。横浜町立横浜小学校で 6 年、横浜町立横浜中学校で 3年、軟式野球をしました。また、中学では上北選抜というチームで主将を務めました。この9年間は、たくさんの良き指導者に恵まれ、私の人格形成の土台になっています。中でも、上北選抜では、全国大会に出場することができました。主将として、エリート集団を引っ張る難しさを痛感すると同時に、主将というポジションのやりがいを感じることができました。
高校では、青森高校で3年間硬式野球をしました。甲子園には 4 度の出場を誇る名門校です。
ここでの3年間は私の人生を大きく変える経験ばかりでした。
私はセカンド希望で入部をしました。入部から一ヶ月が過ぎ、監督に面談の理由で呼ばれました。
「このままセカンドにこだわっていたら、3年間試合に出られずに終わるぞ。」
この言葉を聞いた時、私の野球に対する向き合い方、考え方はガラリと変わりました。 「自分の好きなようにプレーをしていてもダメだ。」私のユーティリティープレーヤー魂の形成に大きく作用しました。そこから私は、中学でアンダースロー投手だった経験を活かし、サイドスロー投手に転向しました。しかし、うまくはいきません。それと同時に、「投手大関」は次第にフェードアウトしていきます。
1年の夏休み、主力外野手の怪我により、外野手コンバートが回ってきました。キャリアで一度も経験しなかった外野手、死に物狂いでノックを受けました。今日の僕は、あの時、慣れないポジションで果敢にボールに飛び込む、若き日の自分を抱きしめてあげたいです。ありがとうの言葉を携えて。外野手としてなんとか公式戦に出る機会をもらい、いよいよ、自分たちが上級生になる学年がきました。「捕手が少ない」というチーム事情があり、私は捕手を任せられました。
「ごめんね。 」
それは、バッテリーを組んだ相方へです。彼は、140km に迫る豪速球右腕でした。県内でも名
の知れた投手でした。そんな彼を、公式戦では一度も勝たせてあげることはできませんでした。
こればかりは、捕手の私だけの責任です。
私の肩が弱かった分、クイック等に神経を使わせてしまいました。
私のキャッチングが上手くないから、思いっきり腕を振ることができなかったかもしれません。
彼は一度も、 僕に文句を言いませんでした。だからこそ、本当に申し訳ない気持ちがあります。
そんな彼は、最後の夏が終わった日の夜、僕に LINE をくれました。
「もっといいピッチャーに出会って、いいバッテリーを組んで...試合が見られることを期待しているよ。」(一部抜粋)
僕は言葉にできませんでした。
ポジションの話ばかりしていますが、私はとにかく足が遅い選手でした。ですので、スタメン
で出るには高い打撃スキルが必要でした。高3の春季予選、私は9番打者でした。「主将だから、試合で使ってもらえているのかな。」
あ、言い忘れていましたね。私は主将を任せられていました。こんな僕でも主将が務まったのは、僕を除く同期の12人のみんなと僕よりもしっかりした後輩たちのおかげです。本当にありがとう。打てない日々は苦しい。母に何十分も説教されるから。打てなかった事実だけを叱り続ける。
毎日、どんな練習をしたのか、改善するために何を工夫したか、上手く言えないとまた怒鳴り散
らされる。あまりにも怒るので、監督にメンタルを心配されたことが数回ありました。 (その分、
結果を出すと人一倍喜んでくれる母でした。)
夏の大会を残り2ヶ月に控えて、私はキャリア最大の打撃不振に陥っていました。ここでもまた、監督の金言に出逢います。「このままだと一生打てない『はんで』、打撃フォームを変えるぞ。」
( 「はんで」って何?と思った、非津軽弁圏の人へ。「はんで」は、「〜から/だから」というような理由・原因を表します。 )
監督に言われた通りに私は、打撃フォームを変えました。僕の高校時代のフォームを言語化します。元近鉄梨田選手のこんにゃく打法のようなものです。同期にも後輩にもモノマネしてもらい、大変嬉しかったのを覚えています。このフォームにしてから、私の打撃は開眼しました。キャリアで1番のスランプを乗り越え、キャリアで1番の好調ぶりでした。打順も9番から2番に上がり、1番打者の竹谷との1・2番コンビは間違いなく青森、いや、みちのくが誇る最強の1・2番コンビだったと思います。
最後の夏は2回戦で負けました。相手は慶應と縁のある弘前学院聖愛高校さんでした。聖愛さんはそのままの勢いで甲子園に行ってくれました。自分たちに勝ったチームが甲子園に行くということがこれほどにも嬉しいのかと不思議な気持ちになる程、本当に嬉しかったです。そんな聖愛から一番点数を獲ったのが青森高校の強力打線でした。6得点を奪いました。少し自慢にはなりますが、 6得点のうちの3打点は私です。(チャンスで回してくれたみんなのおかげです。本当にありがとう。 )タイムリーヒットを打ったら、やるぞと決めていたことがあります。それは、スタンドに向かってのパフォーマンスです。私は当時、ずっと片想いをしていた女性がいました。その子が観に来ることを知っていたので、その子に向かって指を指そうと思ったのです。そして、聖愛戦、4回表に私はタイムリーヒットを打ちました。 (準備してきたパフォーマンスのチャンスだ!)しかし、彼女がどこにいるか分からず、僕は空間という概念に指を指しました。(ちなみに、このお恥ずかしい瞬間が青森朝日放送の夏の高校野球大エンディングのいちばん最後の映像に使われました。)それでも、大好きな人の前で、大好きな野球の活躍を届けられたことは、僕にとって、これ以上ない幸せでした。
総じて、私の 12 年間の野球人生は、たくさんの方の支えがあったからこそ実現したものだと思います。自分一人で成し得たものは一つもありません。指導者、共にプレーした仲間、応援してくださる方々、全ての人に感謝を伝えさせてください。本当にありがとうございました。
それでは、私が軟式野球部に入部した経緯をお伝えします。
「学生のうちにしかできない親孝行」です。
私には、一人息子に3歳の頃から某大学の校歌である「都の西北」を歌わせる暑苦しい父がいます。「勉強しろ」とは一度も言わない、子ども思いの父でもありました。そんな父に小さい頃から一つだけ言われ続けたことがあります。
「大学でも野球を続けてほしい。 」
小学生の僕にこの言葉は響きません。ですが、高校野球を引退した僕には考えさせられるものがありました。父は続けていいます。 「野球を続けるというのは、単に硬式野球部の選手だけに限った話ではない。サークルもそうだし、マネージャーという立場だって野球を続けることだ。とにかく野球に関わってくれ。 」父は、東京学芸大学出身ですが、野球をしなかった大学生時代に深いコンプレックスを背負っていたそうです。息子にはそうなってほしくないという純粋な思いからの言葉でした。父の言うことを信じてみよう。一人っ子の僕は素直さだけが唯一の取り柄です。僕の目の前には、硬式野球部と軟式野球部の二択がありました。 (なぜ、団体には他に準硬式やサークルがあるのに、この二択なのか?長くなるのでここでは割愛させていただきます。)硬式野球部を選ばなかった理由はたくさんあります。いちばんの理由は、東京大学か東北大学に入らない限り硬式野球は続けないと決めていたからです。そして、私は軟式野球部の体験会に足を運びました。軟式野球部への入部を決めた理由は、 2 年の豊田崇泰さんの一言でした。
「この部活に必要だから。」
この言葉に入部を後押しされました。親孝行はもちろん、豊田さんへの恩返しもしなければいけない野球人生になると思っています。

自己紹介ブログですので、最後に、私の趣味や好きなことについて述べさせてください。(デジタルタトゥーにだけはならないように気をつけて...)
まずは、なんといっても三度の飯より大学駅伝!です。大学駅伝についてなら、24 時間喋り続けることが可能です。小さい頃から、箱根駅伝に魅了され、毎年毎年、三大駅伝はすべて追いかけています。 私は東海大学の大ファンです。今年こそは、 シード権をとってくれと祈っています。
その他にもスポーツ観戦は私のアイデンティティです。女子カーリングはなんといっても心が熱くなります。
今からこのブログの確認テストに出るところを言っておきますね。大事なことなので一回しか言いませんよ。
「私の大好きなカーリング選手は、上野結生選手です。 」 (ここ、テストに出すからメモしといて)上野姉妹の妹、上野結生選手は、安定感のあるスイープと正確なショットが持ち味の SC 軽井沢を代表する選手です。なんと言ってもその美貌。顔立ちが美しすぎます。オリンピックに出た暁には、私も現地まで足を運ぶつもりです。 (あ、プロ野球はスワローズが好きです。。。)
そして、音楽鑑賞も私の生活の一部です。indigo la End、サカナクション、ゲスの極み乙女、、、
いや、川谷絵音のバンドが3分の2を占めているやん!と誰か突っ込んでください。
失恋ソングが大好きです。なんでだろう。毎日失恋ソングを聴いて学校に登校しています。
芸人ラジオも大好きです。 ここでは2つ紹介します。
一つ目は、「マユリカのうなげろりん!!」です。二人の掛け合いがとても面白いです。私は好きすぎるあまり、同じトークを2周するほど聴いています。中でも素晴らしい回は、10回以上聞いています。
少しでも興味を持った方に、お勧めしたい回があります。#195「付き合ってくれてありがとう」です。
https://podcast.jocr.jp/podcast/6b2069aa-3552-11f0-beee-833db43ae80f/】 ←リンクはこちらから!
Spotify でも聴けますので是非!30 分を何気ないリール動画に使うくらいなら、今すぐ聴いてください!
二つ目は、王道ですが、「霜降り明星の ANN」です。ここでは多くは語りません。とにかく、最新回を聴いてください。
こう見えて、にわかアイドルファンでもあります。日韓問わず、推しを作ってしまう傾向があります。LE SSERAFIM のチェウォン、IVE のレイ、乃木坂 46 の長嶋凛桜ちゃん、、、中でも、カワイイラボは、私の守備範囲です。基本的に、箱推しというスタンスを取らせていただいています。 (勝手にスタンス取っとけ!って話ですね。すみません )自慢になりますが、 倍倍FIGHT!がバズることは、 2025 年の1月上旬に予言していましたし、スイステの SWEET STEP がバズるのも今年の2月の段階で的中させています。そんな私が今いちばん沼っている人は、ONE LOVE ONE HEART の藤咲碧羽ちゃんです。彼女の歌声とバラエティ力は唯一無二です。07 世代ということもあり、これからの活躍に期待です!
最後になりました。軟式野球部での私の目標を話して終わりにしますね。
短期的な目標は、1 年秋リーグ戦出場。2 年春レギュラー獲得です。そのためには、打撃を磨く以外ないと思います。ポジションに空きがあった時にコンバートされる選手の共通点は、一定の打力だと思うからです。また、現正捕手の大森さんが常に体調が元気とは限りません。控え捕手として、いつでも試合に出られるよう、万全の準備を心がけます。
長期的な目標は、学生監督を務めることです。なぜかというと、チームで勝利を目指すにあたり、その先頭に立ち、チームを一つにまとめたいからです。そして、選手一人一人が楽しく勝利を目指せる環境づくりをしたいからです。
やりたいからやれるポジションではないことはわかっています。ですが、私は、小中高と主将を務めてきて、成功も失敗も経験してきました。その経験を六大軟式の学生監督という立場で生かしたいと思っています。チームの信頼を得なければ、人の上には立てません。誰にも負けない声という武器があるので、それを持続させ、そして人との接し方や、道具の片付けなど、細かいことに心を配れる人間になります。
それでは、この新入生自己紹介ブログリレーのバトンを慶應経済の貴公子、兼川竜綺に渡します。
最後までスクロールしてくださり、本当にありがとうございました。
