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第1夜 選べないまま大人になった人の話 選び取る支援シリーズ#1

「どうしたい?」そう聞かれると、困ってしまう大人がいます。

「なんでもいい」「どっちでもいい」と答える。

でもそれは、本当に「なんでもいい」わけではなくて、“選んできた経験が少なかった”だけかもしれません。


小さい頃から、服は親が選んでくれた。
習い事も親が決めてくれた。
進路も、「こっちの方がいいよ」と言われて決まった。
失敗しそうなときは、大人が先に止めてくれた。それは、愛だったと思います。
大切だから、失敗しないように。
困らないように。
嫌な思いをしないように。

でも、「自分で選ぶ」という経験だけは、
少しずつ少しずつ、誰かにやってもらうことになっていきました。

そして大人になったとき、「どうしたい?」と聞かれて、初めて気づくのです。


自分は、選び方がわからない




私はこれまで、
そういう人に何人も出会ってきました。

「自分で選んできたはずなのに、
 うまくいかないことばかりで、
 もう何を選んでいいか分からない。
 だから、なんでもいい。
 どうでもいいんです。」

そう言った人がいました。

自分で選んできた。
でも、選び方を教えてもらったことはなかった。
相談の仕方も分からなかった。
失敗したときの立て直し方も分からなかった。

だから、
選ぶことが怖くなってしまった人でした。


また、別の人はこう言いました。

「分からないって言えなかったんです。
 頑張れってずっと言われてきたから。」

分からないと言えないまま、
叱咤激励され続けて、
気がついたら、
周りの顔色を見て選ぶことだけが上手になって、
自分がどうしたいのかは、
全く分からなくなっていました。



またある人は、
親も同じような特性があって、
家の中で気持ちがぶつかることが多く、
「親切」と「愛」と「支配」の区別が分からないまま
大人になっていました。


怒られないように。
嫌われないように。
捨てられないように。


その人の選択基準は、
「自分がどうしたいか」ではなく、
「愛されるかどうか」でした。

安心できる選び方を、
知らないまま大人になった人でした。


また別の人は、
お母さんにも特性があって、
家の中がいつも不安定で、
「私さえ頑張れば」
「私がいい子でいれば」
そうやってずっと選び続けてきました。

自分のためではなく、
お母さんの機嫌のために、
ずっと選んできた人でした。

そして大人になって、
適応障害や摂食障害になり、
動けなくなって初めて、

「私、自分の人生を選んできたことがなかった」

と気づいたそうです。気づいたけどどうしていいかわからず苦しんでいるようです。


選べない人というのは、
わがままな人でも、
やる気がない人でもありません。


選んでこなかった人ではなく、
選び方を知らない人なのだと、
私は思っています。


選ぶ力は、能力ではなく、経験


小さいときから、
・どっちにする?
・やる?やらない?
・こっちとこっち、どっちがいい?
・どうしたい?


そうやって、
自分で選んで、
失敗して、
困って、
また考えて、

その繰り返しの中で、
「自分で決める」という力が
育っていくのだと思います。


支援とは、
上手にできるようにすることだけではなく、

自分の人生を、
自分で選んで生きていけるようにすること。


私は、
そういう支援を
「選び取る支援」と呼びたいと思っています。

次回は、
「してあげたい支援」は悪なのか  
― タイプ別支援で考える ―

について書こうと思います。

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