崩れても戻れる家庭へ
障害のある子どもたちを育てていると、
「孤独」を感じる瞬間がありました。
同じ家に住んでいても、
日中一緒にいない人には、
あの緊張感や疲労感が伝わりにくいことがあります。
何が大変だったのか。
なぜ今日は張り詰めているのか。
どこに気を遣っていたのか。
説明しようとしても、
うまく言葉にならない日もあります。
そして気づけば、
“自分だけが全部わかっている”
状態になっていく。
仕事には、
日中いなかった人への「引き継ぎ」があります。
何があったのか。
何に注意が必要なのか。
次にどう動く必要があるのか。
チームで動くために、
それは当然のこととして共有されます。
では、家庭では?
家庭だから、言わなくてもわかるだろう。
家族だから、察してくれるだろう。
そんな思い込みの中で、
一人だけが状況を抱え込んでしまうことはないでしょうか?
「心理的安全性」という言葉を、
仕事の場面で聞いたことがある人は多いかもしれません。
安心して意見が言える。
わからないと言える。
失敗しても責められない。
困ったときに助けを求められる。
そうすることで課題がみえやすくなり生産性があがる。
そんな空気や課題意識があることで、
新しい挑戦や軌道修正がしやすくなると言われています。
逆に、「こんなことを言ったら怒られるかもしれない」「迷惑をかけたくない」「ちゃんとしなければ」「どうせ伝わらない」という気持ちが強くなると、ミスを一人で抱え込み、助けを求められず、疲れていても無理をし続ける。
結果として、組織そのものが少しずつ苦しくなっていきます。
家庭も、同じかもしれません。
予定通りにいかない毎日。
突然崩れるスケジュール。
積み重なっていく親の疲労。
先が見えない不安。
きょうだいへの気遣い。
支援者との連携。
そんな日々の中で、「疲れた」「もう無理」「助けてほしい」「どうしたらいいかわからない」を、安心して口にできない家庭は、少しずつ張り詰めていきます。
周囲に迷惑をかけないことが最優先になる。
どこに課題があって、何が必要か、
本当は何に困っているのかを考える余裕がなくなってしまいます。
そして誰か一人が、すべてを抱え込んでしまう。それはきっと、子どもだけでなく、親自身をも追い詰めていくのだと思います。
だから我が家は、「心理的安全性」なんて言葉を知らなかった頃から、必死にそれを求めてきた気がしています。
怒る日もある。崩れる日もある。
うまくいかない日もある。
それでも、あとから修正できる。
「ごめん」が言える。疲れたと口に出せる。
誰かが崩れたとき、もう一人が少し支える。
そんな、“いつでも戻れる家”を作ろうとしてきました。
これは障害のある子どもを育てる家庭だけに必要なものではなく、本当はどんな家庭にも必要なのかもしれません。
家庭もまた、毎日を一緒に回していく”チーム”だから。
では、家庭の中の「心理的安全性」は、
どうしたら育てていけるのだろう
