トラウマ多し静岡を脱した25歳‼^^
私は生まれてからず〜っと大学も
静岡で、大学卒業時にメンタルを
病んで自殺未遂しちゃう迄、25年
間ズ〜ッと静岡市での暮らし。
父のお仕事がちょいと転勤しても
静岡市内だったので、大学時に東
京や京都や北海道や海外に出て、
高校時代の仲良しの友人たちが
キャンパスライフをエンジョイし
てるのに、私の生活圏はのんびり
してる静岡のまま…。
大学入学した時点で私の人生、
「終わった」と完全に諦念…。

反抗期が子供の頃から私には一切
なかったのは、ず〜っと親の望む
「イイ子」「出来る優秀なケイコ」
の道を歩み過ぎて、激しくココロが
疲れ切ってボロボロ…。
国公立の学校教育はずっ〜と静岡で
父母の出した大学の条件「家から
通える国公立大学」へ姉も私も必
死に勉強して入学した。
それなのに偏差値の低かった妹は
お隣の愛知県の簡単には入れる教
育大学に行き、姉と私が出来なか
った大学生の一人暮らしを勉強が
デキなかったから実現でき、一生
懸命頑張ったのに「何なんだよ!!」
状態。
3日と娘の中では一番成績は良かっ
た私は、父母の条件に合う大学は
姉が行った県立静岡大学じゃなく、
イヤイヤ我慢して静岡大学に入っ
た私にはつまらない大学生活だっ
た。
東大にも京大にも行けない人達が、
何となく大学生をやりに来てる感
じの雰囲気と中途半端な暗さが、
静岡大学にあったので東京のキラ
キラしたキャンパスライフに比べ、
とてもダサいイメージ…。
そんなところに属してる自分も
イケてないダサくて、つまらない
毎日を感じていた。

大学生の間、とにかくずっとココ
ロにものすごい不公平感が募り、
暗〜い闇のココロのマグマが吹き
溜まりみたいに、私の内側に腐りに
腐って激しく狂ってしまった。
大学の単位は2年半でほぼ取り終え、
あまった時間は割のいいバイトを
しまくって、父の扶養家族をオー
ーしない程度にアルバイトでお金
を月に10万ほど稼ぐ楽しさを覚え、
好きなだけ洋服を買って、美味し
い外食やらデートやら、それなり
に憂さ晴らし的に楽しんでいたつ
もりだった。
冒険しない、チャレンジしない親の
生き方は安全・安定が何より安心で
好き保守的ファミリーで、若い当時
の私には静岡や親の近くで、親の目
が届く範囲で暮らす毎日にほとほと
嫌気がさしてた。
大学卒業し、このまま皆が進む道に
沿うような就職活動をしていたら、
ココロが限界に達して過呼吸で倒れ
た。
大学卒業しても生きる道が分からず、
メンタルを病んでしまった私の扱い
に困った父母は、私を心療内科に連
れて行った。

イイ子でいたはずの娘がまるで豹変
した様に見え「狂ったケイコ」に父
も母もショックで、激しい私のココ
ロの叫びにかなり困ったはず…。
眠れないしクレイジーな思考がグル
グル回るので、大量の睡眠薬やら
変な薬をもらったがこんなモノで
私の止んだココロは癒せないと知
っていたので全て、捨てた。
そうして10か月ほどの引きこもりが
続き、これ以上親に迷惑をかけたく
ないと思いに至り、もう生きる希望
も断たれ死にたくなってしまった。
そんな私の自殺はあっけなく失敗に
終わったので、自分がやりたい道を
癒しの仕事「足技整体」に的を絞り、
生き直す道を手探りながらもやっと
静岡市内で見つけた。
その師匠が静岡の整体院を閉め、東
京へ新規移転する話に私も乗った。
「これで静岡地獄から脱出できる‼」

足技整体のテクニックを静岡で何と
か身につけて、師匠と二人で東京に
乗り込む時はワクワクしかなかった。
東京の目黒駅から権之助坂から下っ
た所、目黒川の近くの整体院オープ
ンを師匠とアレコレ準備した。
目黒駅から近い仕事場は私にとって
足技整体師デビューができたがプロ
として、長年整体を続けてる師匠と
は明らかに技術不足の私。
でも体育会系の私には、何でも経験
だと思って忍耐力があったので起こ
る全ては、楽しい癒しの修行の毎日
にしようと思い頑張れた。
「師匠と私、整体師2人でプロとして
目黒デビュー!」と同時に、一人暮ら
しは初めてで、もうあらゆるハプニ
ングを楽しむしかない。

25歳の東京暮らしは、7万チョットの
大田区で当時は目蒲線だった下丸子
駅の近くで、オートロックのマンシ
ョンを師匠の妻が見つけてくれた。
私の静岡からのお引越しは、父に
小さなトラックを運転してもらい、
荷物を運ぶのを一緒に手伝ってくれ
たのは感謝しかない…。
当時私は物欲があまりなかったので、
質の良い衣類を選んで持参し、普段
は整体師のユニフォームがあるので、
あまり洋服等にお金をかけない暮ら
しになった。
後は、実家で使っていた固いマット
レスと冷蔵庫・電子レンジ・テレビ
デオ・アルミのラック位。
キッチングッズも、小さな1つコンロ
しかなかったので最低限にした。

東京に上京してもほぼ目黒の整体院
の中で過ごす時間が長かったので、
静岡でよくドラマで見ていた様な
オフィス勤務のキラキラ女子とは
私の上京ライフは全く違った。
せっかくの初の一人暮らしのマンシ
ョンは、疲れて帰って寝るだけ…。
でも新しい足技整体が東京ではまだ
珍しかったので、訪れる老若男女の
クライアントさんたちは様々な仕事・
環境の人が多く、さすが東京バラエ
ティに富んでいて私には人間観察が
楽しかった。
仕事場での小さなクライアントさん
とのやりとりや、足技整体のテクニ
ックUPの練習が実際に毎日出来て
信頼してくれるファンも出来たので、
忙しくもとても楽しい充実した毎日。
上京して2年後に、師匠の泥酔事件
で激しく首を絞められて命の危険を
感じて我慢の限界が来るまで2年間
の東京ライフは、ドラマみたいな
出来事も忘れられないイイ思い出。

私のコトを気に入ってくれたシニア
のクライアントさんに、夜に師匠と
飲み会に誘われたりして、美味しい
東京のご馳走を堪能したコトも多い。
私のお誕生日に真っ赤なバラの大き
な花束を貰ったり、やくざの親分に
気に入られて海外からカジノ旅のお
土産やお年玉を頂いたり、プロの社
交ダンスの先生達を施術したり、
忙しいビジネスマンやカフェを営む
経営者夫婦、恵比寿の近くで一人で
マンションに暮らす老婦人、プロの
日本舞踊の先生と仲良しになったり、
ボクサーの大学生の施術をして実際
の試合を見に行ったり…。
ドラマみたいなハプニングが多い、
充実した20代後半の毎日だった。
次に繋がる、横浜・伊豆高原・長野
県安曇野市・シアトル・アリゾナへ
と続く、私の一人暮らしの始まりは
この東京大田区が原点!

苦しいトラウマ的な思い出深い、静
岡の実家を出てから東京へ、その後
もこんなにクレイジーなお引越し人
生が始まるとはイメージしていなか
った。
親の暮らし方とは違う、私だけの生き
るスタイルを確立する上京ストーリー
は「ケイコ反抗期」の始まりのほんの
序章に過ぎなかった。
「住めば都」タイプなので出来るだけ
モノを減らしに減らして、ノマドライ
フを夫のDAVIDと来年から始める予定。
何歳になってもフットワークを軽くし、
家を持つより世界中の様々な場で、
出逢う人や文化を感じ、これかれも
旅する様に色々暮らしてみたい私。

苦しかったあの時が在ったからこそ、
今ありのまま私を生きてる実感がと
てもあり、結婚してから12年振りに
再び坊主頭になってイキイキと、私
最高の毎日を生きてる実感がある。
静岡にずっといたらきっと分からな
かった今の幸せな毎日は、「自分が
動けば世界が変わる」のを実感して
いて、これからもシンプルライフを
実践してあらゆる体験を死ぬまで
楽しもうとココロから思う。(^^♪
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