乃木坂46六期生楽曲『命の色』について―神話から人間の物語へ
乃木坂46の42枚目シングルに収録される、六期生楽曲『命の色』が2026年7月5日0時00分に先行配信になった。
作曲はナスカで、編曲は野中“まさ”雄一だ。代表曲は欅坂46『避雷針』や乃木坂46『ここにはないもの』などで、坂道シリーズの楽曲を手掛けてきた数ある作曲家群の中でも、名曲を作り出してきたタッグだ。そしてこの『命の色』はその名曲の系譜に名を連ねる、文句なしに「良い曲」だ。ではなぜこの曲が表題曲ではないのだろう?
近年、それぞれの坂道の期別曲に「良い曲」があてがわれるようになったのは、乃木坂46五期生からの流れであるように思う。もちろん、それ以前の期別曲にも「良い曲」はある。
乃木坂46であれば『アナスターシャ』や『僕が手を叩く方へ』が挙げられるが、それでもどちらかというと期別曲は期の色を表すためや、表題曲の補助として置かれることが多かったように感じる。この「良い曲」の流れは後の日向坂46四期生と五期生、櫻坂46三期生と四期生にも繋がっていく。
そもそも「良い曲」とは何か。美学的に考えると、それは聴き手が、ある音楽を価値あるものとして経験することだ。その経験は、個人の記憶、音楽経験、文化、社会的文脈に依存する。科学的には、その価値経験がどのような条件で起こりやすいかで、特に重要なのは、聴き手の予測、期待、反復、親近性、驚きである。
これらは完全な主観ではなく、一定の聴き手の集団とジャンルや文化を定めれば再現可能性がある。さらに、歴史的位置や形式の完成度、革新性や共同体内の意味など、「良い曲」を構成する要素は多い。誰がどう聴いても「良い曲」というものは存在しないが、坂道の楽曲を聴いてきたファンにとっての「良い曲」は重なってくる。
ファンが坂道シリーズの楽曲で「良い曲」として捉えるのは、2022年ごろまではその多くが表題曲だったのではないだろうか。しかし、以降の表題曲には、そのファンという一定の聴き手の集団にとってのわかりやすい「良い曲」が選択されなくなってきている。
むしろ表題曲には、賛否を生み、話題化しやすい曲が置かれている。その代わり、期別曲には「良い曲」をあてがい、さらには期ごとのメンバーそれぞれにセンターを割り振るようになった。
表題曲のセンターはそのシーンの「顔」であり、グループの核のような存在が担うべきという暗黙の了解がある。そこには特別な物語が置かれてきた。しかし期別曲のセンターなら、真ん中に立つという経験を分散でき、さらには物語としての小さなグループが誕生する。
SNSが普及し、アイドルやアーティストへの入り口は複雑化している。ショート動画や切り抜き、タイアップなど、複雑な要素が絡み、新曲が「良い曲」であってもヒットするかどうかはわからない時代に突入した。さらにはストリーミングの普及によって音楽一曲の価値は下がり続けている。
ストリーミング以後、音楽の入口は広がったように見えて、実際の聴取はチャート上位曲やプレイリスト、強い関心を持ったアーティストへと集中するようになった。
表題曲は、もはや単に「良い曲」であることだけを求められてはおらず、巨大なグループの認知の看板として機能することが優先されている。ファンにとっても新規にとっても引っかかりが残り、議論を生むための装置になった。
これまでの表題曲は、単なる話題化の装置ではなかった。誰がセンターの座につき、どんな物語が作られるのかが重要視される、グループ全体を一つの大きな存在として信じるための神話的枠組みだ。しかし現在は、グループ全体を神話として置くのではなく、それぞれの世代と一人一人をセンターとして置くという人間の物語へとシフトしていっている。
期別曲の「良い曲」は、ファン内部で共有され、新規にとってはその世代をまるごと推すための入り口になる。僕は7年ほど乃木坂46だけのファンだったが、つい最近、日向坂46の「おひさま」化した。
これは五期生楽曲の『円周率』のMVに心動かされたからで、表題曲ではなく期別曲からの参入だ。確かにグループ全体から入るよりも、新しい世代の物語から入る方がコストが低いと感じる。
乃木坂46には、AKB48を超え伝説となった一期生とその卒業の物語があった。それが継承された2022年ごろが節目となっている。欅坂46には大人への反抗、そして崩壊と櫻坂46への再生の物語。日向坂46にはひらがなけやきという下部組織からの脱却、上昇の物語がそれぞれあった。しかし、今は良くも悪くもグループは安定し、円熟しきっている。
神話は仕組みに変わってしまい、情動が十分に注がれなくなった。だから、その大きな神話は一度解体され、期別という小さな物語に分割されつつある。
これが近年の坂道シリーズに起きている事象だ。統一したプロデュースによるものなのか、行き当たりばったりなのかはわからないが、秋元康がかつてほど大きくプロデュースに関わっていないのだとすれば、これはソニーミュージックの描いている方向性の一つなのだろう。
それは明確な戦略というより、「面白いこと」という試行の積み重ねなのかもしれない。
リスクはもちろんある、それはファンが有限であるという事実だ。いくら世代ごと推す入り口を作っても、表題曲を既存のファンが楽しみにしていることに変わりはない。その神話を求めている層は思ったより厚いように感じる。
つまりここが瓦解する可能性は大いにある。期別曲はもういいぜ、表題曲もつまらない、だったら他のアイドルへ、という流れは容易に想像できる。
神話を小さな物語へ分割することは、たしかに現在の坂道において、ファンの情動を受け止める場所として機能している。しかし、小さな物語が増えれば増えるほど、それを追い続けるファンの応援(という名の資金力)は試される。永遠なるものなど、ファンにも運営にもない。
参考文献:
Benjamin P. Gold et al., “Predictability and Uncertainty in the Pleasure of Music,” Current Biology, 2019.https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6867811/?utm_source=chatgpt.com
Stanford Encyclopedia of Philosophy, “The Philosophy of Music.”https://plato.stanford.edu/entries/music/
Marta Ewa Lech, Sune Lehmann, and Jonas L. Juul, “Is it Getting Harder to Make a Hit? Evidence from 65 Years of US Music Chart History,” arXiv:2405.07574, 2024.https://arxiv.org/pdf/2405.07574
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