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教育の脱力の大切さ~教育しすぎるよりしなさすぎる方がまし

こんばんは コウちゃんです
福沢諭吉の著作を読み、生まれて2か月半の息子や中高生を見ていて、
教育について感じたことを少々。
写真は長野は木曽の「阿寺渓谷」。癒されません?

昨今、子どもの教育に関する親へのプレッシャーは高まっているような気がします。あくまで私見ですが、核家族化と少子化が進んだことによって1人の子に対する親のコミット量が多くなったからかなと思います。

親にも教師にも「子どもにこうなって欲しい」という願いがあると思います。
ですが、その思いが先行しすぎて逆効果となっている保護者や教員もいます。そんな人たちに対して、
「教育に対して力みすぎじゃない?、少し、脱力しようよ」
というのがこの記事の趣旨です。

もちろん教育は大切です。
ですが極論をいうと、
教育をしなさすぎるより教育をしすぎる弊害の方が大きいと思います。

福沢のように植物に例えるならば、

植物を外で育てているとして、その植物に適切な量以上の水や肥料をやったりすれば枯れてしまいますよね。もちろん量の問題だけでなく、質の問題もあります。その植物に合わない肥料をたくさん与えたら同様に枯れてしまいますよね。

逆に外に放置して置いたら、もちろん枯れてしまう可能性もありますが、太陽光線や雨を養分として生きていける訳です。雑草(雑草という植物はないので失礼ですが)をみれば分かると思います。

それと同じように子どもに教育サービスを与えすぎたり指導や管理が行きすぎたりすれば、自ら学習する意欲がなくなったり、自己肯定感を無くしてしまったりしてしまって、その子の根っこである人格を傷つけてしまうことになります。

もちろんネグレクトや虐待までいってしまえば別ですが、大して親が子どもを教育しなくても、もちろん親が望んだ形ではないかもしれませんが、
雑草のように子どもは周りの環境で勝手に育っていくものです。

人には生まれつき学習能力が備わっています
それを信じて、過度に手を加えすぎないことが大切だと思います。

思い通りの教育にならなかったとしても、力まずに力を抜きましょう。
そもそも「教育は不如意(思い通りにならない)」なんです。
100教え込めば100そうなるなんていう方程式はありません。
「50行けばすごい!」くらいのきもちがいいでしょう。

私は趣味でテニスをしているのですが、テニスもショットを打つ時に脱力することが大切なんです。力みすぎると逆にボールが飛んで行かない。もちろん、全く力を入れない訳ではないんですが、適度なルーズさが大切なんです。

教育も同じです。脱力・脱力。


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