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癒しを求める人が、本当に欲しいもの

癒しを求める人は多い。
けれど私は、人が本当に欲しいのは、癒しそのものではないと思っている。

では何を求めているのか。
私はそれを、心の余裕なのではないかと考えている。

癒しを求める人というのは、色々な意味で心が疲れている人なのだと思っている。
それは、何か大きな出来事があった人だけではない。
日々の人間関係、仕事、家庭、自分の役割、将来への不安。
そういうものが少しずつ積み重なって、心は疲れてしまうのだ。

そして心が疲れてくると、人は癒しを求める。
けれどその時に本当に欲しいのは、何か特別な答えでも、劇的な変化でもなく、心に少し余裕が戻ることなのではないかと私は思っている。

私は、癒しと問題解決は全く別のものだと考えている。
問題が解決したとしても、心が疲れていれば人は癒しを求める。
問題が解決して、心が疲れることは減ったとしても、すでに溜まった心の疲れがすぐに消えるわけではないからだ。

だから人は、問題がなくなればそれで終わり、とはならない。
心が疲れていれば、その心を休ませるものが別に必要になる。

ではなぜ、人は癒しを求めても癒されないことがあるのか。
私はその大きな理由の一つは、思考の忙しさにあるのではないかと思っている。

常に何かを考えている。
ああすればよかった、こうすればよかった。
これからどうしよう。
相手はどう思っているのか。
自分は間違っていないか。
そんなふうに頭の中が休まらない状態では、心にも余裕が生まれにくい。

つまり、癒されないのは、何かが足りないからというより、考えすぎて心が休めなくなっているからなのではないかと思っている。

では、本当に癒されるという状態とはどういうことなのか。
私は、ただ気分が軽くなることではないと考えている。
心に余裕があり、自分の心の感覚を把握でき、物事を客観的に見ることができる状態。
それが、本当に癒されている状態なのではないかと思っている。

心に余裕がある時、人は必要以上に自分を追い詰めない。
感情に飲み込まれず、目の前の出来事を少し離れたところから眺めることができる。

逆に余裕がなくなると、少しのことにも強く反応したり、自分の気持ちが分からなくなったり、物事を必要以上に重く受け取ってしまったりする。
だからこそ、人は癒しを求めるのだと思う。

私は、癒しを求めることは悪いことではないと思っている。
むしろそれは、自分の心がちゃんと限界を知らせているということだからだ。

癒しを求めている時は、心に余裕がなくなっているサインなのだと捉えるだけでも、自分が今どんな状態なのかが少し分かりやすくなるのではないだろうか。

癒しを求める時、人は何か特別なものを欲しているように見えるかもしれない。
けれど本当は、心が休みを求めているだけなのだと思う。

だから、癒しを求める自分を弱いと思わなくていい。
自分がだめなのではなく、心が休息を必要としているだけなのだから。
私はまず、そのことに気づくことが大事なのだと思っている。

ではどうすれば心に余裕が戻るのか。
それはまた別の話として書きたいと思っている。


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