76 久しぶりに会う前に 2/6 ミスター・バンクスを救いに
そそくさとスーパーを出て、んじゃと帰ろうとしたが大事なことを忘れてた。
「ミカエラ、どう」
「ああ」テリーが振りむき、少し目をそらし、地面を見て、空を見上げて、それから私にゆっくり視線を戻した。「歩きながら話せるか」
旧市街の真ん中、人通りが多い。テリーはゆっくり歩きながら抑えた声を出す。
「覚醒に異常はなかった。カウンセリングは家から通う」歩きながら、雑音にまみれての小声は聞き取りにくい。でもテリーが話すがまま聞いていた。
「薬自体はカスだった。箱もあったし処置も早かった。酒とコンポでやられたんだ」だいたいそんな内容だった。「タチアナが怒り狂いながら車を飛ばしてきて、オレはさんざん罵倒された」ミカエラのママ?
「いいぞ、いけいけ」
「ツレも来よった。オレより10下だぜ、あんな野郎のどこがいいんだ」
「誰のツレ?」
「タチアナだ」今の彼氏、旦那さんかも。男同士のマウントの取りあいか。
「女をコロコロ変えるキミにいわれたかないだろう」多分テリーは私より20は上だ。でも手加減はしてられない。「一緒に住んでるの?」
「もう四、五年になるんじゃないか、それよりお前医者に知り合いはいるか?」テリーが突然いいだした。
「ラテン、北アまじり。185、75キロ、黒髪、目(メ)黒、オースチン・リードのスーツに青灰のコート。靴はコーランクール、好かん」
「 私にわかるように話してよ」いってから気がついた。さっきナプキン買う時見た人か。医者? 振り向こうとしたらテリーが目の前で右手を伸ばして遠方を指した。視線が誘導された。
「振り向くな、そのまま歩け。店からついてきてる。どこでひっかけた」
私は左手の人差し指でテリーの指を指しながら聞いてみた。「なんで医者って思うの」
「昨日救急にいた。白衣だった」
アドリアンだっけ、ロバンがそんな名前をいっていた。
「一年前風疹で病院行って、そのとき会った人かもしれない。看護師バカにするクソ野郎だよ」おっと、ちょっと言葉が過ぎた。
「一般医か? 外科のはずだが」
「そんなことまで知らないよ。一言二言話しただけだ。外科なの?」
「そんな匂いがした」匂い!?「薬品、血、肺の中から来る焼けた肉の匂い」
かなり引いた。テリーってフィリップと話あうかも。
「君も前世犬だった?」
なんだこいつは、という目で見られた。
「撒(ま)くか?」
「帰る」断言一択。
ほう、っとテリーが私を見下ろした。
「君の鼻ならわかるだろ」バックを外から叩いてみせた。
テリーは笑って、「今から昨日のバー行くけど、どうだ?」
バーってポスト? 地下が馬小屋だったっていってた。スマホで時間を見る。18時すぎ。「土曜日だろ、昨日より混んでるよ」
「まだいけるだろ。昨日の話しにいくんだ、来いよ」
「気、進まない」でも馬小屋は見たい。昨日は建物どころじゃなかった「地下のぞかせてくれるかな」
ふたつ返事でかえされた。
なんで私は乗せられてるんだ、思いつつも歩きだす。まっすぐなら2分で着くところを、テリーはわざと混んだ通りを選び、車道を横切り裏道を選び、駅裏通って町に戻る。おかげで大盛況の時間やん。
前にあるラクレットレストランも繁盛している。テリーがまずラクレット屋で昨日の金を払ってくるという。
「払ったよ」言葉が通じなかったみたいなので私は表現を変えていってみる。「支払いした」
異星人を見る目が降ってきた。もう何回目だよ。
「実は私、先月から働きはじめたんだ」
テリーはつくづく私を眺めていった。「払う女を初めて見た」
耳を疑った。
ツッコミどころが多かったけれど息を吸って返す。「踏み倒す女になりたくなかったんだよ」続けて何となくいってしまった。「今度からご飯食べる時は先にカード渡してよね」
テリーは内ポケットに手をつっこむと財布を開き、ほいっとカードを渡してきた。
カードを両手で持ちながら呆然としていると、テリーが大笑いしながら取り戻した。「飽きない奴だな、まあ行くぞ」なんか訳の分からないまま、テリーのあとをついて行った。
薄暗くて空気が薄くて、内装はよくわからない。昨日ミカエラがつっぷしていたテーブルは大人のグループが陣取っている。空のグラスがいくつも並んでいる。ポテトをつまみながら聞こえてくるのは英語だろうか。テリーはカウンターでウェイトレスに声をかけた。案の定話しこみはじめた。私は手持ちぶさたこの上ない。ちらっと見回したが上背がありすぎて見通しが聞かない。見知った顔を探すどころじゃない。そもそも私と今話したい工場の人はいないだろう。
壁に白黒の写真がかかっている。シンプルに、アルコールを飲む人たち。ワイン、ビール、宴会、縁側で日本酒? みんな絶妙な角度で写されている。ニ、三度見なおして気がついた。映画の呑みショットの加工版じゃん。カサブランカの乾杯、デンマークのドランク、フランスの大統領の料理人が勤務した南極基地のお別れパーティ、ハリポの酔っぱらいハグリッド、そのへんはわかる。ほかにも海辺で独り飲みをしている女性、ホワイトクリフでラッパ飲み、ごちゃついた建物の陰で酒くらうやせ男、そしてゴミ箱? 枯草入れ? コンポスト?の中から酒瓶を取り出す少女。
Saving Mr. Banksだ。ウォルト・ディズニーの約束。
はじめてロバンに誘われた映画だった。
オンナのコならディズニー大好きと思ってるんか、思いつつ断った。
「今から学校なんです」
住処がバレはしたけれど、まだ顔見知りだった頃だ。町で偶然会って誘われた。
「字幕フランス語だよ」
いやさすがに、英語で聞く方が楽でしょう。「学校もフランス語です」
「行こうよ、僕ひとりで見たくないんだ、寝てたら起こしてくれる人が必要だから」
「私だって英語の映画でフランス語字幕なんて寝てしまうの一択です。友達と行ってください。私ディズニー嫌いなんです」
「同僚とは休みが合わないし、僕自身今日しかないんだ。ディズニーっていってももとはオーストラリアの脚本で、話がウォルト・ディズニーの半生に関わってくるからアメリカに打診して、そこから製作の流れになっただけなんだ。制作者にとってもディズニーは壁だったんだ。脚本は全く別角度だよ」
実写でアニメじゃないとかも説明された。
この人、こんなにしつこく押してくるヤツだったのか、はじめて圧倒されかけた。
「映画代はもちろん出す、ポップコーンも付けるから」
「いや自分の分は自分で出すから」
お金の話のはずだったが、なんだか「じゃぁ急ごう」と映画館に向かう流れになってしまった。
フランスの映画館は初めてで、フランスで映画ならポップコーンよりフレンチ・フライじゃないんだろうか、そんな好奇心があったのは本当だ。
映画は、メルボルンの青空からはじまった。
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