TOEIC300点、英語も話せない僕が日本を逃げ出した“その後”のリアル。
正直に言うと、僕は日本から逃げました。
新卒の車の営業で、社内1位。 成功していた“はず”なのに、心は毎日、不安で、怖くて、仕方がなかった。 「このまま終わってしまうのが、何よりも怖い」 そんな正体のわからない焦りから逃げるように、僕はカナダ行きの飛行機に乗りました。
これは、TOEIC300点だった僕が、何度もプライドをへし折られながら、スペインのミシュランでスーシェフ(副料理長)になるまでの、泥臭くて最高の逆転劇の記録です。
今のあなたにも、どこか重なる部分があるかもしれません。
① 「数字」は出せても、「自信」がなかった営業マン時代
「すごいね」と褒められるたびに、冷や汗が出るような感覚。 営業成績198%。社内トップ。でも、それは「会社が用意したレール」の上を走っていただけでした。
「もし今、この看板を失ったら、自分には何が残るんだろう?」
そう思うと、夜の静寂が怖かった。 あなたも、そんな「埋まらない心の穴」を感じたことはありませんか? 僕はその穴を埋めるために、ベッカムへの憧れという子供じみた夢を握りしめ、3年目の半ばで退職届を叩きつけました。
② カナダ:注文一つ聞き取れず、客に呆れられたあの日
「なんとかなる」と飛び込んだカナダ。現実は、そんなに甘くありません。 語学学校の初日、先生の言っていることが「雑音」にしか聞こえない。 ジャパレスのバイトでは、お客さんの注文が一度で聞き取れず、ため息をつかれ、鼻で笑われました。
「ごめん、もう一度いい?」 その一言を言うのが、死ぬほど情けなくて、恥ずかしかった。 日本で「営業トップ」だったプライドは、数日でボロボロに砕け散りました。
でも、どん底まで落ちて気づいたんです。「完璧じゃなきゃいけない」と思っているのは、自分だけ。 同僚と泥酔しながらカタコトで笑い合った夜、初めて英語が「僕の言葉」になった気がしました。
③ ドイツ・ノルウェー:「あ、俺終わったかも」と思った瞬間
ヨーロッパへ渡っても、試練は追いかけてきました。 ドイツでは家探しの詐欺まがいのトラブルで全財産のほとんどを失い、ノルウェーではコロナで街がロックダウン。
「もうダメかもな。日本に帰ろうか。」
そんな弱音が、何度も頭をよぎりました。 貯金は底をつき、仕事もない。窓の外を眺めながら、自分の無力さに涙が出たこともあります。 でも、そんな僕を救ってくれたのは、ルームメイトの「生きてりゃなんとかなるよ」という適当な一言でした。 何もなかったからこそ、必死にウェブ制作を学び、物販に挑戦した。 ここで踏ん張った経験が、のちに僕を支える「根拠のない自信」へと変わっていきました。
④ スペイン:スペイン語ゼロ。それでもミシュランの門を叩いた
スペインへ来た理由は、ただ「スペイン語を話せるようになりたかった」から。 相変わらずの無鉄砲さで、Googleマップで見つけたレストランへ片っ端から履歴書を送りつけました。
返信が来たのは、あろうことか「ミシュラン」の星を持つ店。 面接はボロボロ。何を言っているか分からない。 でも、キッチンに立てば、言葉の壁を情熱で越えられるはずだと信じていました。
必死に食らいつき、見て、動いて、体で仕事を覚える日々。 言葉が通じない悔しさを、包丁を握る手に込めた。 そして2025年1月。僕は正式に、その店のスーシェフ(副料理長)として契約書にサインをしていました。
⑤ 英語が話せない、と悩んでいるあなたへ
当時の僕は、たぶん今のあなたと同じでした。 「英語ができないから無理」「自分には才能がない」 そうやって、動けない理由ばかりを探していました。
でも、保証します。 教科書を完璧にするより、恥をかきに行くほうが、100倍人生は動きます。 完璧な計画なんていらない。必要なのは、今の環境から一歩はみ出す、少しの「逃げる勇気」だけです。
英語ゼロ、スキルなし。 そんな僕でも、スペインのミシュランで「おいしい」を創り出せています。 証拠は、ここにあります。
まとめ:次に飛び出すのは、あなたの番です。
もし今、「挑戦したいけど怖い」と思っているなら、まずは小さな一歩でいい。 気になる国の求人を覗いてみる、憧れの店に、翻訳機を使ってでもDMを送ってみる。
それだけで、半年後の景色は、想像もつかないほど変わっています。
あなたの「いつか」は、今日この瞬間から始まります。 この記事が、あなたの“最初の一歩”になれば嬉しい。
数年後、あなたの物語もどこかで聞かせてください。
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