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漢字の宇宙。「本」15-12 本質は、どこに現れるのか

「本質」という言葉は、少し重たい言葉。

本質を見抜く。
本質を問う。
本質に迫る。
本質的な問題。

そう言うと、何か抽象的で、
難しいもののように感じられます。

けれども、私たちは日常のなかで、
案外よく
「本質」に触れているのではないでしょうか。

本質に触れる

たとえば、何気ない一言に、
その人らしさが出ることがあります。

大きな場面ではありません。
立派な挨拶でもありません。
十分に準備された説明でもありません。

むしろ、
ふとした返事。
誰かが困っているときの目線。
忙しいときに出る言葉。
思いどおりにいかなかったときの態度。
人が見ていないところでの振る舞い。

そこに、
その人の何かが現れることがあります。

その人となり

それは、
プロフィールや肩書きには
書かれていないもの。

本人が自分について語る言葉より、
もっと深いところからにじみ出てくるもの。

「この人は、こういう人なのだな。」

そう感じる瞬間があります。


本質の現われ

本質とは、
どこか奥に隠された芯のようなもの。

けれども、それは
奥に閉じ込められているだけではありません。

むしろ本質は、
日々の振る舞いのなかに、
少しずつ現れてくるものです。

声の調子に。手の動きに。
間の取り方に。選ぶ言葉に。
何を急ぎ、何を待てるかに。
何を恐れ、何を手放せないかに。

「本質」とは、
現象の向こう側にあるもののように思われがちです。

しかし本質は、
現象から離れた場所にあるのではなく、
現象のただ中に、
何度も姿を変えながら現れているのかもしれません。

エッセンス

本質とは、英語で言えばエッセンス。

エッセンスとは、
全体を長い時間かけて煮詰め、凝縮したもの。

ちょうどスープのブイヨンのように、
そこには素材のすべてが溶け込んでいます。

玉ねぎも、人参も、骨も、香草も、
それぞれの姿は見えなくなっている。

けれども、その一滴のなかに、全体の味が宿っている。

本質とは、そのようなものではないでしょうか。


部分に宿る全体


それは、
全体から切り離された一部分ではありません。

むしろ、
部分のなかに全体が宿っている状態。

細部に、その人の生き方が凝縮されている。

ひとつの言葉のなかに、長い時間が詰まっている。

ひとつの所作のなかに、
その人が何を大切にしてきたかが現れている。


本質を知る

だから、本質を見るとは、
大きな説明を聞くことだけではありません。

小さな現れに耳を澄ますこと。
細部に宿る全体を感じ取ること。

まだ言葉になっていないものを、
ひとつの表情、
ひとつの沈黙、
ひとつのためらいのなかに読み取ることです。


AIの時代に考える

この感覚は、
AI時代を生きる私たちにとって、
いっそう大切になるように思います。

AIは、
大量のデータから傾向を見つけ出します。

ある言葉と別の言葉が
どれほど結びつきやすいか。

ある行動のあとに、
どのような結果が起こりやすいか。

相関関係を読み取り、確率によって判断します。
それはとても強力な思考の仕方です。

けれども、
相関関係を読むことと、
本質を感じ取ることは同じではありません。

ブイヨンの味は、
材料の一覧表だけではわかりません。

何グラムの野菜、
何時間の加熱、
どの成分がどれだけ含まれているかを調べても、
その一口がもつ深みは、まだ十分にはわかりません。

本質とは、
データの量によって
そのまま現れるものではありません。

むしろ、小さな部分、細部に、
その全体が凝縮されて現れるところにあります。


再び「本」について考える

「本」という漢字には、
木の根もとを示すしるしが含まれています。

見えている枝や葉を支えている、
いちばん根に近いところ。

ものごとは、実はそこから立ち上がってくる。

本質もまた、
奥にありながら、表に現れる。

隠れていながら、
ふとしたふるまいのなかににじみ出る。

全体でありながら、細部に宿るもの。

だから、本質を問うとは、
はるか遠くにある何か抽象的なものに
向かうことではありません。

目の前の小さな現れに、深く触れること。

その一滴のなかに、
どれほどの時間と世界が
溶け込んでいるのかを感じ取ること。

本質は、どこか遠くにあるのではありません。

それは、いまここにある細部に宿り、
小さな声であなたに何かを呼びかけているのです。