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世界のファッション誌と日本の歴史。1800年代〜1900年代の年史で比べると、日本の洋服文化はどれだけ遅れていたのか。そして、どれほどの勢いで追いついたのか。

ファッションに関わる人間として、この問いはとても重要だと思っています。

現代の日本は世界でも有数のファッション大国です。東京コレクションは世界四大コレクションに次ぐ注目度を誇り、原宿・渋谷のストリートカルチャーは海外メディアが定期的に特集するほどです。でも、その「現在」に至るまでの道のりを知っている人は意外と少ない。

1800年代の日本と世界のファッション界を並べて見ると、その差がとてつもなく大きかったことがわかります。そして同時に、日本がいかに驚異的なスピードで追いついたかも、見えてきます。


1800年代前半——世界がファッションを「情報」にしていた時代

まず、世界のファッション史の流れを整理します。

ファッション情報の伝達という意味では、すでに17世紀のフランスに遡ります。1672年、フランスで「メルキュール・ギャラン」という雑誌が創刊され、ファッション関連の記事を掲載したのが最初期の記録とされています。当時のファッション情報の伝達手段は「パンドラ」と呼ばれるファッションドール(服を着せた人形)で、最新のスタイルをヨーロッパ各国の宮廷に届けていました。

1797年にはパリで「ジュルナル・デ・ダーム・エ・モード」が創刊。銅版画によるファッションイラスト(ファッションプレート)を豊富に掲載し、ファッション情報が一気に広まる礎となりました。これが「ファッション誌」の原型とされています。

この頃、日本はどうだったか。

江戸時代の後期です。人々は着物を着て、町人文化が花開いていた時代。歌舞伎役者や遊女が流行の発信者として機能していました。それはそれで豊かな文化でしたが、「服の情報を雑誌として広める」という概念は存在していませんでした。


1818年〜1867年——ブランドと雑誌が生まれた時代

1818年、ブルックス ブラザーズがニューヨークで創業します(前回の記事でも触れましたが)。世界最古のファッションブランドとして知られるこの店は、1849年にはアメリカ初の既製スーツ販売を始めました。「服を既製品として売る」というビジネスモデルの誕生です。

1837年、エルメスがパリで創業(当初は馬具店)。
1854年、ルイ・ヴィトンがパリで創業(当初はトランク・旅行用品店)。

そして1867年、アメリカ・ニューヨークで「Harper's Bazar(現:Harper's Bazaar)」が創刊されます。現在も続く世界最古の現役ファッション誌です。

1867年といえば、日本では大政奉還の年です。徳川幕府が政権を朝廷に返上した、まさに江戸時代の終わりの瞬間。国民の99%以上が着物を着ていたその年に、アメリカではすでにファッション誌が生まれていました。


1868年〜1880年代——明治維新と、遅すぎた洋装の始まり

1868年、明治維新。日本は近代国家建設に向けて急速に舵を切ります。この年、それまで町人・百姓に課されていた洋服禁止令が解除され、洋装が全面的に解禁されました。

しかしここで重要なのは、「解禁された」だけで、「広まった」わけではなかったということです。

1871年(明治4年)、郵便業界の制服に洋装が採用されます。
1872年(明治5年)、文武官の服装が正式に洋服と定められました。

つまりこの時点で洋服を着ていたのは、官僚・軍人・一部の上流階級の男性だけ。女性はほぼ全員が和装のままでした。

一方、同じ1872年の世界を見ると——ヴォーグ誌の創刊は1892年ですが、パリではすでにオートクチュールが確立されつつあり、チャールズ・フレデリック・ウォルトが宮廷向けの高級服を仕立てていました。ファッションはすでに「産業」として動いていたのです。

1883年(明治16年)、鹿鳴館が開館します。海外の外交官を接待するための社交場で、ここで初めて一部の上流階級の女性が洋装(ドレス)を身にまとうようになりました。しかしそのドレスはヨーロッパから輸入したもの。日本人が自分で洋服を縫う技術はまだほとんど存在していませんでした。


1892年〜1900年代——ヴォーグ創刊。日本はまだ着物の時代

1892年、アメリカ・ニューヨークでヴォーグが創刊されます。

創刊当初は週刊の婦人向け総合誌でしたが、1909年にコンデ・ナストという出版人の手に渡ってから大きく変貌。都会的でグラフィカルな高級モード誌へと進化していきます。

同時代の日本では、まだ一般市民は着物です。洋装が「当たり前」になるのはまだ先の話でした。

1896年、ブルックス ブラザーズがボタンダウンシャツを発明します。
1900年代初頭、パリではシャネルがデビュー前、ポール・ポワレがコルセット廃止を提唱し始める時代です。

この頃の日本はというと——洋装化は「上から下へ」ゆっくりと進んでいる段階でした。都市部の一部の知識人・公務員男性が洋服を着るようになってきましたが、女性はほぼ和装のまま。一般庶民に洋服が届くのはまだ遠い未来の話です。


大正時代(1912〜1926年)——ようやく一般へ。しかし世界との差は歴然

大正時代に入ると、ようやく洋装が都市部の一般市民へも少しずつ広がっていきます。

関東大震災(1923年)が、実は洋装普及の転機になったとも言われています。着物は動きにくく、災害時の避難に不向きでした。震災後、女性の間でも動きやすい洋装への関心が高まっていきます。

同じ1923年、パリではシャネルが「リトル・ブラック・ドレス」の概念を確立しつつあり、ファッション界は新たな時代に突入していました。

1936年(昭和11年)、日本でついに本格的なファッション誌が生まれます。宇野千代による『スタイル』、そして同年に創刊された『装苑』です。

ヴォーグの創刊(1892年)から44年後。ハーパーズ バザーの創刊(1867年)からは実に69年後のことでした。


戦後の大逆転——日本のファッションが世界と並ぶまで

1945年、終戦。日本は焼け野原からの復興を始めます。

ここからの日本のファッション文化の成長スピードは、世界的に見ても異例のものでした。

1949年、日本初の男性ファッション誌「洋装」が創刊。
1955年、「MEN'S CLUB」創刊。アイビーファッションを日本に広める役割を担います。
1970年、「an・an(アンアン)」創刊。日本のファッション誌の歴史において決定的な一冊となり、女性ファッション誌の新時代が始まります。翌年には「non-no」も創刊。

1975年、山本耀司と川久保玲(コム・デ・ギャルソン)が東京コレクションに登場します。
1981年、その2人がパリコレクションに進出。黒を基調にした「ボロルック」は世界に衝撃を与えました。西洋のファッション界が「日本」に初めて本気で注目した瞬間です。

1999年、ヴォーグ・ジャパンが創刊。世界で最も権威あるファッション誌が、日本版を出すという事実そのものが、日本市場のファッション水準の到達点を示していました。


まとめ——約100年の差を、約50年で埋めた

整理するとこうなります。

世界(欧米)がファッション誌を生み出した1867年〜1892年、日本はまだ着物の国でした。洋服の概念すらほとんど存在しなかった。

日本が本格的なファッション誌を持てたのは1936年。ほぼ100年の差がありました。

しかしその後、日本はわずか40〜50年で世界と肩を並べるファッション文化を作り上げました。山本耀司・川久保玲のパリ進出(1981年)、ヴォーグ・ジャパンの創刊(1999年)、そして東京ストリートカルチャーへの世界からの注目。

明治維新の1868年から数えれば、わずか130年足らずで、着物から世界最先端のファッション文化を生み出す国になったわけです。

「遅れていた」のは確かです。でも、そこから追いついたスピードもまた、世界でも類を見ないものでした。

そのことを知ったうえで服を見ると、今わたしたちが当たり前のように手にしているファッション誌やブランドの意味が、少し違って見えてくるかもしれません。

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