POLO Ralph Laurenって知ってますか?ブロンクスの貧しい少年が、世界最大のファッション帝国を築くまでの物語。
「POLO Ralph Lauren(ポロ ラルフ ローレン)」というブランドを知らない人は、ほとんどいないでしょう。
胸元に刺繍されたポニーのロゴ、カラーバリエーション豊富なポロシャツ、アメリカントラッドの象徴としての揺るぎない地位——これほど認知度が高いブランドでありながら、「なぜPOLOという名前なのか」「ラルフ・ローレンという人物はどんな人物だったのか」をきちんと知っている方は意外と少ないのではないかと思います。
今回は、このブランドの本当の出発点——創業者の生い立ちから、名前の由来、そしてブランドが世界に広まっていくまでの歴史を、じっくりと深掘りしていきます。
本名はラルフ・リフシッツ——ブロンクスの貧しい移民家庭から始まった
まず、多くの人が知らない事実から始めます。
「Ralph Lauren(ラルフ・ローレン)」は本名ではありません。本名は「Ralph Rueben Lifshitz(ラルフ・ルーベン・リフシッツ)」といいます。
1939年10月14日、ニューヨークのブロンクス区に生まれました。両親はベラルーシ(旧ソ連)出身のユダヤ系移民で、父フランクは家屋塗装業を営んでいました。家族6人が小さなアパートで暮らす、典型的な労働者階級の家庭です。
少年ラルフには、しかし、強烈な夢がありました。映画や雑誌で目にする「上流階級のアメリカ人の暮らし」への憧れです。貧しい移民の子として育ちながら、いつか自分もあのような生活を手に入れたいという気持ちが、少年の心の中で育っていきました。
高校時代、ラルフと兄はある決断をします。「Lifshitz(リフシッツ)」という姓を「Lauren(ローレン)」に変えたのです。理由は明快で、ユダヤ系の姓が当時のアメリカでは差別の対象になりやすかったからです。しかしこの決断が、後に大きな意味を持ちます。「Ralph Lauren」という響きが、彼が目指していた「洗練されたアメリカ」のイメージに、驚くほどぴったりとはまっていたのです。
ブルックス・ブラザーズで学んだ「本物」の感覚
高校卒業後、ニューヨーク市立大学バルーク校でビジネスを学び始めたラルフでしたが、2年で中退します。「実際にビジネスをする方が早い」という判断からでした。
1962年から1964年までアメリカ陸軍に入隊し、除隊後に就いた最初の仕事が、ブルックス・ブラザーズでの販売員でした。
このブルックス・ブラザーズでの経験は、ラルフにとって決定的な意味を持ちます。1818年創業、アメリカ最古のファッションブランドで、アメリカントラッドの本質を、まさに現場で学んだのです。ポロカラーシャツ(ボタンダウンシャツ)の本家であり、歴代大統領が愛用してきたブランドの売り場に立つことで、ラルフは「本物の品質と伝統とはどういうものか」を体感的に理解していきました。
1967年、ネクタイ1本から始まった帝国
1967年、ラルフは当時のトレンドとは真逆のアイデアを持っていました。
当時のファッション業界は、細いネクタイが主流でした。しかしラルフは「幅広のネクタイを作りたい」と考えていました。ネクタイメーカーのボー・ボランメル社にデザイナーとして入社し、幅広のネクタイをデザイン。これが若者に大いに支持されます。
この成功を足がかりに、ラルフは独立を決意します。しかし当時、資本は何もありませんでした。ここで手を差し伸べたのが、実業家のノーマン・ヒルトンです。5万ドルの融資を受けたラルフは、1968年に「Polo Fashions(ポロ・ファッションズ)」を設立し、自身のブランド「Polo(ポロ)」をスタートさせます。
ネクタイ1本から始まった、のちに世界最大規模のファッション帝国への第一歩でした。
なぜ「POLO」という名前なのか
「Polo(ポロ)」というブランド名の由来は、馬を使って行う球技「ポロ競技」です。
ポロとは、4人1チームで馬に乗り、マレットと呼ばれる長いラケットでボールを打ち合い、相手のゴールに入れることを競うスポーツです。紀元前6世紀のペルシャ(現イラン)を起源とし、騎馬隊の軍事練習として発展。19世紀にイギリス人によって近代的なルールが整備され、英国の上流階級が好んで嗜む「貴族のスポーツ」として確立されました。
ウィリアム王子やヘンリー王子もかつてポロを楽しんでいたことで知られており、現在の世界ナンバーワンのポロ大国はアルゼンチンで、選手数6,000人、ポロクラブ270チームを誇っています。
ラルフ・ローレンがこの競技名をブランド名に選んだのは、ポロが「上品で、国際的で、エレガント」なスポーツとしてのイメージを持っていたからです。ブロンクスの貧しい移民の子として育ち、上流階級の生活に憧れ続けたラルフにとって、ポロ競技が象徴するライフスタイルは、自分が作り出したいブランドのイメージそのものでした。
さらに、ブランドのアイコンとして採用された「ポニーに乗るポロ選手のロゴ」も、この競技に由来しています。馬に乗りマレットを構えたシルエットは、現在も世界中で認識されるブランドの象徴として機能しています。
1972年、象徴的なポロシャツの誕生
1968年の創業後、ラルフ・ローレンはメンズウェアのライン展開を拡大し、1970年と1973年に服飾業界の名誉ある賞「コティ賞」を受賞します。
そして1972年、ブランドを象徴するアイテムが誕生します。胸元にポニーロゴの刺繍が入った「ポロシャツ」です。最初のコレクションで24色展開という、当時としては非常に大胆な色数での投入でした。
このポロシャツが、アメリカントラッドの代表的アイテムとして世界中に広まっていきます。現在では「ポロシャツ」という言葉そのものが、ラルフ・ローレンのポロシャツを指すほどにブランドとアイテムが結びついています。
映画との深い関わりが、ブランドの地位を不動にした
ラルフ・ローレンというブランドの世界観を一気に広めたのが、映画とのコラボレーションでした。
1974年、映画「華麗なるギャツビー」の主演・ロバート・レッドフォードの衣装デザインを担当します。F・スコット・フィッツジェラルドの原作で描かれた1920年代のアメリカ上流階級の世界を、ラルフ・ローレンが衣装で体現しました。
さらに1977年には、映画「アニー・ホール」でヒロインを演じたダイアン・キートンがラルフ・ローレンの衣装を着用。その着こなしは「アニー・ホール・ルック」として一世を風靡し、女性ファッションにも大きな影響を与えました。
単なるアパレルブランドではなく、「生き方」「ライフスタイル」を提案するブランドとして、ラルフ・ローレンの地位が確立されていったのは、こうした映画との親和性があったからでもあります。
1986年、パリにアメリカ人デザイナー初の路面店
1986年、ラルフ・ローレンはパリにアメリカ人デザイナーとして初の路面店をオープンします。
ファッションの本場であるパリに、アメリカのブランドが打って出るという出来事は、当時のファッション業界において非常に大きな意味を持ちました。ヨーロッパのモードに対して、アメリカントラッドを堂々と対置させたという意味でも、歴史的な出来事でした。
1992年のバルセロナ・オリンピックではアメリカ選手団のユニフォームを手がけ、以後ラルフ・ローレンはアメリカのオリンピック公式スポンサーとして、選手団のユニフォームを担い続けています。
1997年、株式公開——ネクタイ一本から億万長者へ
1997年、ラルフ・ローレンは会社を株式公開します。ブロンクスの貧しい移民家庭の息子が、アメリカ最大のファッション帝国を作り上げ、ニューヨーク証券取引所に上場させたという事実は、まさに「アメリカン・ドリーム」の体現でした。
現在のラルフ・ローレン・コーポレーションは、世界70カ国以上に展開するグローバル企業です。POLO Ralph Lauren、Ralph Lauren Collection、RRL(ダブルアールエル)、Polo Sport など、多数のラインを傘下に持ち、ファッションだけでなくホームファニシャング、フレグランス、レストランにまで事業を広げています。
日本には2006年に表参道のフラッグシップストアをオープン。現在も日本市場においてアメリカントラッドの代表ブランドとして根強い人気を誇っています。
まとめ:ブロンクスの少年が描いた「アメリカの夢」が、世界を変えた
ラルフ・ローレンの歴史は、「夢を持った少年が、名前まで変えて自分のブランドを作り上げた物語」です。
差別を避けるために姓を変えた「ローレン」という名前、上流階級への憧れから選んだ「ポロ」というブランド名、ブルックス・ブラザーズで学んだ「本物」の感覚——これらがすべてひとつに結びついて、POLO Ralph Laurenという世界的ブランドが誕生しました。
次にあのポニーロゴを目にするとき、ブロンクスの小さなアパートで「いつか上流階級の生活を手に入れたい」と夢見た少年の姿が、少しだけ頭に浮かぶかもしれません。
