「こういうファッションはダメ」を発信している人へ。その押し付け、一番ダサいですよ。
SNSを開くと、定期的に流れてきます。
「○○な服装はNGです」
「これをやっている人は残念」
「年齢に合わない服を着ている人の特徴」
「センスがない人がやりがちなコーデ」
「これをやったら終わり」
ファッションの「NG」「ダメ」「残念」を断言するコンテンツが、バズります。いいねがつきます。拡散されます。「わかる」というコメントが並びます。
私は毎回、同じことを思います。
その押し付け、一番ダサいですよ。
「NG」を断言する人は何者なのか
まず根本的な問いを立てます。
「こういうファッションはダメ」と断言しているその人は、一体何者なのでしょうか。
ファッションデザイナーですか。スタイリストですか。長年ファッション業界で経験を積んできた人ですか。
もちろんそういった背景を持つ人が発信している場合もあります。でも多くの場合、肩書きは「ファッション好き」「おしゃれ好き」「ファッション系インフルエンサー」あたりです。
「ファッションが好き」と「ファッションの正解を他人に押し付ける権利がある」は、まったく別の話です。
料理が好きな人が「この食べ方はダメ」と他人の食事に口を出したら、おかしいですよね。音楽が好きな人が「その聴き方は残念」と言い始めたら、うるさいですよね。
なぜファッションだけは、好きな人が他人にNG判定を下せると思っているのか。そこが根本的に疑問です。
「NG」コンテンツがバズる理由
でも、こういうコンテンツはバズります。なぜか。
理由はシンプルです。「正解を知っている側」に立てる快感があるからです。
「これをやっている人は残念」というコンテンツを見て「わかる」と言える人は、「残念な側ではない自分」を確認できます。「センスがない人の特徴」を読んで「自分は当てはまらない」と安心できる。
これは優越感の消費です。「NG」を設定することで、その基準をクリアしている人間の自己肯定感が上がる仕組みになっています。
コンテンツ側も、それをわかって作っています。「NGを知ることで、あなたのセンスが上がる」という構造で、「NG情報を知っていること=センスがいいこと」という錯覚を提供している。
でもこれは錯覚です。他人のファッションをNG判定できることと、自分がおしゃれであることは、まったく別のことです。
「ダメ」の基準は、誰が決めたのか
「こういうファッションはダメ」という発信に対して、最も根本的な問いを投げます。
その「ダメ」の基準は、誰が決めたのですか。
ファッションに絶対的な正解はありません。これはファッション史を見れば明らかです。
かつて「下品」とされたミニスカートは、今では普通の服装です。「不良の服」だったジーンズは、今やフォーマルシーンにも使われます。「だらしない」と批判された腰パンには、文化的な背景があります。「女性らしくない」と言われたパンツスタイルは、今では誰でも着ます。
ある時代に「NG」とされたものが、別の時代には「スタンダード」になる。ある文化圏で「おかしい」とされるスタイルが、別の文化圏では「かっこいい」とされる。
「ダメ」の基準は、時代と文化と個人によって変わります。普遍的な「ファッションのNG」など、存在しません。
にもかかわらず、あたかも絶対的な正解があるかのように「これはダメ」と断言するのは、自分の好みを普遍的な基準であるかのように偽っているということです。
特に腹が立つ「年齢」と「体型」への言及
SNSのファッションNG系コンテンツの中で、特に問題だと思うものが2種類あります。
「年齢に合わない服」問題
「その年齢でその服はNG」「40代がやってはいけないファッション」「若作りに見える服の特徴」——年齢とファッションを結びつけたNG論は、定期的にバズります。
これは単なるファッションの話ではありません。「年相応」という価値観を押し付けることで、年齢による自己表現の自由を制限しようとしています。
何歳になっても、自分が着たい服を着ていい。それは権利です。50代がミニスカートを履いて何が悪いのか。60代がスニーカーを履いて何が問題なのか。「その年齢でその服はない」と言える根拠は、どこにもありません。
「体型に合わない服」問題
「太っている人がやってはいけないファッション」「体型カバーしていない人の特徴」——これはもはやファッションの話ではなく、体型差別に近い領域です。
どんな体型の人が何を着ようと、それはその人の自由です。「体型に合わせた服を着るべき」という考え方は、特定の体型を「標準」として、そこからの逸脱を「問題」として扱っています。
その「標準」は誰が決めたのか。そこにも絶対的な根拠はありません。
「参考にする」と「押し付ける」の決定的な差
誤解しないでほしいのは、ファッションのアドバイスや提案が全部悪いと言っているわけではありません。
「こういうコーディネートが似合いやすい」「この素材は体型を拾いにくい」「このシルエットは清潔感が出やすい」——これらは「参考情報」として有用です。
問題は、それが「参考」ではなく「NG判定」として提示されるときです。
「こういうスタイルもあります」と「こういうスタイルはダメです」は、言っている内容が似ていても、受け手への影響がまったく違います。
前者は「選択肢を広げる」情報です。後者は「選択肢を否定する」情報です。
ファッションの発信として価値があるのは、前者だけです。後者は、情報提供ではなく価値観の押し付けです。
押し付けている人は、たいてい自分のスタイルが確立されていない
これは経験則ですが、他人のファッションにNG判定を下したがる人は、たいてい自分のスタイルが確立されていません。
自分のスタイルに自信がある人は、他人のスタイルを否定することに興味がありません。自分が好きなものを着ていればそれでいいから、他人が何を着ているかを気にする余裕が生まれない。
逆に「自分が正しい」ことを確認したい人は、「他人が間違っている」ことを探します。「これはNG」「これは残念」という発信の裏には、「自分はNGではない」「自分は残念ではない」という確認欲求が透けて見えることがあります。
ファッションの自由とは、「自分が着たいものを着ること」であり「他人の着たいものを否定しないこと」の両方から成り立ちます。
自分の自由だけを主張して、他人の自由を制限しようとするのは、ファッションへの敬意がない態度だと思います。
その人がそれでいいなら、それでいい
最終的に言いたいことは、シンプルです。
その人がそれで良いなら、それで良い。
どんな服を着ようと、それはその人の自由です。年齢が何歳であろうと、体型がどうであろうと、トレンドに合っていようといまいと——本人が「これを着たい」と思って着ているなら、それは正解です。
他人のファッションに口を出す権利は、誰にもありません。「NG」を宣言できる権威は、誰も持っていません。
SNSで流れてくる「これはダメ」系のコンテンツを見るたびに思います。そのコンテンツを作っている人より、そのコンテンツに「残念」と言われながらも自分の好きな服を着ている人の方が、よっぽどファッションを楽しんでいるんじゃないかと。
押し付けているその姿が、一番ダサい。
好きな服を着ている人の姿が、一番かっこいい。
それだけのことです。
