日本のファッション史を語るうえで絶対に外せないブランド、VAN(ヴァンヂャケット)。
日本のファッション史を語るとき、避けて通れないブランドがあります。
VAN——正式名称ヴァンヂャケット。このブランドなしに、戦後日本の男性ファッション文化の成り立ちを説明することはできません。
今の若い世代には「なんとなく聞いたことがある」程度の認知かもしれません。しかし1960年代から70年代の日本において、VANはただのアパレルブランドではありませんでした。ライフスタイルの提案者であり、文化のアジテーターであり、日本の若者の「格好良さ」の定義そのものでした。
石津謙介という人物——「日本のファッション界の父」
VANを語るには、まず創業者・石津謙介という人物を知る必要があります。
1911年に岡山で生まれた石津謙介は、繊維問屋の家系に育ちながら、早くから服とデザインへの強い関心を持った人物でした。戦後の1951年、大阪市南区(現・西心斎橋)で「石津商店」を創業し、同年「有限会社ヴァンヂャケット」を設立します。これがVANの誕生です。
創業初期のVANは、中高年向けの高級紳士服を中心に展開していました。しかし石津謙介には、もっと大きな野望がありました。「日本の男性ファッション文化を根本から変える」——その意志が、ブランドの方向性を大きく転換させていきます。
「ファッションとは衣食住、ライフスタイル全般のことである」という石津謙介の言葉は、現在でも多くのファッション関係者に引用されています。服を売るだけでなく、生き方そのものを提案する——このビジョンがVANという存在を、単なるアパレルブランドを超えた文化的現象にしていきました。
アイビールックの衝撃——日本の男性ファッションが変わった瞬間
VANの本当の変革は、1956年頃から若者向けファッションの展開を始め、1957年からアイビールックとしての「VAN」が本格スタートしたことから始まります。
アイビールックとは、アメリカ東海岸の名門私立大学グループ「アイビーリーグ」の学生たちが着ていたスタイルをベースにしたファッションです。なで肩のジャケット、細身のボトムス、ボタンダウンシャツ、ローファー、マドラスチェック——こうしたアイテムの組み合わせが、清潔感と若々しさを表現するスタイルとして日本の若者に提案されました。
当時の日本は、ファッションという概念自体が男性には根付いていませんでした。「軍服と学生服以外に何も知らない」時代に、石津謙介の長男・石津祥介が語ったように「アイビーという色のインクを落としたら、それがフワーっと広がった」のです。
それだけ当時の日本の男性ファッションには、新しい「色」が入り込む余白があったのです。
1964年「みゆき族」——社会現象となったファッション
VANの歴史の中でも、特に印象的な出来事として語られるのが「みゆき族」の登場です。
1964年、東京オリンピックの直前。銀座のみゆき通りに、VANの紙袋を手に持ち、マドラスチェックのジャケットとコットンパンツ、ローファー姿の若者たちが集まり始めました。彼らは「みゆき族」と呼ばれ、社会現象として大きく報道されます。
ここで起きたことは、ファッション史的に非常に重要な出来事です。「何をするわけでもなく、ただ通りにたむろする若者」がニュースになった——これは、スタイルを持った若者という存在が、日本社会に初めて可視化された瞬間だったともいえます。
しかし、このみゆき族は東京オリンピックのために来日する外国人の目に触れては「国の恥」という理由から、警察の一斉取り締まりによって排除されてしまいます。1964年9月12日のことです。皮肉なことに、排除されることで「みゆき族」はより大きな注目を集め、その後のアイビーブームへとつながっていきました。
1965年「TAKE IVY」——世界に残った伝説の写真集
VANが日本のファッション史に残した最大の遺産のひとつが、1965年に発刊された写真集「TAKE IVY」です。
石津祥介をはじめとするVANのスタッフ総勢8名がアメリカの東海岸に渡り、アイビーリーグの8大学のキャンパスを訪れ、実際の学生たちのリアルなファッションを撮影した写真集です。
発刊当時は日本の若者に大きな影響を与えましたが、実はその後の展開が更に面白い。2008年にアメリカのファッション系ブログでこの写真集が紹介されたことをきっかけに、アメリカのファッション業界で大きな話題となります。トム・ブラウンをはじめとする現代のデザイナーたちも愛読し、2010年にはアメリカで英語版が復刻されました。
つまり、日本人がアメリカのアイビーを取材してまとめた写真集が、50年後にアメリカ人が自国のファッション文化を再発見するきっかけになったのです。このことは、「Ametora(アメトラ)——日本がアメリカンスタイルを救った物語」というデーヴィッド・マークス著の本にも詳しく描かれています。
T.P.O.という概念の誕生
石津謙介がVANを通じて日本に広めた考え方の中で、現在も使われ続けているものがあります。
「T.P.O.」——Time(時間)・Place(場所)・Occasion(場面)の頭文字を取ったこの概念は、石津謙介がVANのファッション提案の中で打ち出したものとされています。「どんな時、どんな場所で、どんな場面で着るか」を意識して服を選ぶという考え方で、現代でも日本語として広く使われています。
これもまた、服を売ること以上の「生き方の提案」をしてきたVANらしい功績のひとつです。
1978年の倒産、そして復活
絶頂を極めたVANでしたが、1978年に突然の倒産を迎えます。負債総額は500億円と報じられました。
原因については、経営者一族の浪費、人件費・コスト管理の甘さ、70年代に入ってからの急速な時代の変化への対応の遅れなど、複合的な要因が挙げられています。VANが提唱し続けたアイビールックが、時代とともに「古いもの」として認識され始めたことも、ブランドの凋落に影響していました。
しかし1980年、社員OBなどを中心に株式会社ヴァンヂャケットが復活。現在もブランドは続いており、アイビーという普遍的なスタイルへの支持は時代を超えて継続しています。
VANが日本のファッションに残したもの
現役のアパレル店員として感じるのは、VANが日本の男性ファッション文化に残した影響の大きさです。
ボタンダウンシャツ、チノパン、ローファー——これらのアイテムが今も「定番」として机上に存在しているのは、VANがアイビールックを通じてこれらのアイテムを日本人の服の選択肢として広めたからです。「T.P.O.」という言葉が現代語として生きているのも、VANの遺産です。
さらに興味深いのは、VANが日本のトラッドスタイルをあまりにも丁寧に継承したために、アメリカ本国でアイビーが廃れた後も日本でそのスタイルが生き続け、やがてそれが逆輸出されてアメリカのデザイナーたちに影響を与えるという、文化の逆流現象が起きたことです。
まとめ:VANは、日本のファッション史そのものだった
VAN(ヴァンヂャケット)は、1951年の創業から1978年の倒産まで、わずか27年間という短い歴史の中で、日本の男性ファッション文化を根底から変えました。
アイビールック、みゆき族、TAKE IVY、T.P.O.——これらはすべて、VANという一つのブランドが生み出した文化的遺産です。
「日本のファッション史を語るうえで絶対に外せないブランド」——その言葉に、まったく誇張はありません。
