アパレル関係者でも意外と知らない、白洲次郎というファッションの巨人。
政治家・実業家としての白洲次郎は、歴史の教科書的な文脈で語られることが多い人物です。しかしファッションという切り口で見ると、この人物の存在感は格別です。「日本人で初めてジーンズを履いた男」「サヴィル・ロウで仕立てた本場のスーツを着こなした日本人」——これらのエピソードは、ファッション史的にも非常に重要な意味を持っています。
今回は、ファッションアイコンとしての白洲次郎に焦点を当てて、その魅力を掘り下げてみます。
白洲次郎とはどんな人物だったのか
まず、白洲次郎というベーシックなプロフィールから整理しておきます。
1902年(明治35年)、兵庫県芦屋に生まれた白洲次郎は、実業家の父を持ち、裕福な環境の中で育ちました。19歳でイギリスへ渡り、ケンブリッジ大学で学んだ後、1929年に帰国。戦後は吉田茂首相の側近として占領軍との交渉の最前線に立ち、終戦連絡中央事務局次長、そのちに貿易庁長官を歴任しました。
GHQから「従順ならざる唯一の日本人」と呼ばれたエピソードは有名で、占領下の日本において、マッカーサーを相手にも一歩も引かない気概を持った人物として知られています。
妻は随筆家・能の研究家として知られる白洲正子。夫妻は日本のファッションリーダーとして、その時代において突出した存在感を放っていました。
19歳でケンブリッジへ——本場で叩き込まれた紳士のスタイル
白洲次郎のファッション観の原点は、19歳から始まったイギリス留学にあります。
ケンブリッジ大学に入学した次郎は、同級生との交流の中で英国紳士のスタイルをすっかり我が物としていきます。当時のケンブリッジには貴族の子弟も多く、彼らと対等に付き合うためにベントレーを購入して乗り回したのは有名な話です。さらにブガッティまで購入し、レース三昧の日々を送っていたとも伝わります。
スーツはサヴィル・ロウの名門テーラー「ヘンリー・プール」で誂えることを徹底しました。シャツは「ターンブル&アッサー」、ハットは「ジェームス・ロック」、傘は「ブリッグ」、トランクは「ルイ・ヴィトン」、小物は「ダンヒル」と決めていたとされています。
これはただの「おしゃれ好き」ではありません。当時のイギリスにおけるジェントルマンの作法を、本場で実地に学んだということです。「スーツはサヴィル・ロウで誂えるものだ」「それはほとんど一生着るものだ」——そうした英国紳士の哲学を、若き日の次郎は肌で吸収していきました。
日本人で初めてジーンズを履いた男
白洲次郎をファッション史的に特筆すべき存在にしているエピソードが、「日本人で初めてジーンズを履いた男」という呼称です。
1930年、白洲次郎は妻・正子とともにヨーロッパへ出張しました。その帰路、正子が病気を患い、静養先としてサンフランシスコを訪れることになります。当時のサンフランシスコにはLevi'sの本社があり、ちょうどジーンズが名物として注目されはじめた頃でした。
この「新名物」に次郎が無関心でいられるはずがありません。ここでジーンズを手に入れたのが、日本人として最初にジーンズを履いた出来事とされています。
有名な写真があります。白いTシャツにジーンズを合わせ、タバコを片手に足を組んでいる白洲次郎の姿。この写真は1951年頃に撮影されたもので、当時の日本においては誰も見たことのないスタイルでした。まるで後のジェームス・ディーンを連想させる着こなしです。
ちなみに履いていたジーンズのブランドについては長らく「Levi's 501XX」とされてきましたが、バックポケットのステッチをよく見ると「レイジーS」とクロスバータックが確認でき、Leeの101ではないかという説も近年出てきています。どちらにしても、戦後の日本でジーンズを履いていた日本人がほとんどいない時代のことです。
サヴィル・ロウと農作業着——両極端を自在に行き来したスタイル
白洲次郎のファッションの最大の面白さは、その「幅の広さ」にあります。
一方では、サヴィル・ロウで誂えた一流のスーツを着こなす英国紳士。もう一方では、白いTシャツにジーンズという徹底したアメリカンカジュアル。さらに妻・正子とともに鶴川(現・東京都町田市)の農村に移り住んでからは、農作業着を颯爽と着こなす姿も見せていました。
「プリンシプル(原則)を持つこと」——これが白洲次郎の生き方の核にあった言葉ですが、ファッションもまったく同じです。高級品を身にまとうことが目的ではなく、その場にふさわしいものを、自分の基準で選び抜く。その軸がぶれないから、どんな服を着ていても「白洲次郎」として成立していました。
これはまさに「着る」のではなく「着こなす」ということの、最も純粋な体現だと思っています。
なぜアパレル関係者でも知らない人が多いのか
白洲次郎のファッションアイコンとしての側面が、アパレル業界でも意外と知られていない理由は、おそらく「政治家・実業家」という側面が先に立ちすぎているからだと思います。
しかし考えてみると、1930年代にサンフランシスコでジーンズを購入し、戦後の日本でそれを着こなしていたというのは、ファッション史的には相当な先見性です。当時の日本でジーンズを履いていた日本人は、ほぼ存在しなかったのですから。
さらにサヴィル・ロウで誂えたスーツを着ながら、農作業着もジーンズも自在に着こなすというスタイルの幅は、現代のファッション語彙で言えば「TPOを完璧に理解したうえで、自分の軸を持って服を選ぶ人」そのものです。
まとめ:白洲次郎のファッションから学べること
白洲次郎というファッションアイコンが示していることは、ひとつのシンプルな真実です。
「何を着るかより、どう着るか」——服はその人の生き方を映す鏡であり、着る人の軸がはっきりしていれば、高級品でも作業着でもジーンズでも、すべてが格好良く見える。
政治の世界でも一歩も引かなかった白洲次郎が、服の選び方においても一切妥協しなかったことは偶然ではありません。生き方の哲学がそのままファッションに表れていた人物——それが白洲次郎という存在の本質だと思っています。
