今の10代・20代のファッションは、楽しいのか。「みんな同じ」に見える時代の話。
街を歩いていて、ふと思うことがあります。
若い人たちの服が、なんとなく似ている。
オーバーサイズのトップス、ワイドパンツ、白いスニーカー。ベージュかグレーかブラックのどれか。顔まわりはシンプルで、主張が強すぎないアクセサリー。清潔感があって、破綻がなくて、整っている。
悪くはない。むしろきれいにまとまっている。でも——どこかで見たような気がする。あの人も、この人も、なんとなく同じ方向を向いている。
これは気のせいなのか。それとも今の時代に何か起きているのか。
今回は「今の10代・20代のファッション」をテーマに、ファストファッションの台頭、SNSの影響、個性という概念の変化まで、少し踏み込んで考えてみます。
まず「個性がない」は本当か
最初に立ち止まって確認しておきたいのは、「今の若者は個性がない」という見方そのものです。
これは本当でしょうか。それとも、見ている側の問題でしょうか。
結論から言うと、どちらも半分正しいと思っています。
上の世代が「個性がない」と感じるのは、自分たちが若い頃の「あの時代の個性の出し方」と比較しているからです。70〜80年代のみゆき族やDCブランドの熱狂、90年代のウラハラやギャル文化——あの時代の若者は、今から見ると非常に「濃い」スタイルをしていました。金髪、厚底、ルーズソックス、ビッグシルエット。一目見て「あの時代の若者だ」とわかるくらい、時代の刻印が服に押されていた。
それと比べると、今の若者の服は確かに「薄い」かもしれません。でもそれは個性がないのではなく、「個性の出し方」が変わったのだと思います。
ファストファッションが変えたもの
今の10代・20代のファッションを語るうえで、ファストファッションの存在は避けて通れません。
ZARA、H&M、ユニクロ、そして近年ではSheinやTemuまで——低価格で大量の服を供給するファストファッションは、若者のワードローブを根本から変えました。
ファストファッションが普及する以前、服は「ある程度の投資」が必要なものでした。少ない予算の中で「どの一着を買うか」を真剣に考えた。その選択の真剣さが、個性につながっていた側面があります。
今は違います。1000円、2000円で服が買える。試しに買って、気に入らなければ捨てる——そういうサイクルが当たり前になっています。
これは便利になったということでもありますが、同時に服への「投資感」が薄れたということでもあります。
投資感が薄れると、「これが自分のスタイルだ」という宣言の重みも薄れます。ひとつの服に強いアイデンティティを乗せなくても、次の服がすぐに手に入るから。
その結果として、服が「自己表現の手段」から「消耗品」に近づいていった——これがファストファッション時代のファッション文化の変質だと思います。
SNSが「失敗」を許さない時代
もうひとつ、今の若者のファッションを語るうえで外せないのがSNSの影響です。
インスタグラム、TikTok、X(旧Twitter)——今の10代・20代は、常に「見られる」ことを意識しながら服を選んでいます。
これは以前の世代とは根本的に異なる条件です。
かつては「街で変な服を着て失敗する」としても、それはせいぜい友人数人に笑われる程度でした。でも今はSNSに投稿した瞬間、何千・何万人に「見られる」可能性がある。悪目立ちすれば炎上するリスクもある。
この環境は、ファッションにおける「冒険」のコストを著しく上げています。
奇抜なスタイルに挑戦して「変」と思われるリスクより、無難でまとまったスタイルで「きれい」「おしゃれ」と言われるほうが、SNSでの評価は安定します。
その結果、「減点されないファッション」への最適化が起きています。尖った個性より、万人受けするきれいめシンプルスタイルが選ばれやすい。これはある種の合理的な判断でもありますが、文化としてのファッションの多様性を損なっている側面もあります。
「みんな同じ」を加速させたアルゴリズム
さらに問題を深くしているのが、SNSのアルゴリズムです。
インスタグラムやTikTokは、「バズったコンテンツ」を優先的に表示します。あるコーディネートが多くの人に支持されると、それがさらに多くの人に広まり、それを見た人が「参考にする」——このサイクルが「みんな同じスタイル」を加速させています。
アルゴリズムは「多数派が好きなもの」を広め、「少数派が好きなもの」を埋もれさせます。つまり構造的に、尖った個性より普遍的な美しさが増幅されやすい。
かつてのファッションカルチャーでは、雑誌や口コミでスタイルが広まる速度は遅かった。その「遅さ」の中で、地域ごとのローカルな個性や、マニアックなサブカルチャーが育つ余地がありました。
SNSはその余地を大幅に縮めました。情報が一瞬で全国・全世界に広まる時代に、「まだ誰も知らないおしゃれ」を育てることは難しくなっています。
でも、今の若者のファッションには別の豊かさがある
ここまで批判的な視点で書いてきましたが、今の10代・20代のファッションには、上の世代にはなかった豊かさもあると思っています。
情報へのアクセスの広さ
今の若者は、インターネットとSNSを通じて、世界中のファッション情報に瞬時にアクセスできます。ロンドンのストリートスナップ、韓国のトレンド、パリのコレクション、ヴィンテージの知識——かつてはファッション誌と原宿に行くしかなかった情報が、スマートフォン一台で手に入る。
この情報量は、上の世代が若い頃とは比べものになりません。
ジェンダーレス・多様性への感度
今の若者のファッションは、ジェンダーの境界線が以前より曖昧です。男性がスカートを履く、女性がメンズライクなスーツを着る——こういったスタイルへの許容度が、明らかに広がっています。
「男はこう着るべき」「女はこう着るべき」という縛りから解放されたことで、本来の意味での個性が表現しやすくなっている面もあります。
古着・サステナビリティへの意識
環境問題への意識の高まりから、古着やリサイクルファッションへの関心が今の若者の間で高まっています。ファストファッションへのアンチテーゼとして、ヴィンテージや古着を積極的に選ぶ若者も少なくありません。
この動きは、大量消費への問い直しでもあり、「自分だけの一点もの」への回帰でもあります。
個性とは「目立つこと」ではない
最後に、少し根本的な問いを立てておきます。
「個性がない」という批判は、往々にして「目立たない=個性がない」という思い込みに基づいていることが多い。
でも個性とは、必ずしも目立つことではありません。
「自分がどう見られたいか」「何が好きで、何が嫌いか」「どんなものに価値を感じるか」——それが服の選択に反映されているなら、それはすでに個性です。シンプルで目立たない服を「あえて選んでいる」なら、それも立派なスタイルです。
問題があるとすれば、自分で選んでいるのか、流されて選んでいるのかの差だと思います。
SNSで見たから、みんなが着ているから、バズっていたから——その理由だけで服を選んでいるとしたら、それは流されているかもしれない。でも「シンプルなものが好きだから」「ベーシックが自分らしいから」という自分軸があるなら、それはちゃんと個性です。
今の10代・20代に伝えたいのは、「もっと奇抜な服を着ろ」ということではなく、「なぜその服を選んだか」を少しだけ自分に問いかけてみてほしいということです。
その問いの積み重ねが、やがて「自分のスタイル」になっていきます。
まとめ:時代が変わっても、ファッションは自己表現だ
ファストファッションが普及し、SNSがトレンドを均質化する時代にあっても、ファッションは本来「自分を表現する手段」です。
「みんな同じに見える」のは、時代の構造的な問題でもあります。その構造を知ったうえで、あえて「自分はどうしたいか」を考えることが、今の時代のファッションの楽しみ方なのかもしれません。
10代・20代のファッションが楽しいかどうか——それは結局、着ている本人が「楽しんでいるか」どうかにかかっています。流行を追いながらも、その中に自分の意志を少し混ぜる。そのくらいの余白が、ファッションを消耗品ではなく自己表現に変えてくれます。
