「わかりやすさ」に特化する【私なりのnoteにおけるこだわり】
それぞれのこだわり
先日200日連続投稿を達成したので、この機会に振り返りを兼ねて、自分の「書く姿勢」について記してみます。
文章を書くということについて、それぞれに皆こだわりがあり、自分なりの型を持っている人も多かりしと思います。
美しく書く、柔らかく書く、知的に書く、楽しく書く。
勿論、それらに優劣はなく、どの書き方でも面白いモノは面白いですね。
さて「これらの違いは何処にあるのだろうか?」と考えたところ、それは「書き手が何を目指しているのか」の違いによるのだろうと思いました。
小説をイメージしているのか、エッセイをイメージしているのか、はたまた哲学書をイメージしているのか。
ちなみに私の目指すところは、ペラッペラのフリーペーパーです。
フリーペーパーが目指すもの
ではフリーペーパーとは何か?の定義を以下に記しますね。
フリーペーパーとは、読者には無料で配布される新聞・雑誌形式の印刷媒体です。
駅や店舗のラック、ポスティングなどで配布され、地域密着型の情報や特定のジャンルに特化した情報が強みで、高い広告効果が期待できるメディアです。
つまりお金を払ってまで読みたいモノでもなく、また図書館や書店などでした拝見できないような格式の高いモノでもありません。
電車移動や待ち合わせ時の暇つぶし用に、その辺のラックからサッと引き抜いて気軽に読めて、そしてゴミに捨てるような類のモノです。
となると、誰しも暇つぶしなんぞに「読むためのエネルギー」を費やしたくはない訳ですね。
すなわち私は、読み手が「私の記事を読むに当たって、いかに脳細胞を酷使させないか」を考えて作成しております。
だから、分かりやすさについては全力で特化しているつもりです。
つまりアタマにすっと入って、心に刺さるようなモノを狙っていますね。
そしてフリーペーパーを目指す以上、老若男女問わず幅広い層が楽しめるように、あらゆるジャンルを書こうと思っています。
時にギャグを、時に哲学を、時にエッセイを、時にお役立ち情報を。
そして読み手が肩のチカラを抜いて楽しんでいただくために、ひとつの記事が長すぎて、なかなか着地点が見えないような文章は却下します。
そしていかにもアタマ悪そうな文章の背後に、さりげなく深いメッセージを隠している時もあります。(クドくなる時は却下しますが
あと漫画のカットを多用しているのは、読み手を退屈させないための工夫です。
たまに改行もなくビッチリと文字を詰め込んだ文章を見かけますが、いくら内容が良くても、読み手が疲れそうだなぁと思う時がありますね。
なので私は、その逆を追求しようと思っております。
幸いにも幼い頃からの漫画読書量が半端ないので、「この会話の流れで、こういうキャラがこういう表情で、こんな事を言っていたら面白いな」・・・というイメージがすぐにアタマに浮かぶので、カット選びに困る事は無いですねぇ。
自分が正義だとは思っていない
私の記事の特徴として「本音しか書かん」というのがあります。
なので美しい文章ではなく、生々しい本音を書きますので、それが受け付けない人も多いでしょうね。
私はシモネタもよく書きますが、でもそれはエロを書きたいのではなく、私と言う「煩悩にまみれた人間」を隠さずに出しているだけなのです。
自分としてはその現象がどうこうではなく、それを通じて自分がどういう心情であるかを書いているつもりなのですが。
そして人の本音というのは、その人が過ごしてきた環境にも大きく左右されます。
なのでそこに正義というモノは存在しませんし、もしあるとしたら「それぞれの正義」というヤツだと思われます。(個人的にではなく、社会的にアカンものはアカンよ、イジメとか
なので私は「私のなかの正義」については書きますが、それが普遍的に認められるモノだとは思っていません。
かようによく間違えるのですが、そこで非を認めた時に謝れないような人間にだけはなりたくないと心掛けております。
アタマを下げる事で男が下がる訳では無いので。
なのでこれからも「トンデモ理論」をドヤ顔で披露する痛い人間であると思いますが、ご指摘いただければ訂正も謝罪も致します。
ただしそれが悪意のある煽りならばこの限りに非ず。(むしろ返り討ちにします
コメントも記事のひとつ
ありがたいことに、多くの読者様が私の記事にコメントを残してくれています。
時にはいろいろな角度からの提案をして下さる事も多く、時にはそのコメントでの往復書簡が、記事の本文よりも遥かに深い考察となっている時もありますね。
これはとても嬉しい事ですし、これらのコメントを含めた事で私の記事は完成するモノだと認識しております。
そして私も、皆様が気軽にコメントしやすくなるように気を付けておりますね。
誠意あるコメントには誠意あるレスポンスを。(そうでないモノにはそうでないレスを
時に見落としている場合を除き、なるべくコメバ100を心掛けております。
どんなコメントでも書き込むときは「これでいいのか?」と不安になるものですし、私はそんな不安を越えて挨拶してきたモノをスルーするほど大層な人間ではないです。
コメント是非論
さていろいろな記事を読んでいると・・・自分の記事に寄せられたコメントの論点がズレていたり、筆者の主張とは違う論に苛立ちを覚えているのを見かける時があります。
ちなみに私の場合は、あからさまな叩きでない限り、どんな異論も意見もありがたく思っているのですが。
たぶんこれは私が、コメント欄を交流掲示板だと思っているからなのかも知れませんね。
ちなみに「分りやすさ」を追求している私の視点だと、読み手が誤解するような分かりにくい文章を書いてしまったと自らを反省します。
敢えて小難しい表現をしなくても、同じ内容を分かりやすくシンプルに伝える方法ってあると思うのですよね。
「分かりやすい表現方法」と「深く切り込んだ考察内容」って書き方次第で両立できると思うのです。
勿論、私のようなスタンスに切りかえるべきと主張したいのではなく、余りにも自分とは真逆のスタンスなので、ふと疑問に思った次第なのであります。
これからの方向性
一応は多岐に渡るジャンルを書いてると評される時もありますが、実はまだ自分の興味の範囲内のほんの一部しか披露していないのですよ。
実は私自身、自分の書いていないジャンルのクリエイターさんのところにお邪魔して、かなり深いところまでコメントやり取りしてるのですよね。
その辺の自分の引き出しも、ちょいちょい披露していこうかなぁと。
いろんな情報がごった煮しているフリーペーパー紙上において、良いアクセントになるといいなぁ。
以上、これが「安い(やっすい)笑いを書いたゴミ記事」と評された私の作品の正体なのであります。
