上り坂でも、下り坂でも。『葉月さかみち』という名前の話
◆はじめに
先日、noteの質問箱に、こんな質問をいただきました。
「葉月さかみち、この名前に由来はありますか?」
質問を見たとき、少し嬉しくなりました。
普段、私は当たり前のように「葉月さかみち」という名前で記事を書いています。
記事を書き、コメントを返し、誰かの記事を読んでスキを押す。
毎日のように使っている名前なので、自分の中ではすっかり馴染んでしまいました。
けれど考えてみれば、読んでくださっている方からすれば、
「どうして、この名前なんだろう?」
と思うのも不思議ではありません。
そして質問に答えながら、私自身も改めて考えました。
せっかくなので今回は、普段の記事とは少し趣向を変えて、「葉月さかみち」という名前について書いてみようと思います。
名前の由来だけではなく、この名前で書き続けてきた時間についても。
◆名前というものを、あまり深く考えていなかった
noteを始めるとき、当然ですが名前が必要になります。
本名で活動する方法もあります。
まったく関係のない名前を付けることもできます。
私は後者を選びました。
ネットの世界では、自分で自分の名前を決められます。
考えてみると、これは少し不思議なことです。
生まれたときの名前は、自分で決めたものではありません。
けれど、noteで使う名前は自分で選ぶことができる。
「どんな名前で文章を書こうか」
そう考えて付けたのが、
「葉月さかみち」
という名前でした。
最初から、この名前に壮大な意味があったわけではありません。
これから何千人もの人に読んでもらうんだとか、何年もこの名前を使い続けるんだとか、そんな未来まで考えていたわけでもありません。
そのときの自分なりに考えて、
「これがいいかな」
と思って選んだ名前でした。
ところが、名前というものは面白いものです。
使い続けているうちに、後から意味が増えていくことがあります。
◆「葉月」という響きが好きだった
「葉月」という言葉には、昔からどこか柔らかい印象を持っていました。
日本では旧暦の8月を「葉月」と呼びます。
夏から少しずつ秋へ向かっていく時期。
まだ暑さが残っているけれど、少しずつ季節が動き始める。
そんな雰囲気も好きです。
そして何より、「葉月」という言葉の響きが好きでした。
強すぎず、派手すぎず、どこか静か。
私がnoteで書きたい文章にも、なんとなく合っているような気がしました。
私は、自分の文章で誰かを強く説得したいわけではありません。
「こう生きるべきだ」
「こうしなければならない」
そんなことを書きたいわけでもありません。
自分が経験したこと。
そのとき感じたこと。
昔は分からなかったけれど、今になって分かったこと。
そういうものを静かに文章にして残していきたい。
そう考えると、「葉月」という柔らかな響きは、自分の文章に合っているように感じています。
◆では、「さかみち」は上り坂なのか、下り坂なのか
質問箱では、こんな質問もいただきました。
「葉月さかみちの“さかみち”は、上り坂? 下り坂? もしくはどっちも?」
これも面白い質問だと思いました。
考えてみれば、「さかみち」と言っても、方向によって意味が変わります。
下から見れば上り坂。
上から見れば下り坂。
同じ道なのに、立っている場所によって見え方が違う。
私は、この感じが好きです。
人生も、似たようなものなのかもしれません。
調子が良いときもあれば、悪いときもある。
物事がうまく進む時期もあれば、何をやってもうまくいかない時期もある。
上っていると思ったら、急に下り始めることもある。
反対に、
「もうダメかもしれない」
と思っていたところから、少しずつ状況が良くなることもあります。
だから私にとっての「さかみち」は、
上り坂でもあり、下り坂でもある。
どちらか一方ではありません。
◆ずっと上り坂の人生なんて、たぶんない
若い頃の私は、人生というものをもっと単純に考えていた気がします。
努力すれば成長する。
頑張れば報われる。
少しずつ上へ進んでいく。
そんなイメージです。
けれど実際に生きてみると、そんなにきれいには進みませんでした。
頑張っても報われないことがありました。
遠回りもしました。
仕事を変えたり、住む場所を変えたり、人間関係がなくなったり。
「自分は何をしているんだろう」
と思ったことも、一度や二度ではありません。
上っているつもりだった道が、実は下り坂だった。
反対に、
「あのときは人生のどん底だった」
と思っていた時期が、後から振り返ると今につながる大切な時間だった。
そんなこともあります。
人生は、歩いている最中には、その道が上りなのか下りなのか分からないのかもしれません。
◆下り坂にも、意味はある
私たちは、どうしても「上ること」を良いものとして考えます。
収入が上がる。
評価が上がる。
フォロワーが増える。
できることが増える。
数字が大きくなっていくことは、分かりやすい成長です。
もちろん、私だって嬉しいです。
noteを続けていて、読んでくださる方が増えたり、スキをいただいたりすれば、素直に嬉しい。
けれど人生には、数字では測れない時間もあります。
立ち止まる時間。
諦める時間。
手放す時間。
休む時間。
一見すると後退しているように見えるけれど、それによって自分を守れることもあります。
昔の私は、下り坂を必要以上に怖がっていたような気がします。
今は少し違います。
下っているなら、下っているなりに景色を見ればいい。
疲れたら、途中で休んでもいい。
そして、また上り坂が来たら、自分の歩幅で上ればいい。
そんなふうに考えられるようになりました。
◆「さかみち」は、自分の人生そのものだったのかもしれない
名前を付けた当初、ここまで深く考えていたわけではありません。
でも、noteで文章を書き続けるうちに、不思議と「さかみち」という言葉が自分の人生に重なって見えるようになりました。
私は、一直線に何かを達成してきた人間ではありません。
迷ったこともあります。
失敗したこともあります。
立ち止まったこともあります。
遠回りもしました。
それでも、完全に歩くことをやめたわけではありませんでした。
速く歩けないなら、ゆっくり歩く。
疲れたら休む。
道を間違えたら戻る。
そして、また歩く。
そんなことを繰り返して、今ここにいます。
そう考えると、「さかみち」という名前は、案外自分に合っていたのかもしれません。
◆いつの間にか、もうひとつの自分の名前になった
noteを始めた頃、「葉月さかみち」は単なるペンネームでした。
ネット上で文章を書くための名前。
それ以上でも、それ以下でもありませんでした。
でも、毎日のように記事を書いていると、少しずつ感覚が変わってきます。
「葉月さん」
「さかみちさん」
そう呼んでくださる方が現れました。
コメントをいただき、記事を読んでもらい、フォローしていただく。
そういう経験を積み重ねていくうちに、
「葉月さかみち」
という名前の中に、少しずつ時間が積み重なっていきました。
今では、この名前を見ると、自分がこれまで書いてきた文章を思い出します。
嬉しかったこと。
苦しかったこと。
昔の記憶。
仕事のこと。
一人で過ごす休日。
健康のこと。
お金のこと。
人間関係のこと。
そして、自分なりに生きてきて思ったこと。
それらを文章にしてきた時間が、この名前の中に少しずつ入っているような気がします。
◆名前の意味は、後から作られていくのかもしれない
名前を付けるとき、
「何か立派な意味を込めなければ」
と思うことがあります。
でも、今は必ずしもそうではないと思っています。
最初は、なんとなくでもいい。
響きが好きだから。
文字が好きだから。
自分に合っている気がするから。
そんな理由で選んだ名前でも、その名前で何年も活動していれば、そこに思い出が積み重なっていきます。
人と出会い、文章を書き、失敗したり、喜んだりする。
そうしているうちに、最初にはなかった意味が生まれてくる。
「葉月さかみち」という名前も、私にとってそんな名前になりました。
◆上り坂でも、下り坂でも
これから先、私がどんな道を歩くのかは分かりません。
noteがもっと多くの人に読まれるかもしれない。
思うように伸びない時期が来るかもしれない。
書くことに迷う日もあるでしょう。
人生そのものだって同じです。
上り坂が来ることもあれば、下り坂が来ることもある。
平坦な道が続くこともあれば、立ち止まりたくなるほど急な坂が現れるかもしれません。
でも、それでいいのだと思います。
ずっと上り続けなくてもいい。
下っているからといって、人生が失敗しているわけでもない。
大切なのは、そのとき自分が立っている場所から、できる範囲で歩いていくこと。
ゆっくりでもいい。
遠回りしてもいい。
ときには立ち止まってもいい。
そして、また歩けそうになったら歩けばいい。
そんな人生を、これからも文章にしていきたいと思っています。
質問箱に届いた、何気ないひとつの質問。
「葉月さかみち、この名前に由来はありますか?」
その質問のおかげで、改めて自分の名前について考えることができました。
最初はただのペンネームだった名前が、今ではずいぶん自分に馴染んでいます。
上り坂でも。
下り坂でも。
その途中で見つけたものを、これからも言葉にしていく。
そんな「葉月さかみち」でありたいと思います。
そして今日も、この名前で文章を書いています。
ここまで、この記事を読んでいただきありがとうございます🙇
