日本酒ではない。でも遠くもない。 クラフトサケという名前を、どう案内するか。
日本酒、清酒、どぶろく、クラフトサケ、SAKE。
言葉を並べると、整理できたように見える。
けれど、飲む場面では、そこまで簡単に分かれない。
分類図を見れば、たしかに線は引ける。
どこまでが清酒で、どこからが日本酒なのか。
どぶろくはどこに置かれるのか。
クラフトサケは、どの外側にいるのか。
一度、頭の中は整理される。
ただ、実際に酒が注がれる場面に戻ると、その線は少しだけ揺れる。
米からできている。
麹がある。
発酵している。
蔵が造っている。
酒器に注がれる。
料理と一緒に出てくる。
日本酒を扱う店やイベントの中で出会う。
そのとき飲む人は、制度上の分類名だけで酒を覚えているだろうか。
たぶん、そうではない。
味がある。
香りがある。
温度がある。
目の前で注いでくれた人の言葉がある。
隣の料理との相性がある。
その場の空気もある。
飲む人は、分類表を飲んでいるわけではない。
目の前の一杯を飲んでいる。
だから、説明を受けたあとでも、ある酒を「日本酒っぽい」と受け取ることがある。
「日本酒の近くにある」と感じることがある。
「日本酒のイベントで飲んだ酒」として覚えることもある。
ここに、今回の論点がある。
制度上の正確さと、飲む人の感覚が、必ずしも同じ場所にない。
まず、制度上の話を外すことはできない。
「日本酒」は、単なる雰囲気の名前ではない。
地理的表示としての日本酒は、国内産米を使い、日本国内で製造された清酒に限定される。外国産米を使った清酒や、日本国外で造られた清酒は、日本酒とは表示できない。これは表示や輸出、ブランド保護の面でも重要な線になる。
つまり、日本酒という名前には、守られた範囲がある。
米を作る人がいる。
水を選ぶ人がいる。
蔵で仕込む人がいる。
清酒として技術を積み重ねてきた人たちがいる。
その名前を簡単に広げすぎれば、今まで守られてきた輪郭がぼやける。
だから、「飲む人が日本酒と呼ぶなら、それでいい」とは言い切れない。
一方で、飲む人の感覚を「分かっていない」と切るのも、少し違う。
目の前の酒に、米がある。
麹がある。
発酵がある。
日本酒の製造技術に近いものがある。
日本酒の棚や、日本酒に詳しい人の言葉を通して出会っている。
そうなれば、飲む人がそこに日本酒との近さを感じるのは自然だと思う。
問題は、その感覚が正しいか間違いかではない。
その近さを、どう説明するかだ。
クラフトサケは、この近さの中にある。
クラフトサケは、日本酒、つまり清酒の製造技術をベースにしながら、米を原料とし、従来の日本酒では法的に採用できないプロセスを取り入れた新しいジャンルとして説明されている。たとえば、搾らずに飲むどぶろくや、果実、ハーブなどの副原料を使った酒も含まれる。
ここがややこしい。
日本酒に近い。
でも、日本酒そのものではない。
日本酒には「搾る」という工程がある。
酒と酒粕を分ける。
そこを通るから清酒になる。
一方、どぶろくは搾らずに飲む。
だから制度上は清酒とは別の位置に置かれる。
けれど、飲む人から見れば、どぶろくはかなり日本酒の近くにある。
白く濁っている。
米の粒感がある。
甘みがある。
酸がある。
発酵のにおいがある。
料理の横に置ける。
「これは日本酒ではありません」と説明されても、感覚としては日本酒の隣に置きたくなる。
この「隣」という場所を、どう扱うのか。
ある人は、もっと広い円で受け止めたいと考える。
清酒だけに閉じるより、米と麹と発酵から生まれる広い酒の文化を、大きな言葉で受け止めたいという感覚がある。
別の人は、今の分類のままでよいと考える。
日本酒には日本酒であるための線がある。
自分たちのどぶろくやクラフトサケを、日本酒とは呼ばない。
そういう距離の取り方もある。
どちらかが雑に言っているわけではない。
近いから、呼びたい人がいる。
近いから、呼ばない人もいる。
同じ近さの中に、違う態度がある。
この話を、賛成か反対かだけで処理すると、現場の課題が見えにくくなる。
酒販店なら、どの棚に置くのか。
飲食店なら、メニューのどこに書くのか。
イベントなら、日本酒の会として出すのか、発酵の会として出すのか。
どぶろくと書くのか。
クラフトサケと書くのか。
日本酒に近い酒と説明するのか。
日本酒とは別の酒と説明するのか。
これは言葉の問題に見えて、実際には売り場の問題でもある。
飲む順番の問題でもある。
価格の受け止め方の問題でもある。
料理との合わせ方の問題でもある。
名前が決まらないと、置き方も決まりにくい。
置き方が決まらないと、飲む人の入口も定まりにくい。
ここに、クラフトサケの実務上の課題がある。
クラフトサケを日本酒の近くに置けば、飲む人には伝わりやすい。
けれど、近づけすぎると、日本酒という名前の輪郭がぼやける。
逆に、日本酒とは別物です、と強く切り離せば、制度上は正確になる。
ただ、飲む人にとっては入口が少し遠くなる。
この間をどう案内するか。
そこがまだ、十分に整理されていない。
クラフトサケの難しさは、自由であることそのものにもある。
自由だから面白い。
ただ、自由だから伝えにくい。
どぶろくのように、米の粒感を楽しむものがある。
果実やハーブの香りを前に出すものがある。
酸を立たせるものがある。
発泡感を楽しむものがある。
日本酒の延長のように飲めるものもある。
まったく別の発酵飲料として受け取った方が自然なものもある。
飲む人からすると、「クラフトサケ」という名前だけでは味の想像がつきにくい。
日本酒には、純米、吟醸、にごり、生酒、甘口、辛口といった入口がある。
もちろん、それだけで味が正確に分かるわけではない。
それでも、飲む前の手がかりにはなる。
ワインなら、赤、白、泡。
ビールなら、ラガー、エール、IPA。
分類が完全でなくても、飲む人が近づくための言葉がある。
クラフトサケには、その手がかりがまだ十分に育っていない。
米の甘みがあるのか。
酸があるのか。
果実感があるのか。
食事と合わせる酒なのか。
一杯で楽しむ酒なのか。
食前なのか、食中なのか、食後なのか。
冷やして飲むのか、少し温度を上げてもいいのか。
分類より先に、飲む人はそこを知りたい。
ここを整えないまま、「日本酒か、日本酒ではないか」だけを話しても、現場はあまり楽にならない。
国内では、日本酒、清酒、クラフトサケ、どぶろく、その他の醸造酒という分類が問題になる。
ただ、海外に出ると、別のズレが起きる。
SAKEという言葉は、日本酒を海外へ伝えるうえで大きな役割を持っている。
実際、日本酒の輸出は伸びている。2024年の日本酒輸出額は435億円で、輸出先は過去最多の80か国・地域に広がった。2020年と比べると輸出額は1.8倍になっている。
一方で、SAKEという言葉が広がるほど、その意味は揺れやすくなる。
日本酒を指す言葉として使われることもある。
米の醸造酒全体を指すように使われることもある。
地域によっては、強い蒸留酒のように誤解されることもある。
日本酒と呼べば狭すぎる場面がある。
SAKEと呼べば広すぎる場面がある。
その間で、クラフトサケはさらに説明が難しくなる。
日本酒なのか。
SAKEなのか。
どぶろくなのか。
その他の醸造酒なのか。
発酵飲料なのか。
この問いは、単なる言葉遊びではない。
どの名前で呼ぶかによって、置かれる棚が変わる。
出されるグラスが変わる。
合わせる料理が変わる。
価格の受け止め方が変わる。
飲む人の期待値が変わる。
酒は、名前によって飲まれ方が変わる。
だから、名称の整理は軽く扱えない。
もうひとつ、見落としたくないことがある。
クラフトサケを新しい酒としてだけ見ると、少し狭い。
日本には、清酒だけでは収まりきらない米の酒が昔からあった。
どぶろく。
白酒。
黒酒。
御神酒。
祭礼や神事、地域の行事の中で、米と麹と発酵はさまざまな形で扱われてきた。
また、日本のこうじ菌を使った伝統的な酒造りの知識と技術は、2024年に無形文化遺産に登録された。対象は日本酒だけに閉じず、焼酎、泡盛、みりんなども含む、こうじを使った酒造りの知識と技術である。
ここから見えるのは、日本の酒文化そのものが、もともと一枚岩ではなかったということだ。
清酒として整理されてきた領域がある。
その外側にも、米と麹と発酵の酒がある。
クラフトサケは、現代的な酒である。
ラベルも、味の設計も、売られ方も、今の時代に近い。
ただ、米の酒が清酒だけに収まりきらないという構造自体は、まったく新しい話ではない。
ここを押さえると、クラフトサケは単なる流行ではなくなる。
日本酒の外側にある新しい商品でありながら、古くからある米の酒の広がりにも接続している。
この二重性がある。
新しいから自由に語れる。
でも、古い酒文化と接点があるから、雑には扱えない。
日本酒に近いから伝わりやすい。
でも、日本酒そのものではないから、正確な線引きが必要になる。
課題は、クラフトサケの位置が曖昧なことだけではない。
曖昧なものを、どう案内するかがまだ育っていないことだ。
飲む人は、名前だけでは選べない。
どんな味なのか。
どんな料理に合うのか。
日本酒と何が近いのか。
どこが違うのか。
どんな温度で飲むのか。
一杯目なのか。
食中なのか。
食後なのか。
誰に勧めればいいのか。
ここまで設計されて、ようやく名前は入口になる。
クラフトサケを日本酒と呼ぶかどうか。
その問いは大事だ。
ただ、そこだけで止まると、飲む人の前には届きにくい。
必要なのは、分類を曖昧にすることではない。
日本酒との違いを明確にしながら、飲む人が理解しやすい案内を用意することだと思う。
これは日本酒です。
これは日本酒そのものではありません。
ただ、日本酒の近くにある酒です。
米と麹と発酵から生まれた、別の入口です。
味わいは近いところがあります。
でも、造り方や考え方は違います。
このくらいの言葉があれば、飲む人は少し入りやすくなる。
分類は、飲む人を遠ざけるためのものではない。
本来は、迷わず近づくための地図であってほしい。
地図には線が必要だ。
でも、線だけでは歩けない。
どこから入ればいいのか。
何を見ればいいのか。
どこが似ていて、どこが違うのか。
何と合わせればいいのか。
どんな人に向いているのか。
そこまで言葉にされて、ようやく人は一歩進める。
クラフトサケは、制度上は日本酒ではない。
ただし、日本酒と無関係でもない。
原料、技術、飲用場面、売り場、文化の文脈。
その多くで、日本酒と接点を持っている。
だから問題は、クラフトサケを日本酒に含めるかどうかだけではない。
日本酒との距離を、どの言葉で説明するか。
その酒の前で、飲む人が少し迷ったときに、
「ここから飲めばいい」と言えるか。
これからの酒の場では、そこが問われている。
