イランはなぜ日本に敬意を抱くのか――ペルシャの記憶、日露戦争、そして日章丸
イランとイラクを混同すると、話は最初から迷子になる
ミカ:
先生、イラン情勢のニュースを見るたびに思うんですが、そもそも日本人の中には、イランとイラクの区別があやしい人も多いですよね。
教授:
多いですね。名前が似ていますから。しかし、イランとイラクを同じように考えるのは、税務署と税理士を同じ職業だと思うくらい乱暴です。
ミカ:
それは、かなり危険な誤解です。
教授:
イランは、歴史的にはペルシャの国です。言葉も主にペルシャ語です。一方、イラクはメソポタミア文明の土地で、アラブ世界に深く属します。イランはペルシャ絨毯、イラクはチグリス・ユーフラテス川。このくらいで覚えると入口としては十分です。
ミカ:
名前は似ているけれど、歴史の背骨が違う。
教授:
その通りです。イランを理解するには、まずペルシャの自尊心を見る必要があります。
イランから見た日本は、ただの東の島国ではなかった
ミカ:
イランが日本に友好的だと聞くことがあります。なぜでしょうか。
教授:
一言でいえば、イランから見た日本は、欧米列強ではないのに近代化に成功した国だったからです。
ミカ:
そこが大事なんですね。
教授:
非常に大事です。19世紀から20世紀初頭のイランは、ロシアやイギリスなど大国の圧力に苦しんでいました。古い文明を持ちながら、近代国家としては苦境に立たされていた。そこへ、東アジアの日本が急速に近代化し、世界の列強に追いついていく。
ミカ:
イランから見ると、日本は「非欧米の成功例」だった。
教授:
そうです。しかも日本は、イランを植民地支配した国ではありません。イラン人にとって、日本は西洋の強国とは違う。支配者ではなく、見習うべき近代化の実例として映ったのです。
日露戦争の衝撃――小さなアジアの国がロシアに勝った
ミカ:
イラン人が日本を尊敬するようになった歴史的な出来事はありますか。
教授:
大きいのは、1905年の日露戦争における日本の勝利です。
ミカ:
日本史では有名ですが、イランにも影響したのですか。
教授:
しました。当時のロシアは、イランにとって現実の圧力をかけてくる大国でした。そのロシアに、日本が勝った。これはイランの知識人や政治意識を持つ人々にとって、単なる外国の戦争ではありません。
ミカ:
「ロシアは無敵ではない」と見えた。
教授:
まさにそこです。日本の勝利は、イラン人にとって、アジアの国でも近代化すれば大国に対抗できるという象徴になりました。
ミカ:
今の日本人は、日露戦争を遠い歴史として見ますが、当時のイラン人にはかなり強い意味があったんですね。
教授:
そうです。日本人が思っている以上に、日本の近代化は海外で注目されていました。日本人本人だけが、自分の国の歴史的インパクトを忘れがちです。
ペルシャ語新聞と「日本モデル」
ミカ:
イランでは、日本はどのように紹介されていたのですか。
教授:
ペルシャ語新聞では、日本が近代化のモデルとして語られるようになりました。特に日露戦争後、日本への関心は大きく高まりました。
ミカ:
新聞で日本がモデルとして紹介されていた。
教授:
そうです。イランでは、立憲革命の時代に、国をどう近代化するか、専制政治をどう変えるか、外国勢力にどう対抗するかが大問題でした。そこへ日本という実例が現れた。
ミカ:
なるほど。日本は「答えそのもの」ではないけれど、「こういう道もある」という証拠だった。
教授:
いい表現です。イラン人にとって日本は、机上の理想論ではなく、実際に近代化したアジアの国だったのです。
ミカドナーマ――日本の勝利が叙事詩になった
ミカ:
日本への関心が強かったという具体例はありますか。
教授:
あります。ミカドナーマという作品です。
ミカ:
ミカドナーマ。名前からして、かなり日本びいきですね。
教授:
これは、日本の日露戦争を題材にしたペルシャ語の叙事詩です。しかも、ペルシャ文学の伝統であるシャー・ナーメ風に書かれました。
ミカ:
日本の戦争が、ペルシャの英雄叙事詩風に書かれたのですか。
教授:
そうです。これはかなり象徴的です。単に「日本が勝ったらしい」と新聞記事で読んだだけではありません。日本の勝利が、ペルシャ文学の形式で語られるほど、強い印象を与えたのです。
ミカ:
それは、かなりの熱量ですね。
教授:
日本人が思う以上に、当時の日本は「アジアの覚醒」の象徴として見られていました。明治日本は、イランの知識人にとって、遠い国のニュースではなく、自分たちの未来を考える材料だったのです。
テヘランの家に飾られた日本の天皇と将軍の絵
ミカ:
ほかにも、日本への敬意を示す話はありますか。
教授:
あります。1920年代、日本の外交官がテヘランを訪れたとき、あるイラン人の家の壁には、日露戦争に関する絵や写真、日本の天皇や将軍の肖像が飾られていたと記録されています。
ミカ:
まるで日本史資料館ですね。
教授:
そうです。しかも場所は日本ではなくテヘランです。これは、日本が単なる遠い国ではなく、尊敬と関心の対象になっていたことを示しています。
ミカ:
そこまで日本に関心を持っていたとは、意外です。
教授:
今の日本人が忘れているだけです。明治日本の成功は、アジアや中東の人々にとって、かなりまぶしい出来事でした。
近代化を見に来たイラン人
ミカ:
イラン人が実際に日本を訪れたこともあったのですか。
教授:
ありました。イランの要人や知識人が日本を訪れ、京都や日光、学校、軍事施設などを見学し、日本の近代化に強い印象を受けた記録があります。
ミカ:
観光だけではなく、近代国家の見学ですね。
教授:
その通りです。彼らが見たかったのは、寺社仏閣だけではありません。学校、軍隊、行政、産業、社会秩序です。
ミカ:
つまり、「日本はどうやって強くなったのか」を見に来た。
教授:
まさにそれです。日本の近代化は、イランにとって研究対象でもありました。京都の寺を見て感動し、学校を見て感心し、軍事施設を見て考え込む。なかなか忙しい視察旅行です。
日本とイランの正式な外交関係
ミカ:
正式な外交関係はいつ始まったのですか。
教授:
日本は1929年にイランに公使館を開設し、イランは1930年に日本に公使館を開設しました。ここから正式な外交関係が始まります。
ミカ:
意外と近代になってからですね。
教授:
そうです。文化的なつながりは古くからありましたが、正式な外交は20世紀に入ってからです。その後、第二次世界大戦の影響で関係は一時中断しますが、1953年に外交関係が再開されます。
ミカ:
1953年。日章丸事件の年ですね。
教授:
そこに話がつながります。
日章丸事件――日本がイランの石油を買いに行った
ミカ:
出ました、日章丸事件。
教授:
1953年、イランは石油国有化をめぐってイギリスなどと対立していました。イラン産原油の輸出は厳しい状況に置かれていた。そこへ、出光興産のタンカー日章丸がイランへ向かい、イランから直接石油を買い付けたのです。
ミカ:
かなり大胆ですね。
教授:
大胆です。当時の国際環境を考えると、単なる商取引ではありません。イランから見れば、孤立しているときに日本企業が来た。これは記憶に残ります。
ミカ:
困っているときに来てくれた相手は、忘れにくい。
教授:
国も同じです。日章丸事件は、イラン側から見ると、日本が自分たちの尊厳を少し支えてくれた出来事として記憶されました。
日本人が忘れても、相手国は覚えている
ミカ:
日本では、日章丸事件を知らない人も多いですよね。
教授:
多いでしょう。しかし、国際関係では、日本人が忘れている出来事を、相手国が覚えていることがあります。
ミカ:
人間関係でもありますね。こちらは忘れているのに、相手は覚えている。
教授:
外交も同じです。こちらにとっては昔のニュースでも、相手にとっては尊厳に関わる記憶であることがあります。
ミカ:
だから、イラン側では日章丸事件が友好の象徴として語られる。
教授:
その通りです。日本人は、もっとこの話を知っておいた方がよい。石油の話であり、外交の話であり、戦後日本の気概の話でもあります。
日本は「欧米ではない近代国家」だった
ミカ:
結局、イランから見た日本の魅力は何だったのでしょうか。
教授:
最大の魅力は、欧米ではないのに近代国家になったことです。
ミカ:
イランにとって、それは希望だった。
教授:
そうです。欧米の力に苦しむ国にとって、「近代化=欧米化」だけでは苦しい。自分たちの文化や誇りを持ちながら、強い国家を作ることはできないのか。その問いに対して、日本は一つの実例を示しました。
ミカ:
日本は「東洋でも近代化できる」と示した。
教授:
そうです。もちろん日本の近代化にも影の部分はあります。しかし当時のイラン人にとって、日本は非欧米世界の成功例として大きな意味を持ったのです。
イランの親日感情は、単なる好感ではない
ミカ:
では、イランが日本に好意的なのは、単に日本製品が好きだからではないのですね。
教授:
それだけではありません。もちろん、日本車や電化製品、日本文化への好感もあります。しかし、その奥には、もっと長い歴史があります。
ミカ:
日露戦争への驚き。日本モデルへの関心。日章丸事件の記憶。
教授:
その三つは大きいですね。さらに、日本はイランを植民地支配した国ではありません。ここも重要です。
ミカ:
支配した記憶がない。尊敬された記憶がある。困った時に関係を切らなかった記憶がある。
教授:
よくまとまりました。国と国の関係は、昨日今日のニュースだけではわかりません。背後には、歴史の積立金があります。
ミカ:
歴史の積立金。税理士っぽい言い方ですね。
教授:
外交にも貸借対照表があります。見えない資産の部に、信頼と記憶が載っているのです。
ただし、友好と国益は別である
ミカ:
では、日本とイランは常に同じ立場なのでしょうか。
教授:
それは違います。ここは冷静に見る必要があります。日本はアメリカの同盟国であり、G7の一員です。一方、イランはアメリカやイスラエルと深く対立しています。
ミカ:
好意はあっても、国際政治の立場は違う。
教授:
その通りです。国際関係では、敬意、好意、国益は別々に考えなければなりません。
ミカ:
人間関係でも、仲が良いからといって、財布は別です。
教授:
かなり正確です。友好国であっても、請求書は来ます。
ミカ:
急に現実的になりました。
教授:
現実を見ない友好は、ただの気分です。
イランを見るときの一番大切な視点
ミカ:
イランを見るとき、一番大切な視点は何ですか。
教授:
イランは、単なる中東の一国ではありません。古代ペルシャの記憶を持つ文明国家です。だから、自尊心が強い。外国から命令されることを嫌う。自国の独立を重んじる。
ミカ:
そのイランが、日本には特別な敬意を持つ。
教授:
日本が、欧米の支配者ではなく、アジアで近代化を成し遂げた国だったからです。そして、日章丸事件のように、イランが苦しいときに関係を持った記憶があるからです。
ミカ:
イランと日本の関係は、石油だけでも、文化だけでも、政治だけでもない。
教授:
そうです。ペルシャの誇り、日本の近代化、日露戦争、日章丸、エネルギー、安全保障が重なっています。だから面白く、だから簡単には語れない。
結論――イランが日本に敬意を抱く理由
ミカ:
最後に、まとめるとどうなりますか。
教授:
イランが日本に敬意を抱く理由は、第一に、日本が非欧米の近代化成功例だったこと。第二に、日露戦争でロシアに勝利したことが、イラン人に強い衝撃を与えたこと。第三に、ペルシャ語新聞や文学作品の中で、日本が近代化と自立の象徴として語られたこと。第四に、日章丸事件で、イランが孤立していた時期に日本が石油取引を行ったこと。第五に、日本がイランを植民地支配した国ではなかったことです。
ミカ:
日本人が思っているより、日本はイランから見て意味のある国だった。
教授:
そうです。日本人が自分で忘れている日本の歴史的価値を、遠いペルシャの国が覚えている。そこに、日イラン関係の面白さがあります。
ミカ:
イランを見る目が少し変わりました。
教授:
国際情勢は、ニュースだけで見ると怖い。歴史から見ると、少し深く見える。イランと日本の関係は、その好例です。
ミカ:
まずは、イランとイラクを間違えないところからですね。
教授:
その通りです。イランはペルシャ。イラクはメソポタミア。ここを間違えなければ、世界の見え方は少し変わります。
