ゴルフをやめた理由⛳️たかが趣味が、人間関係を変えることがある
まえがき
ゴルフそのものが嫌いだったわけではありません。
むしろ、最初はかなり楽しみにしていました。
緑の中を歩く。
朝早くから体を動かす。
うまく当たれば気持ちがいい。
仲間と一日を過ごせる。
そう考えると、ゴルフはとても健全なレクリエーションに見えました。
実際、最初のころは楽しかったのです。
ボールが右に曲がろうが、左に飛ぼうが、池に吸い込まれようが、それはそれで笑えました。
ただ、私はうまくありませんでした。
スコアは110を切るのがやっと。
調子が悪ければ、それ以上たたくこともある。
いわゆる「下手なゴルファー」です。
レクリエーションのつもりだった
私にとってゴルフは、あくまで遊びでした。
プロを目指すわけでもない。
シングルプレーヤーになりたいわけでもない。
高級クラブのメンバーとして、人生をゴルフ中心に組み立てたいわけでもない。
ただ、仕事の付き合いや友人関係の中で、
「まあ、少しできたら楽しいかな」
という程度の気持ちでした。
ところが、ゴルフの世界には、こちらが思っている以上に深い温度差があります。
こちらはレクリエーションのつもり。
しかし相手は、長年練習し、高額の道具をそろえ、場合によっては高額の会員権まで手に入れている。
その人たちから見れば、私のような中途半端なゴルファーは、少し腹立たしく見えるのかもしれません。
「もっと真剣にやれ」
「それでは上達しない」
「ゴルフはそんな甘いものではない」
そう言いたくなる気持ちも、分からないではありません。
ゴルフに人生の一部を注いできた人にとっては、
ゴルフは単なる遊びではなく、技術であり、文化であり、誇りでもあるのでしょう。
だから、私のように、
「楽しく回れたらそれでいい」
という人間は、どこか許せない部分があったのかもしれません。
下手な人間は、いつの間にか教えられる側になる
ゴルフでは、スコアが数字で出ます。
これは分かりやすい反面、少し残酷でもあります。
100を切る人。
90を切る人。
80台で回る人。
そして、110を切るのがやっとの人。
数字が出ると、自然に序列ができます。
もちろん、上手い人が偉いわけではありません。
しかし、場の空気として、いつの間にかそうなりやすい。
私は下手でしたから、ラウンド中によくアドバイスを受けました。
「頭が動いている」
「手打ちになっている」
「そこは刻んだ方がいい」
「今のはクラブ選択が違う」
「もっと下半身を使わないと」
言っている人は、たぶん親切なのです。
本当に上達してほしいと思っている場合もあるでしょう。
しかし、受ける側からすると、だんだん疲れてきます。
なぜなら、ゴルフをしている一日中、
自分が「評価される側」になってしまうからです。
朝のドライバーショットから、昼食後のティーショット、最後のパットまで、ずっと見られている。
そして、何かあるたびに修正される。
これは、なかなかしんどいものです。
同級生でも、ゴルフをすると空気が変わる
不思議だったのは、相手が同級生でも同じことが起こることでした。
ゴルフをする前は対等だったはずです。
学生時代の話をして、冗談を言って、気楽に付き合っていた。
ところが、ゴルフ場に行くと、少し空気が変わる。
相手がゴルフの上級者で、こちらが下手だと、
いつの間にか相手が先生で、こちらが生徒のようになる。
「いや、そこは違う」
「なんでそう打つかな」
「それではいつまでたっても上手くならん」
もちろん、冗談半分です。
悪意があるわけではない。
しかし、こちらからすると、心の中で思うのです。
「いやいや、たかがゴルフが少し上手いだけやん」
この感覚は、なかなか口には出せません。
口に出せば、負け惜しみに聞こえるからです。
実際、私は下手でした。
だから、そう受け取られても仕方がない。
でも、人間関係として考えると、少し妙な話です。
仕事でも人格でも人生経験でもなく、
単にゴルフのスコアが少し良いだけで、
なぜか人間関係の目線まで変わってしまう。
そこに、私は違和感を覚えました。
接待ゴルフの構造はもっと露骨である
接待ゴルフになると、この構造はさらに分かりやすくなります。
相手に気持ちよく打ってもらう。
相手のナイスショットを褒める。
多少のミスは笑顔で流す。
いいスコアが出れば、こちらも一緒に喜ぶ。
要するに、相手をヨイショするわけです。
もちろん、それが仕事上必要な場面もあるでしょう。
人間関係を円滑にするための知恵でもあります。
ただ、冷静に見ると、接待ゴルフには、
「相手に上から目線を楽しんでもらう」
という要素がかなり露骨にあります。
相手は気分よくプレーする。
こちらはそれを盛り上げる。
相手が少し偉くなったような空気を作る。
それが接待として機能する。
ゴルフという競技の中に、
ビジネス上の上下関係がそのまま持ち込まれるわけです。
私は、この空気がどうにも苦手でした。
架空の話だが、こんな場面があったとする
たとえば、ある社長と取引先の若い担当者がゴルフに行ったとします。
社長は長年ゴルフをしていて、スコアは90前後。
若い担当者は初心者で、スコアは120。
最初は和やかです。
「今日は楽しくやりましょう」
「いやあ、私は下手ですから」
「大丈夫、大丈夫。ゴルフは楽しむものだから」
ところが、3ホール目くらいから雰囲気が変わります。
「君、構え方が違うよ」
「もっと肩を回さないと」
「それじゃ営業もゴルフも一緒で、詰めが甘いな」
冗談のようで、冗談ではない。
ゴルフの話をしているようで、仕事の評価まで混じってくる。
若い担当者は笑っています。
しかし内心では、たぶん疲れている。
社長は悪気なく楽しんでいる。
教えているつもりです。
親切のつもりです。
でも、そこには確かに上下関係がある。
これが、私には少ししんどいのです。
ゴルフだけの問題ではない
もちろん、これはゴルフだけの問題ではありません。
趣味の世界では、似たようなことがよく起こります。
楽器でも、釣りでも、写真でも、車でも、将棋でも、スポーツでも、
上手い人が少し偉く見える空気はあります。
知識がある人が、知らない人に教える。
経験がある人が、初心者にアドバイスする。
それ自体は悪いことではありません。
問題は、技術差がいつの間にか人間の上下に変わることです。
「上手い人」と「下手な人」なら分かります。
しかしそれが、
「上の人」と「下の人」
になってしまうと、話が変わります。
私は、その変化に敏感だったのだと思います。
だから、私はゴルフをやめた
結局、私はゴルフをやめました。
ゴルフが嫌いになったわけではありません。
クラブを振る感覚も、緑の中を歩く時間も、嫌いではありません。
ただ、ゴルフを取り巻く人間関係の空気に、自分を置きたくなくなったのです。
下手な側として、いつも教えられる。
評価される。
少し見下される。
冗談の形でいじられる。
それを楽しめる人もいるでしょう。
悔しさをバネにして上達する人もいるでしょう。
でも、私には合いませんでした。
人生には、わざわざ自分を疲れさせる場所に行かなくてもよい、という選択もあります。
ただし、家族で回るゴルフは別である
誤解されたくないのは、ゴルフそのものを否定しているわけではないということです。
たとえば、家族で楽しく回るゴルフなら、何の問題もありません。
親子で笑いながら打つ。
夫婦で散歩のようにコースを歩く。
スコアを気にせず、今日は天気がよかったねと言って帰る。
そういうゴルフは、むしろ素晴らしいと思います。
誰かを上に置かない。
誰かを下に見ない。
ミスを笑いに変える。
うまく打てたら一緒に喜ぶ。
それなら、ゴルフは本当に楽しいレクリエーションになります。
ゴルフが悪いのではありません。
ゴルフを通じて、余計な上下関係が生まれることが苦手だったのです。
たかが趣味、されど人間関係
たかがゴルフ。
されどゴルフ。
たかが趣味なのに、そこに人間関係の本質が出ることがあります。
人は、自分が少し得意な場所に立つと、知らないうちに目線が上がる。
そして、相手が苦手な場所にいると、知らないうちに教える側、評価する側になる。
それは、ゴルフに限った話ではありません。
私もきっと、別の場所では同じことをしているのかもしれません。
自分が得意な分野で、知らないうちに誰かを下に見ているかもしれない。
だから、これはゴルフ批判というより、自分への戒めでもあります。
人間は、自分が少し上手いことについて、つい偉そうになる。
そのことを、ゴルフは私に教えてくれました。
そして私は、ゴルフをやめました。
負け惜しみと言われれば、少しはそうかもしれません。
下手だったからこそ見えた景色もあります。
でも、それでよかったと思っています。
趣味は、本来、人を自由にするものです。
人間関係を窮屈にするためのものではありません。
私にとってゴルフは、楽しいけれど、少し窮屈な世界でした。
だから、静かにクラブを置いた。
それだけの話です。
