三島由紀夫に聞く🎤言葉で世界を作った男は、なぜ肉体に向かったのか🌙千夜一夜物語第144夜 日本語版
三島由紀夫の文学は、最初から危険なほど美しかった。
若き日の『仮面の告白』では、内面の秘密、欲望、孤独を、まるでガラス細工のような言葉で描いた。
『潮騒』では、健康な肉体と素朴な愛を描き、読者に「この作家は暗闇だけの人ではない」と思わせた。
しかし『金閣寺』では、美が人間を救うどころか、人間を追い詰めるものとして現れる。
美は飾りではない。
三島にとって、美は、時に刃物であった。
やがて三島は、言葉だけではなく、肉体にも向かっていく。
作家の机の上にあった原稿用紙の隣に、鍛えられた身体、舞台、行動、儀式が並びはじめる。
文学は紙の上で完結せず、人生そのものを巻き込んでいった。
そして晩年、三島は大作『豊饒の海』に取り組む。
『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』へと続く四部作である。
新潮社の略歴によれば、三島は1970年11月25日、『豊饒の海』第四巻『天人五衰』の最終回原稿を書き上げた後、自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決した。
同日、市ヶ谷で演説を行った後に自決したこと、また1968年に「楯の会」を結成していたことも記録されている。
ただし、この記事はその政治的主張を評価するものではない。
ここで考えたいのは、ひとりの作家が、なぜ言葉の世界だけでは満足できなくなったのか、という問題である。
インタビュー開始
ミカ
本日は、三島由紀夫さんにお越しいただきました。
まず、自己紹介をお願いします。
三島由紀夫
三島由紀夫です。
本名は平岡公威。
小説を書き、戯曲を書き、評論を書き、ついでに自分という人物まで、少々書きすぎました。
ミカ
自分まで書きすぎた、ですか。
三島由紀夫
作家というものは、油断すると自分の人生まで作品にしてしまう。
普通の人は日記を書く。
作家は、時々、日記の中に住みはじめる。
ミカ
かなり危険な職業ですね。
三島由紀夫
ええ。
しかも締切があります。
危険に締切がつくと、だいたい文学になります。
なぜ文学だけでは足りなかったのか
ミカ
三島さんは、言葉の力で世界を作れる人でした。
それなのに、なぜ肉体へ向かったのでしょうか。
三島由紀夫
言葉は万能に見えて、実はとてもずるいものです。
どんな勇気も、紙の上なら書ける。
どんな美も、形容詞を重ねれば作れる。
しかし、肉体はごまかせない。
ミカ
原稿用紙は嘘をつけるが、身体は嘘をつけない。
三島由紀夫
そうです。
原稿用紙は、作家に優しすぎる。
腹が出ていても「精神の貴族」と書ける。
運動不足でも「燃える魂」と書ける。
だが鏡は、なかなか辛辣です。
ミカ
鏡は編集者より厳しいですね。
三島由紀夫
編集者は原稿を直します。
鏡は人生を直せと言ってくる。
美とは何か
ミカ
三島文学では、美が重要なテーマです。
三島さんにとって、美とは何ですか。
三島由紀夫
美とは、こちらを見返してくるものです。
人間が美を見るのではない。
美のほうが人間を裁くのです。
ミカ
裁く?
三島由紀夫
たとえば金閣です。
美しい建物が、ただ黙って立っている。
しかし、それを見る人間の内側には、嫉妬、劣等感、欲望、破壊衝動が生まれる。
美は何もしていない。
それなのに、人間の醜さを照らしてしまう。
ミカ
美はライトのようなものですか。
三島由紀夫
ええ。
ただし照明係が少し意地悪です。
肉体を鍛えることは、精神を鍛えることなのか
ミカ
肉体を鍛えることは、精神を鍛えることなのでしょうか。
三島由紀夫
必ずしもそうではありません。
筋肉が増えても、人格が増えるとは限らない。
もしそうなら、世界で一番賢いのはダンベルです。
ミカ
それは困りますね。
ダンベルが文学賞を取ってしまいます。
三島由紀夫
ただし、肉体を鍛えると、精神の言い訳は減ります。
弱さを全部「繊細さ」と呼ぶことができなくなる。
不安を全部「思想」と呼ぶこともできなくなる。
ミカ
つまり、肉体は精神の監査役ですか。
三島由紀夫
いい表現です。
精神はよく粉飾決算をしますからね。
ミカ
税理士さんが聞いたら、うなずきそうです。
三島由紀夫
文学にも監査は必要です。
過剰な形容詞、未処理の虚栄、棚卸しされない欲望。
作家の貸借対照表は、たいてい資産より負債が多い。
作家は、どこまで自分の作品を生きてしまうのか
ミカ
作家は、どこまで自分の作品を生きてしまうのでしょうか。
三島由紀夫
本来は、作品を書いたら、作家は退場すべきです。
ところが作家は、なかなか舞台袖に引っ込めない。
読者に拍手されると、もう一幕やりたくなる。
ミカ
人生を舞台にしてしまう。
三島由紀夫
そうです。
ただ、これは非常に危険です。
作品の中の死、作品の中の美、作品の中の決断は、紙の上では完璧に見える。
しかし現実の人間は、紙よりずっと重い。
ミカ
現実は、比喩では済まない。
三島由紀夫
その通りです。
比喩で血は流れません。
しかし人間が比喩を本気にしすぎると、現実が傷つくことがある。
言葉で世界を作った男の矛盾
ミカ
三島さんは、言葉の人でありながら、言葉を疑っていたようにも見えます。
三島由紀夫
言葉は美しい。
だが、言葉だけで生きていると、自分が本当に生きているのか分からなくなる。
作家は「生きる」と書くことができる。
しかし、書いた瞬間に、本当に生きることから少し離れてしまう。
ミカ
言葉は世界を作るけれど、世界そのものではない。
三島由紀夫
ええ。
メニューをいくら美しく書いても、食事にはなりません。
ただ、作家は時々、メニューを食べようとする。
ミカ
それは胃に悪そうです。
三島由紀夫
文学は、胃にも悪いのです。
三島文学をどう読むべきか
ミカ
では、現代の私たちは三島文学をどう読めばよいのでしょうか。
三島由紀夫
まず、危険な魅力に酔いすぎないことです。
美しい文章は、読者を説得する前に魅了してしまう。
魅了された読者は、つい判断を忘れる。
ミカ
美文は、強いお酒のようなものですね。
三島由紀夫
ええ。
少量なら芸術です。
飲みすぎると、翌朝、思想の二日酔いになります。
ミカ
では、距離を置いて読む。
三島由紀夫
距離を置きながら、逃げずに読む。
三島文学には、人間の虚栄、孤独、美への執着、肉体への憧れ、死への誘惑がある。
それらは三島だけの問題ではありません。
程度の差こそあれ、私たちの中にもある。
結び
三島由紀夫を読むことは、ひとりの作家の人生を追うことではない。
それは、言葉がどこまで人間を高め、どこから人間を危うくするのかを考えることでもある。
文学は、人間を救うことがある。
しかし文学は、人間を酔わせることもある。
美は、人を励ますことがある。
しかし美は、人を裁くこともある。
三島由紀夫は、言葉で世界を作った。
そして、言葉だけでは届かない場所へ向かおうとした。
その行き先を肯定する必要はない。
だが、その問いから目をそらす必要もない。
なぜ文学だけでは足りなかったのか。
この問いは、三島由紀夫だけに向けられたものではない。
何かを作る人間すべてに向けられた、静かで鋭い問いである。
作家は作品を書く。
しかし時々、作品のほうが作家を書きはじめる。
三島由紀夫という存在の怖さと面白さは、まさにそこにある。
