歴史と文化が薫る 摂津国霊場巡礼記 10 善福寺
第十一番 如意山 善福寺――どんどろ大師、上町台地の祈りの街へ
天満エリアを離れ、南へ向かいました。
大阪市内、天王寺区へ。この地名だけで、風景が変わる感覚がおわかりいただけるかもしれません。梅田や天満の平地から一段高くなった場所に、上町台地はあります。その台地の上に、第十一番・善福寺はありました。

上町台地という場所のこと
大阪の地形を語るとき、上町台地は欠かせない存在です。
南北に細長く延びるこの台地は、周囲の低地とは明らかに性格の異なる地域です。水害に強く、見晴らしがよく、防衛にも適している。古代から人々はこの台地の上に重要な施設を集めてきました。難波宮、四天王寺、そして豊臣秀吉の大坂城。大阪の歴史を動かした舞台は、ことごとくこの台地の上にあります。
大坂城の南側に広がる天王寺区一帯は、寺院の密集地帯としても知られています。秀吉が大坂城を築く際、城の防衛線として寺院を城下に集めたという歴史的経緯もあり、この一帯には今も数多くの寺が軒を連ねています。摂津国八十八カ所の札所がこのエリアに集中しているのも、偶然ではありません。上町台地の巡礼は、大阪の歴史の核心部を歩く巡礼でもあるのです。

どんどろ大師とは
善福寺は「どんどろ大師」の名で、古くから大阪の人々に親しまれてきました。
「どんどろ」という不思議な響きの由来については諸説あります。かつてこの地に大きな榎の木があり、その木にまつわる怪異の話が伝わっているとも、境内で太鼓をどんどろと打ち鳴らす行事があったことに由来するとも言われています。いずれにせよ、このユニークな呼び名が長く愛されてきたことは、善福寺が大阪の庶民にとっていかに身近な存在であったかを物語っています。

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お弓とおつる
「傾城阿波の鳴門」どんどろ大師門前の場
善福寺は、上方の浄瑠璃・歌舞伎とも深い縁で結ばれています。
「傾城阿波の鳴門」は、近松半二ら合作による義太夫節の浄瑠璃で、明和5年(1768年)に大坂・竹本座で初演されました。八段目「巡礼歌の段」が特に有名で、今日でも多く上演されています。その舞台がここ、どんどろ大師の門前です。

粗筋はこうです。主君への忠義のため盗賊の身に身をやつした十郎兵衛の女房・お弓が、どんどろ大師の門前で一人の巡礼娘と出会います。両親を探して西国巡礼をしているというその娘の名はおつる。両親の名を問えば、間違いなくわが子でした。今すぐにも名乗り出て抱きしめたいお弓でしたが、盗賊として追われる身ゆえ、娘を巻き込むまいと、悩みに悩んだ末に母と名乗らず、国元へ帰るよう諭しておつるを帰し、泣き崩れます。
「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します」——おつるのこの台詞は、今も人々の胸を打ちます。どんどろ大師の門前が単なる寺院の入口ではなく、親子の情愛と人の業が交差した舞台として、深く心に迫ってきます。

境内にて
台地の上に立つ善福寺の境内からは、大阪の街が見渡せます。「如意山」という山号が示すように、台地の高みに建つお寺ならではの風格があります。天満の下町から歩いてきた身には、台地の上の空気が清々しく感じられました。


