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なぜヒップホップはキャップを愛したのか。『おじさんキャップ紀行。』

なぜヒップホップはキャップを愛したのか。

野球帽は、いつしかストリートの旗になった。

街を歩いていると、「NY」のロゴをよく見かける。

紺色のキャップに、白い二文字。

もちろん、ニューヨーク・ヤンキースのロゴである。

けれど、そのキャップをかぶっている人が、必ずしも野球ファンとは限らない。

ヤンキースの選手を一人も知らないかもしれない。

試合を見たことがないかもしれない。

それでも、「NY」のキャップは世界中でかぶられている。

日本の街でも、駅でも、音楽フェスでも、近所のコンビニでも見かける。

私は長い間、それを少し不思議に思っていた。

応援しているチームでもない。

住んでいる街でもない。

それなのに、なぜ人はそのロゴを選ぶのだろう。

調べていくと、野球だけでは説明できない歴史が見えてきた。

そこにはニューヨークという街があり、ヒップホップがあり、自分が何者であるかを表現しようとした若者たちの姿があった。

キャップは、ヒップホップによって突然流行したのではない。

すでに街にあった帽子に、新しい意味が与えられた。

今回は、野球帽がストリートの象徴へ変わっていった物語をたどってみたい。

ヒップホップは、街の中から生まれた

ヒップホップの歴史を語るとき、1970年代のニューヨーク、サウス・ブロンクスは避けて通れない。

当時のブロンクスは、貧困や失業、薬物、暴力、都市政策による地域の荒廃といった厳しい問題を抱えていた。

しかし、そこには同時に、黒人やラテン系を中心とした多様な住民の暮らしがあり、家族があり、地域のつながりがあった。

ヒップホップは、単に荒れた街から生まれた音楽ではない。

苦しさの中でも、若者たちが自分たちの声と居場所をつくろうとした文化だった。

象徴的な始まりとしてよく語られるのが、1973年8月11日、ブロンクスの集合住宅で開かれたパーティーである。

DJクール・ハークは二台のターンテーブルを使い、曲の中でダンサーが最も盛り上がる部分――ブレイク――を長くつないだ。

音楽を買うことはできても、自分たちの演奏場所や発表の機会を持つことが難しかった若者たちは、すでにあるレコードを組み替え、そこから新しい表現を生み出した。

DJが音をつなぐ。

MCが言葉を重ねる。

若者が踊る。

壁や電車にグラフィティが描かれる。

音楽、ラップ、ダンス、絵。

ヒップホップは一つの音楽ジャンルというより、街の中で生まれた複数の表現が結びついた文化だった。スミソニアンも、ヒップホップをDJ、MC、ブレイクダンス、グラフィティなどを含む、地域に根差した若者の芸術文化として紹介している。

立派なホールがなくてもいい。

高価な楽器がなくてもいい。

誰かに許可されなくても、自分たちの場所で、自分たちの言葉を使って表現する。

ヒップホップには、最初から「自分たちで意味をつくる」という精神があった。

その文化の中に、キャップも入っていった。

野球チームのロゴは、街の名前でもあった

アメリカのプロスポーツチームは、地域と強く結びついている。

ニューヨークにはヤンキースやメッツがいる。

ロサンゼルスにはドジャースがいる。

シカゴにはカブスやホワイトソックスがいる。

デトロイトにはタイガースがいる。

キャップに刺繍された「NY」や「LA」や「D」は、チームの印であると同時に、街の頭文字でもある。

だから、チームキャップをかぶることには、二つの意味が生まれる。

一つは、チームを応援すること。

もう一つは、自分がどの街に属しているかを示すことだ。

ニューヨークで育った若者にとって、ヤンキースのキャップは、遠い世界のブランドではなかった。

自分たちの街にすでに存在している、見慣れた記号だった。

ロゴを見れば、街の名前が分かる。

街の名前を見れば、自分たちが生きている場所を思い出す。

キャップは、言葉を使わずに、

「自分はここから来た」

と示すことができた。

それは、住所を伝えることとは少し違う。

街への誇り。

そこで生きてきた記憶。

仲間とのつながり。

外からは理解されにくい暮らし。

そうしたものを、小さなロゴに重ねることができたのだ。

ヤンキースの「NY」ロゴは、1920年代から球団のキャップに使われてきた。

長い野球史を背負うその記号は、やがて選手だけでなく、映画スターやミュージシャン、そしてヒップホップ・アーティストたちにもかぶられるようになった。

野球チームの帽子が、街の旗へと変わっていった。

そこが、キャップとヒップホップが結びつく重要な地点だった。

New Eraは「選手と同じもの」を街へ運んだ

ここで欠かせないのが、New Eraという会社である。

New Eraは1920年、アメリカのニューヨーク州バッファローで創業した帽子メーカーだ。

1930年代からプロ野球球団のためのキャップを製造し、1954年には、現在まで続く代表モデル「59FIFTY」を生み出した。

59FIFTYは、後ろにサイズ調整用の留め具がない。

頭の大きさに合わせて細かくサイズを選ぶ、フィッテッドと呼ばれるキャップである。

クラウンはしっかりと形を保ち、ツバは平らな状態で販売される。

現在のストリートファッションでおなじみの、あの堂々とした形だ。

New Eraは1950年代までに、複数のメジャーリーグ球団へキャップを供給するメーカーへ成長した。

そして1993年には、MLB全球団の公式オンフィールド・キャップ供給者となった。

つまり、選手が実際の試合でかぶるキャップと、街で若者が手にするキャップが、同じ系譜でつながった。

ここが大切だと思う。

ヒップホップの若者たちが求めたのは、野球帽に似せた飾りではなかった。

プロの選手がかぶるものと同じ、本物のチームキャップだった。

高級ブランドの服を全身そろえることは難しくても、キャップなら手が届く。

しかも、その一つだけで、街の名前とチームの歴史と本物らしい存在感を身につけることができる。

New Eraは、野球場の「本物」を、街の若者が自己表現に使える形で届けた。

それが、キャップの意味を大きく広げたのだろう。

ラッパーたちは、なぜキャップを選んだのか

ヒップホップのファッションというと、太いゴールドチェーンや大きなスニーカー、ゆったりした服を思い浮かべる人も多い。

しかし、キャップはそれらとは少し違う役割を持っていた。

キャップは比較的手に取りやすい。

毎日かぶることができる。

同じ服でも、頭に載せるロゴを変えれば意味が変わる。

そして何より、自分がどこから来たのかを示すことができる。

ヒップホップにとって、出身地は単なるプロフィールではない。

どの街で育ったのか。

どの地域の仲間とつながっているのか。

どんな環境から言葉を生み出しているのか。

それは音楽の一部であり、アイデンティティの一部だった。

だからラッパーがチームキャップをかぶることは、ただ流行の商品を選ぶことではなかった。

ニューヨークをかぶる。

ロサンゼルスをかぶる。

シカゴをかぶる。

デトロイトをかぶる。

街の名前を頭の上に置き、その場所から自分は語っているのだと示す。

キャップは、小さな旗だった。

声を出さなくても、その人の背景を語る旗である。

もちろん、すべてのアーティストが出身地のチームだけを選んだわけではない。

色や形、文字の美しさで選ぶこともある。

服装全体の配色に合わせることもある。

しかし、そうした自由な選び方も含めて、ヒップホップはスポーツ用品だったキャップを自己表現の言語へと変えていった。

選手がかぶる。

ファンがかぶる。

そしてアーティストが、新しい意味を与えてかぶる。

同じキャップが、場所を移るたびに別の物語を持ち始めたのだ。

キャップが世界へ広がった理由

1970年代にブロンクスで育ったヒップホップは、やがてニューヨークを越え、アメリカ全土へ、そして世界へ広がっていった。

レコード。

ラジオ。

音楽番組。

ミュージックビデオ。

映画。

雑誌。

そこに映るアーティストたちは、音楽だけを運んだのではない。

話し方、身ぶり、スニーカー、服のサイズ、ジュエリー、そしてキャップのかぶり方も一緒に運んだ。

映像の力は大きい。

知らない街の音楽を聴くとき、人は、その音を生み出した人が何を身につけているかも見る。

平らなツバ。

深くかぶった59FIFTY。

正面に大きく入ったチームロゴ。

それらはヒップホップの視覚的な言葉になっていった。

1990年代には、ヒップホップが世界的な大衆文化へ成長し、キャップもまたスポーツの枠を越えたファッションとして定着していく。

1996年には、映画監督で熱心なスポーツファンでもあるスパイク・リーの要望を受け、New Eraが従来のチームカラーとは異なる赤いヤンキースキャップを制作した。

公式チームキャップを「自分の色」で楽しむという発想は、その後のカスタムキャップ文化を広げる転機の一つになった。

キャップは、チームから街へ。

街から音楽へ。

音楽から世界へ。

そして世界へ広がった後は、それぞれの国や地域が、自分たちなりの意味を加えていった。

日本でも、ヒップホップやスケート、ストリートブランドを通じてキャップ文化が浸透した。

最初は海外のスタイルへの憧れだったかもしれない。

けれど、やがて日本のブランドやアーティストも、自分たちのロゴや言葉をキャップに載せるようになった。

文化は、ただ輸入されるのではない。

受け取った人が、自分の場所に合わせてつくり直す。

ブロンクスで生まれた表現が、世界の街で別の物語を持ち始めたのだ。

ヒップホップがキャップに与えたもの

ヒップホップは、キャップを発明したわけではない。

野球帽は、それよりずっと前から存在していた。

チームロゴも、New Eraも、ヒップホップ以前からあった。

それでも、ヒップホップはキャップの歴史に大きな変化をもたらした。

それは、帽子に新しい役割を与えたことである。

日差しを防ぐもの。

選手が試合で使うもの。

ファンがチームを応援するもの。

そこに、

自分の街を示すもの。

仲間とのつながりを示すもの。

好きな音楽や生き方を示すもの。

という意味が加わった。

ヒップホップは、すでに存在していたものを、自分たちの言葉へと読み替える文化でもあった。

レコードの一部分をつなぎ、新しい音楽にする。

街の壁を、新しい表現の場所にする。

スポーツ用のスニーカーを、ファッションの象徴にする。

野球帽を、自己表現の旗にする。

高価なものを一からつくれなくても、身近にあるものの意味を変えることはできる。

そこに、ヒップホップの創造性がある。

キャップが愛されたのは、安くて便利だったからだけではない。

小さな帽子の中に、自分の街、自分の仲間、自分の憧れを載せることができたからだ。

キャップは、声を出さずに語る

次に街で「NY」のロゴを見たとき、私は以前とは少し違う目で見るだろう。

もちろん、それはニューヨーク・ヤンキースのロゴである。

けれど同時に、ニューヨークという街の記号でもある。

そこには野球があり、映画があり、音楽があり、ヒップホップがある。

長い年月の中で、さまざまな人がそのロゴに意味を重ねてきた。

かぶっている人が、そのすべてを意識しているとは限らない。

単に形が好きなのかもしれない。

黒い服に合わせやすいから選んだのかもしれない。

けれど、本人が知らなくても、ロゴは歴史を背負っている。

人はときどき、自分が選んだものよりも長い物語を身につけている。

今回、私はヒップホップがキャップを流行らせただけではないことを知った。

ヒップホップは、キャップに新しい意味を与えた。

野球帽を街の旗にし、チームロゴを自己表現の言葉にした。

キャップをかぶることは、

「私はこのチームを応援しています」

と伝えるだけではない。

「私はこの街に心を寄せています」

「私はこの音楽が好きです」

「私は、この文化の中に自分を置きたい」

と静かに伝えることでもある。

キャップは声を出さない。

けれど、何も語っていないわけではない。

頭の上の小さなロゴが、その人の好きな世界を、ほんの少しだけ外へ見せている。

野球場から街へ出た帽子は、ヒップホップと出会い、人が自分の物語を表すための道具になった。

そう考えると、次に気になるのはロゴである。

「NY」だけではない。

「LA」もある。

「D」もある。

「SOX」もある。

企業のロゴもあれば、ストリートブランドのロゴもある。

私たちは、なぜその記号にひかれるのだろう。

そして、そのロゴの向こうには、どんな街や人や物語があるのだろう。

次回は、キャップに刺繍された小さな印を見つめてみたい。

ロゴは、ブランドを示すだけのものではなかった。

それは、人が身につけることのできる物語だった。


Kashimono / Karimono
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