「良い授業」より、「学びが勝手に始まる環境」をつくりたい
これまで自分が取り組んできた授業や学校での実践を振り返ると、そこには一貫した価値観があることに気づきます。
普段はあまり言葉にしてこなかったのですが、3Dプリンターや生成AI、探究学習、ICT活用、外部連携など、一見すると別々に見える実践の根っこには、共通する考えがあります。
それは、「教育は、教えることよりも、学びが起こる環境をつくること」という考えです。
教えることより、「学びが起こる環境」をつくる
私は、教師が知識や技能を効率よく伝えることだけが教育の中心だとは考えていません。
生徒自身が、
「やってみたい」
「確かめたい」
「もう少し工夫してみたい」
と思い、自分で手を動かし、失敗し、仲間と話し、もう一度試してみる。
そんな循環が自然に生まれる環境をつくることに、大きな価値を感じています。
だから、技術室も「授業をする場所」だけにはしたくありませんでした。
昼休みに生徒が立ち寄り、3Dプリンターやレーザーカッターを使いながら、自分のアイデアを形にしていく。教師が細かく指示しなくても、生徒同士で教え合い、データを修正し、また試す。
そんな様子を見ていると、私はむしろ、教師が前に立っていない時間にこそ、学びの本質が現れることがあると感じます。
教師がいなくても学びが動き続ける。
私は、そこに一つの理想を見ています。
完成された正解より、試行錯誤できる余白を残したい
もう一つ、自分の実践を振り返って強く感じるのは、完成された正解よりも、試行錯誤できる余白を大切にしているということです。
授業でも探究でも、最初から正解に近づくことより、
問いを立てる。
情報を集める。
仲間と話す。
試作する。
失敗する。
修正する。
この繰り返しを大切にしています。
作品がきれいに完成したかどうかだけではなく、そこに至るまでに何を考え、何を変えたのかを見る。
生成AIについても同じです。
AIに「正解」を出してもらうことが目的ではありません。
問いを広げたり、自分では思いつかなかった視点に出会ったり、試作の速度を上げたりするための「思考の相手」として使う。
便利な技術ほど、人間が考えなくなる方向ではなく、人間がより多く考え、より多く試せる方向に使いたいと思っています。
「新しいことをやった」で終わらせたくない
私は、新しい機器やICT、生成AIなどに興味があります。
ただ、「新しいから使いたい」という気持ちだけで導入することには慎重です。
学校で何かを続けていくには、
誰が管理するのか。
費用は継続できるのか。
教師の負担は増えないか。
生徒が安全に使えるか。
校内で合意を得られるか。
自分がいなくなったあとも続くか。
こうしたことまで考える必要があります。
一度だけ面白い授業ができても、それだけでは学校は変わりません。
だから私は、授業だけでなく、設備、予算、運用、ルール、外部連携、評価なども含めて考えるようになりました。
振り返ってみると、私は「すごい授業を一つつくること」以上に、良い学びが繰り返し起こる仕組みをつくることに面白さを感じているのだと思います。
学校の中だけで、教育を完結させない
これまで、大学教員、大学生、企業、地域の人、社会人など、学校の外にいる人たちと一緒に教育活動をつくってきました。
これは、単に「外部講師を呼ぶと授業が豪華になる」という話ではありません。
教師だけが、生徒のすべての学びを支える必要はない。
学校の中にある知識だけで、子どもたちの未来を考える必要もない。
そう思っています。
異なる専門性や経験を持つ人が、生徒の問いに関わることで、学びの世界は一気に広がります。
学校を少しだけ社会に開く。
必要なときに、必要な人とつながれる環境をつくる。
そうすることで、「授業」という時間や「学校」という場所を越えて学びが続いていきます。
教師は「教える人」だけではなく、「環境をデザインする人」
私は、自分がたくさん説明した授業より、生徒が自分たちで動き始めた授業に手応えを感じます。
教師がすべてを管理するのではなく、最低限の安全やルールを整えたうえで、ある程度任せてみる。
すると、生徒は教師が想定していなかったことまで始めることがあります。
だから、教師の専門性は「どれだけ詳しく説明できるか」だけではないと思っています。
どこまで教えるのか。
どこから任せるのか。
どんな道具を置くのか。
誰とつなぐのか。
どんな制約を設けるのか。
いつ介入するのか。
こうしたことを考えることも、教師の重要な仕事です。
私は教師を、学習環境をデザインする存在として捉えています。
「楽しそうだった」で終わらず、できるだけ確かめたい
一方で、新しい実践を「なんとなく良かった」で終わらせたくない、という思いもあります。
生徒が楽しそうだった。
盛り上がった。
良い作品ができた。
それももちろん大切です。
ただ、それだけではなく、
本当に生徒の考え方は変わったのか。
どんな力が伸びたのか。
逆に、うまくいかなかった部分は何か。
できるだけ確かめたいと思っています。
教育には、数値では測れないものがたくさんあります。
それでも、自分が良いと思った実践だからこそ、思い込みだけで評価せず、振り返りやデータを通して確かめる。
私は、実践して終わりではなく、実践と検証を往復したいのだと思います。
すべての根っこにあるのは、「人への信頼」かもしれない
ここまで書いてきたことを、さらに一段深く考えると、自分の実践の根っこには一つの考えがあるように思います。
それは、
人は、任せられ、道具を与えられ、誰かとつながることができれば、自分で学び始める。
という、人に対する信頼です。
だから私は、生徒を細かく管理するより、挑戦できる環境を整えたい。
失敗しない授業をつくるより、失敗してもやり直せる授業をつくりたい。
教師一人ですべてを抱えるより、学校の外の人とつながりたい。
完成された仕組みをそのまま使うより、自分たちでよりよい仕組みをつくっていきたい。
私が3Dプリンターや生成AI、デジタルファブリケーション、探究学習に惹かれるのも、それらが単に「新しい技術」だからではありません。
それらは、一人ひとりが、自分で考え、自分でつくり、自分で世界に働きかけられる範囲を広げてくれるからです。
私がつくりたいのは、「学びが自走する学校」
こうして振り返ってみると、私がつくりたいのは、単に「良い授業」がたくさんある学校ではないのだと思います。
生徒も教師も、
「やってみたい」
と思ったことを、実際に試すことができる。
誰かの指示を待たなくても、学びが始まる。
新しい技術や人とのつながりを取り込みながら、学校そのものが学び続けていく。
そんな学校です。
言い換えるなら、私が目指しているのは、「学びが自走する学校」なのだと思います。
そして、そのために教師ができることは、すべてを教えることではなく、
人を信じ、挑戦できる余白を残し、学びが起こる環境をつくり続けること。
今のところ、それが私自身の教育実践を最もよく表す言葉です。
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