「執着を手放せ」ができなかったのは、弱いからじゃなかった。
※この記事は2026年7月24日に加筆・更新しました。
「執着を手放せ」。この言葉、これまで何度聞いてきたでしょう。YouTubeでも本でも、あちこちで見かけますよね。言っていることは、よくわかります。
でも、いざやってみると、いつも逆でした。無理に消そうとすればするほど、執着ってかえって強くなっていく気がします。
もしかしたら、手放そうと力むこと自体が、いちばんの執着なのかもしれません。
僕の場合、執着が本当に薄れたのは、手放すのをやめたときでした。
意志で手放そうとするほど、うまくいかなかった
はじまりは、顔面麻痺でした。ある日、顔の右側が、少しずつ動かなくなっていきました。
体が止まって、僕はようやく気づきました。納得していないのに「いいですね」と言って、その場をやり過ごしてきたこと。それで「もう期待に応えるのはやめよう」と決めました。
そこからだんだん、楽にはなっていきます。それでも、執着は完全には抜けきれません。だから僕は、いくつか試してみました。
たとえば、「気にしない、気にしない」と自分に言い聞かせてみる。でも、これが逆効果でした。忘れようと念じている時間は、けっきょく、そのことを思い出している時間でした。
ただ、ひとつだけ、少し違ったものがありました。頭のなかのモヤモヤを、ノートに書き出すこと。消そうと力むのとは逆で、紙に出してみると、なぜか少し息がつけました。
転機は、夢中になれるものが現れたとき
変わったのは、本を書き始めたときでした。夜、寝る前の時間が、いつのまにか書く時間になっていました。
自己理解を深めていくうちに、「自分の経験を、誰かに届けたい」という気持ちが湧いてきました。その気持ちが、そのまま書くことへの衝動になっていきました。
義務でも、頑張りでもありません。ただ、夢中でした。
書いている間は、他のことが頭からすっと消えていきます。職場の人の顔色も、今日の評価も、来月どう思われるかも、いつのまにかどこかへ行っていました。
そんなある日、上司から、面と向かって「期待してるよ」と言われました。正直、嬉しくなかったわけじゃありません。ただ、心がもう別の場所に向いていたので、その言葉は、どこにも響きませんでした。
あ、執着がなくなってる。そう気づいたのは、手放そうとするのをやめて、ずいぶん経ってからでした。
「手放す」は、するものじゃなかった
僕はずっと、手放すのは自分の力で「する」ことだと思っていました。気合いや工夫の問題だろう、って。
でも、いざ執着が薄れていったとき、僕は「手放そう」なんてしていませんでした。ただ、夢中になれることに、まっすぐ向かっていただけでした。
執着って「捨てるもの」じゃなくて、夢中になれるものが現れたときに、自然と薄れていくものだと思います。
あの顔面麻痺の夜に「もうやめよう」と決めたことは、たしかに僕の背中を押してくれました。あの決意は、やっぱり必要だったと思います。
心の底から軽くなれたのは、もっと先のことでした。誰かに届けたい、という気持ちに素直になってから。手放す練習をするよりも、夢中になれるものを探す時間のほうが、僕にとってはずっと近道でした。
最近、時間を忘れて何かに没頭したのは、いつでしたか。
ほんの小さなことで大丈夫です。もし思い浮かばなくても、焦らなくていいと思います。僕自身も、ずいぶん長いあいだ探していたので。
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この記事の出発点になった、顔面麻痺のこと。体のほうが先に「もう無理」と言った、あの1ヶ月のことです。
「決意なんて意味あるの?」と思ったら、こちらを。手放すのをやめる前に、「もう、いいか」と口にした日のこと。
そんな生きづらさを言葉にしていったら、一冊の本になりました。同じところでつまずいてきた人に、届くといいなと思っています。
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