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【HSP/INFJ】「友達が減っていく」ことに、もう罪悪感を持たなくていい。

「今度、久しぶりに集まろうよ」

学生時代のグループLINEに通知が来る。 懐かしい名前。嫌いなわけじゃない。むしろ、かつては毎日のように笑い合っていた大切な仲間たちだ。

それなのに、私の指は止まる。 「行きたい」と即答できない。「予定を確認するね」と濁し、そのまま画面を伏せる。 そして心の中に、鉛のように重たい一言が浮かぶ。

「あー、めんどくさい」

この感情に気づくたび、私は自分がひどく冷酷な人間に思えて、自己嫌悪に陥ってきた。 みんなが当たり前に楽しんでいる「人付き合い」が、なぜ私にはこんなにも苦痛な労働のように感じるのだろうか。

今日は、この「めんどくさい」の正体について、私なりの答えを書いてみたい。



近づきたいのに、近づくと怖い

私の対人関係の悩みは、今に始まったことではない。 記憶を遡れば、高校1年生の頃からその傾向はあった。

初めて恋人ができた時のことだ。 本来なら世界が輝いて見えるはずの時期に、私は付き合って1週間もしないうちに、強烈な「不安」と「恐怖」の板挟みになっていた。 相手が離れていくのが怖い。でも、相手が近づいてきて、自分の領域に入り込んでくるのはもっと怖い。

まるで「アクセルとブレーキ」を同時に踏み続けているような状態。 その摩擦熱で心が焼き切れそうになる感覚は、大人になった今の友人関係にも形を変えて残っている。

「寂しいから誰かと繋がりたい」という気持ちと、「一人になって静寂に浸りたい」という切実な欲求。 この矛盾する二つの本音の間で揺れ動き、結果として一番エネルギーを使わない「回避(=めんどくさい)」という選択をしてしまうのだ。


会話は「エネルギーの交換」だから

HSP(Highly Sensitive Person)や内向的な気質を持つ私たちにとって、誰かと会うことは、単に時間を共有することではない。 それは、膨大な「エネルギーの交換」を意味する。

かつての友人たちと会うとなれば、私は無意識のうちにシミュレーションを始めてしまう。 「今の自分の価値観と、彼らの話題は合うだろうか」 「期待されるリアクションができるだろうか」 「その場に流れる空気を読んで、道化を演じることにならないか」

人混みや集団の中にいると、私はスポンジのように周りの感情やノイズを吸収し、マイナスのエネルギーを帯電してしまう。 だから、家に帰ってから泥のように眠ったり、一人でジャーナリングをして「放電」したりする時間がどうしても必要なのだ。

「めんどくさい」と感じるのは、私の心が「今はこれ以上、帯電できない」「バッテリー残量が足りない」とアラートを鳴らしている証拠なのだと思う。


人間関係は「炭火」でいい

若い頃は、着火剤のように一瞬で燃え上がる関係や、花火のように派手な繋がりが「友情」だと思っていた。 だから、連絡が途絶えたり、疎遠になったりすることを恐れていた。

でも、最近ジャーナルを書いていて、ふと気づいたことがある。 「人間関係は、なかなか火がつかないけど、ついたら長持ちする『炭』みたいなものでいいんじゃないか」

頻繁に連絡を取り合わなくてもいい。 SNSで互いの近況を監視し合わなくてもいい。 ふとした時に、数年ぶりの空白を一瞬で埋められるような、静かで温かい関係が一つか二つあれば、それで十分すぎるほど幸せなのではないか。

そう思えた時、減っていく友人関係に対する罪悪感が、すっと消えていった。


孤独は「孤立」ではない

今、私は以前よりも孤独だ。 休日の予定は真っ白だし、LINEの通知も少ない。

けれど、それは「孤立」ではなく、自分で選び取った「孤高」に近い。 自分という人間を守り、整えるための静寂な時間。 その時間を慈しめるようになった今、かつてのような「寂しさ」は不思議と感じない。

だから、もしあなたも「人付き合いがめんどくさい」と自分を責めているなら、どうかその感情を否定しないでほしい。 それは、あなたが冷たいからじゃない。 あなたが、自分の内側にある「静けさ」や「聖域」を、何よりも大切にしたいと願っている、繊細で思慮深い人だからだ。

無理に返信しなくていい。 嘘をついてまで会わなくていい。

私たちは、私たちのペースで、炭火のようにゆっくりと生きていけばいいのだから。

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