【何かと落ち着かない人へ】夜の公園で、ただ星を見上げるだけ。それが最高の"充電"でした。
ちょっと前まで、なぜかずっと体が重かった。
肩も背中もガチガチで、なんとなくだるくて、その重さに引きずられるように心まで一緒に沈んでいく感じでした。
それが6月に入って、ふっと変わりました。きっかけは、静かな夜の自然公園でひとりヨガを始めたこと。そしてそのまま、星を見上げてまどろむ時間が——今の僕の、いちばんの楽しみになっています。
「ちゃんとケアしてる」のに、なぜか電池が切れていく
僕はこれまで、自分を整えるためにいろいろやってきました。ひとりでぶつぶつ独り言を言いながら散歩したり、頭の中のもやもやをノートに書き出すジャーナリングをしたり。
これはこれで、すごく大事なんです。むしろ僕には必要な習慣で、やめるつもりはまったくありません。
ただ最近、ひとつ気づいたことがあって。独り言散歩もジャーナリングも、自分の中に溜まったものを「外に出す」作業なんですよね。吐き出してスッキリする、整理されて軽くなる。でもそれって、よく考えたら自分を絞り出している"放電"の時間でもあったんです。
大事なんだけど、それだけだと、満ちていく感覚までは届かないことがある。そんな感覚がありました。
なぜ「何もしない夜」が、いちばんの"充電"になるのか
静かな夜の自然公園には、誰もいません。ヨガで体をほどいたあと、僕はそのまま座って、ただ空を見上げます。
星が見える。そよ風が頬をなでる。何も考えていないし、何もしていない。ただ、まどろんでいるだけ。
でも、不思議なもんで、その「何もしていない時間」こそが、自分が満ちていく"充電"の時間だと気づいたんです。しかもこれ、お金は1円もかかりません。
そういえば高校生の頃も、友達と近所の川沿いの土手を、夜よく散歩していました。あの頃から僕は、夜の自然にこっそり助けられていたのかもしれません。
梅雨入りして気づいた、大事なのは"場所"じゃなかった
関東も梅雨入りしましたね。それでも僕は、雨が降っていない日は、ほぼ毎日公園に通っています。それくらい、自分にとって手放せない時間になりました。
もちろん、雨の日は行けません。でも大事なのは、夜の公園という"場所"そのものじゃなかった。何もしない時間を、自分に許してあげること——それが、僕にとっての本当の充電だったんだと。場所はきっかけにすぎなくて、雨の夜には、その日なりの"何もしない時間"を見つければいいんですよね。
「何もしない時間なんて、もったいない」。昔の僕なら、そう思っていました。何かしていないと落ち着かなくて、休むことにすら、どこか罪悪感があった。
でも今は、こう思います。ただ空を見上げて、風に吹かれて、まどろむ。そういう時間こそが、人生の余白なんだって。そして余白のある人生は、ちゃんと、息がしやすい。
あなたにも、ただ空を見上げるだけの時間って、ありますか?よかったら、教えてください。
「ちゃんと自分をケアしなきゃ」と頑張りすぎて、かえってすり減ってしまう。もし、この記事のどこかに「わかる」と感じてくれたなら。
そんな僕が、ひとり言とノートで自分に戻っていく習慣を、一冊にまとめました。期待に応えることに疲れた内向型の人が、肩の力を抜いて、また息がしやすくなるまでの道のりを書いています。よかったら、のぞいてみてください。
