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人の「心の箱庭」にそっと触れられる場所。僕がnoteだけは"ホーム"だと感じる理由。

人と話すのが苦手なわけじゃないんです。仲のいい人とは、普通に話せる。

ただ、歳を重ねるごとに、新しく誰かと一から関係を作ることが、だんだんめんどくさくなってきた。そんな自分に、最近よく気づくんですよね。



なぜ、歳をとるほど人付き合いがめんどくさくなるんだろう

人が嫌いになったわけじゃないんです。怖いわけでもない。

ただ、これまで生きてきたなかで、新しく繋がった人も多かったけれど、それと同じくらい、切れていった関係も増えてきました。

だから、新しい人と出会っても、「どうせまた、いつか切れてしまうんだろうな」という思いが、どうしても先に立つんです。一から関係を築くのは、ただでさえすごく気力がいる。そこに「どうせ切れる」という諦めが乗っかると、最初の一歩がもう重くなる——それが、僕の「めんどくさい」の正体なんだと思います。

でもnoteは違うんです。記事を開いた時点で、相手がどういう人か、ある程度わかった状態でやり取りが始まる。会う前から、相手の「心の箱庭」が見えている——そんな感覚があるんです。

探り合いに気力を使わなくていい。しかも、関わりたいと思える人とだけ関われる。僕にとっては、それがすごくありがたいんです。


コメントは、お互いの「箱庭」にそっとお邪魔させてもらうこと

僕がいちばん「深く繋がったな」と感じるのは、コメントをいただけたとき、そして、させていただいたときです。

たぶんそれは、お互いがもう先に、自分のいちばん柔らかいところを文章でさらけ出しているからだと思うんです。だからコメントの一往復に、世間話とは違う温度が宿る

相手の箱庭に、土足で上がるんじゃなくて、そっとお邪魔させてもらう感じ。そして自分の箱庭にも、誰かがそっと訪ねてきてくれる。

あんなに気力をすり減らさなくても、すっと心の距離が近づいていく。この往復こそが、僕にとっての「深く繋がる」ということなんだと、最近やっとわかってきました。


だからnoteは、僕にとっていちばん居心地のいい場所なんだと思う

人付き合いはめんどくさい。でも、本当はちゃんと繋がりたい。その両方を、ずっと抱えてきました。

noteは、その両方を抱えたままの僕を、責めずに置いておいてくれる場所です。無理に社交的にならなくていい。めんどくさがりのままでいい。それでも、関わりたい人と、ちゃんと繋がれる。

だから僕は、ここを"ホーム"みたいに感じるんだと思います。肩の力を抜いたまま、また誰かの箱庭に、そっとお邪魔させてもらえる。

——あなたにとっての"ホーム"みたいな場所って、どこかにありますか?よかったら、コメントで教えてください。僕は、コメントはいつでも大歓迎なので。


もし、この記事のどこかに「わかる」と感じてくれたなら

あなたもきっと、知らないうちに、まわりの期待に応えようと頑張りすぎてきた人なのかもしれません。僕自身、長いあいだそうでした。

そんな僕が、「もう他人の期待に応えなくてもいいんだ」と思えるようになるまでのことを、一冊の本にまとめています。

読み終えたあとに、少しだけ肩の力が抜けて、「このままの自分でいいのかもしれない」と思える。そんな時間になればと思って書きました。

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