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【取り越し苦労】まだ来てない明日を、もう生きてしまっている。

布団に入って、目を閉じる。
身体は疲れているはずなのに、頭の中だけが異様に冴えている。

「明日の朝イチ、あの件を聞かれたらどう答えよう」
「もし会議で急に意見を求められたら」
「あの人、今日のメール見てどう思っただろう」

まだ何も起きていない。
誰にも何も言われていない。
なのに、心臓がじわじわと速くなっていく。
寝る間際の生活音が、やけに大きく聞こえる夜。

今夜はその話をさせてください。



頭の中の「予行演習」が止まらない

明日の会議。
来週の面談。
再来月の異動。
まだ確定してすらいない出来事に対して、頭が勝手に動き出す。

「こう聞かれたら、こう返そう」
「この展開になったら、こう切り抜けよう」
「最悪の場合は——」

一つのシナリオが終わると、すぐに次のパターンが始まる。
しかも、うまくいくパターンは一瞬で消えるのに、失敗するパターンだけが何度も何度も繰り返される。

「大丈夫だった」という結末には、なぜか頭が満足してくれない。
もっと悪い展開があるんじゃないか、見落としているリスクがあるんじゃないかと、際限なく粗探しを続ける。

誰に頼まれたわけでもないのに、ずっとこれをやっている。


現実を「2回」生きている

ある時、気がついた。

僕は同じ一日を、2回生きている。

1回目は、前日の夜に頭の中で。
2回目は、翌日、実際に。

しかも1回目のほうが、だいたい辛い。

実際に迎えた朝は、想像していたほど最悪じゃないことがほとんどだ。
会議では別に急に振られなかったし、上司の機嫌も普通だった。
心配していたメールの返信も、拍子抜けするほどあっさりしたものだった。

なのに、前の晩に頭の中で過ごした「最悪の1日目」の疲れは、ちゃんと身体に残っている。

朝がしんどいのは、前日の夜にもう当日を終えているからだ。

想像の中の当日は、実際の当日よりずっとキツい。
最悪のパターンばかり選んで再生しているのだから、当たり前だと思う。

それを毎晩やっているのだから、慢性的にエネルギーが足りなくなるのも、当たり前だ。


「安堵」すら、次の不安の燃料になる

厄介なのは、取り越し苦労が「当たらなかった」ときだ。

会議が無事に終わった。
振られなかった。
怒られなかった。
ほっとする。

——でも、その安堵は長続きしない。

「今回はたまたまだっただけかもしれない」
「次はそうはいかないかもしれない」
「油断した隙に、本当に最悪のことが起きるかもしれない」

心配していたことが起きなかったのに、安心できない。
むしろ、「起きなかったこと」が次への不安を強くする。

そのうち、「心配しておくこと」自体が自分の役割みたいになってくる。
心配しておかないと、本当に悪いことが起きる気がする。
備えていないと、自分を許せない気がする。

でも本当は、心配したから悪いことが防げたわけじゃない。
心配しなかったから悪いことが起きたわけでもない。

頭ではわかっているのに、やめられない。
それが取り越し苦労の、一番しんどいところだと思う。


取り越し苦労は「コントロール」の代わりだった

なぜ、やめられないのか。

しばらく考えて、少しだけ見えてきたことがある。

自分が議題を設定した会議なら、そこまで不安にならない。
でも、何を聞かれるかわからない面談や、急に振られるかもしれないスピーチは、前日から頭の中がざわつき始める。

この違いは、内容の難しさじゃない。
「自分がハンドルを握れているかどうか」だ。

ハンドルを握れていない場面ほど、頭は必死にシミュレーションを回す。 「せめて予測だけでもしておかないと」と、夜通しあらゆる展開を想定し続ける。

つまり取り越し苦労は、コントロールできない未来を、せめて頭の中だけでもコントロールしようとする行為だったんだと思う。

でも皮肉なことに、頭の中でどれだけ入念にリハーサルしても、現実はその通りにはならない。
用意した答えが使われることはほとんどなく、想定していなかった角度から話が来る。

結局、あの夜のシミュレーションは何だったのか。
疲労だけが確実に残って、準備した想定は一度も使われないまま消えていく。

それでも翌晩、また同じことを始めてしまう。
「次こそは完璧に備えておこう」と。

この繰り返しに気づいた時、僕がずっと怖かったのは、明日の会議でも、上司の顔色でもなかったとわかった。

「どうなるかわからない」ということ自体が、ずっと怖かった。


シミュレーションを「吐き出す」ほうに使う

じゃあどうすればいいのか。

正直、「心配するのをやめよう」と思ってやめられるなら、最初から苦労していない。

僕の場合は、頭の中でぐるぐる回っているものを、外に出すようにした。

シミュレーションが始まったら、メモに書き出す。
「明日の会議で振られるのが怖い」
「何を聞かれるかわからないのが嫌だ」
「うまく答えられなかったらどうしよう」

きれいに書く必要はない。
頭の中で回っている言葉を、そのまま外に出すだけ。

書いてみると、不思議なことに気づく。
さっきまで頭の中では巨大に感じていた不安が、文字にすると意外と短い。 3行くらいで終わってしまうこともある。

頭の中に置いておくから、際限なく膨らんでいく。
外に出してしまえば、「ああ、僕が怖かったのはこれか」と、輪郭が見える。

輪郭が見えると、少しだけ落ち着く。
正体がわからないものが一番怖いのと同じで、自分の不安も「何が怖いのか」が見えた瞬間に、少しだけサイズが小さくなる。

シミュレーションを止めることはできない。
でも、頭の中で回し続けるか、外に出すかは選べる。

回し続けると、朝まで疲弊する。
外に出すと、「ああ、これだったのか」と気づいて、その先は意外と眠れたりする。

毎回うまくいくわけじゃない。
書き出した後も、頭がまた動き出す夜もある。

でも、何もせずに天井を見つめているよりは、ずっとマシだと実感している。


同じ夜を過ごしているあなたへ

もし今夜も、まだ届いていないメールの返信を想像して、まだ言われてもいない言葉にざわついているなら。

僕もまだ同じような夜をおくることがあります。

取り越し苦労をゼロにする方法は、たぶんない。
この先も、明日のことを先回りして考え続けるんだろうと思う。

でも、一つだけわかったことがある。

あの夜に頭の中で準備したことは、翌日、ほとんど使われなかった。
使われなかったけれど、あの夜の疲れだけは本物だった。

だから、せめてその疲れの分だけでも、外に出してから眠りたい。
スマホのメモでも、ノートの端っこでもいい。
頭の中で回っているものを、一行でも文字にしてから目を閉じる。

まだ来ていない明日を、今夜のうちに全部生きる必要はない。
明日は、明日の自分が初めて出会えばいい。

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