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「星梅夜曲(ほしうめやきょく)」——越生幻想譚




「星梅夜曲(ほしうめやきょく)」
——越生幻想譚(おごせげんそうたん)


ぢぢ、と虫が鳴きはじめ
風はふわりとまどろみ、
月のしたでは
小さなことが、おおきなことになります。

**

山のふところに、
こつん、と
ひとつの酒蔵。


とおいむかしからそこにあって
しゃくん、しゃくんと
土と石に根をはり、
雨の音をきき、
風のかたちを記憶し、
星の明滅をうけとめながら、

しん……

酒を醸してきました。

**

そのうしろには、
誰の手にもかからぬ梅の木が、
ぽつん、と立っています。


春には、ぽとぽとと白い花、
夏には、ぷっくりした実。

それらは、
風のささやきと
月のしずくと
雲のうつろいと
草のうなりを吸って、
むくむくと、まあるく、
ふくらんでいくのでした。

**

その根もとを流れるのが——
越辺川(おっぺがわ)。


しゃばしゃばしゃば……
ころん、ころん……

ときには、
ざんぶ、ざぶ、と
おおきな声を出すけれど、

ふだんは、ただ黙って、
人の涙も、
捨てたことばも、
わらい声のかけらも、
すいすい、すい……と運んでいく川。

夜になると、
星をたたえて、
ひかりの影を、
そっとふところにいれるのです。

**

ある年の初夏——
卯の花がこぼれて、
畦の麦が、ざあ……っと波をうち、
草は風にふるふると鳴りました。

その夜は、
どこからか、
とぷ、とぷ、と
音もなく湿気がしのびこみ、

月はまんまる、
空気はぬるく、
だれもが口をつぐんで
何かを待っているような——

しん……しん……と
世界じゅうが耳をすます夜。

**

そして、
ぽっ。

ひとつめの蛍が、灯りました。

ぽっ、
ぽぽっ、
ぽっ。

酒蔵の屋根の上、
梅の枝のすきま、
川面のそば。



それらはまるで、
梅の精たちがひらいた灯火のように、
ふわん、ふわんと、
夜の譜(ふ)を奏ではじめました。



ひかりがふるえ、
水がうたって、
風がめくれて、
闇がよろこび、
星は、すこしずつ降りてきました。

**

蔵人たちは、
酒蔵の戸口に立って言いました。

「ほれ、ことしも舞いよった」
「この梅の木が、見せてくれるんだ」
「ええ酒ができる、っちゅう合図じゃ」

手をあわせて、
目をつむって、
しんしん……と耳をすませば、

どこかで、
とくん、とくんと
梅の実が熟す音がして、

かん、かん……と
ひそかな鐘のように
川が光っているのでした。


**

その夜の越辺川は——
あたたかくて、
やわらかくて、
やや、甘くて、

星の屑と、
蛍の灯りと、
酒になるまえの夢を
いっしょに流していたのです。

**

そして今でも、
梅の木は、そこに立ちつづけています。

誰も気づかなくても、
だれにも褒められなくても、

ぽっ、ぽっ……と
夜のあかりを呼ぶ力を
ひそかに、その枝にたたえて——



著者より
佐藤の姉と弟に
お祝いの辞



「星醸のうた」

ひかりのさす
武蔵の山のふところに
やわらかに うめのかがやくところ
越生の里に ひとつの蔵がありました

弘化元年の春のこと
まじめなひとびとの手によりて
いっぽんの酒が 星のしずくのように
この地に そっと うまれました

それから 百八十年
雪もふり
梅も咲き
蛙がなき 風がわらうあいだにも
その蔵のあかりは けして絶えず

いまは 姉と弟
やさしくて つよいふたり
ふるい柱を ともにささえて
たがいの息を聴きながら
酒を醸しているのでした

わたくしは 友として
このふたりのうしろすがたを
そっと 星のひかりのなかで見つめながら
ひとつの願いを おもいます

──どうか
このしずかな愛の蔵が
二百年の先にも うつくしく灯っていてほしいと

だから このうたを描きました
うめの香のふく 春の宵に
そっと 風にたくして

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