ビザンツ人はどんな家に住んでいたのか― 千年前の「普通の暮らし」をのぞいてみる ―
第1部「コンスタンティノープルで暮らす」#3
シリーズ:ビザンツ文明に学ぶ生き方
コンスタンティノープルの街路を歩いていると、壮麗なハギア・ソフィアや巨大な宮殿に目を奪われます。
しかし、その街に暮らしていた大多数の人々は、皇帝でも貴族でもありませんでした。市場で働く商人、工房で働く職人、港で荷を運ぶ労働者たちです。彼らは一日の仕事を終えると、どのような家へ帰っていったのでしょうか。
今回は、ビザンツ人の日常が営まれていた「家」を訪ねてみたいと思います。
私たちが想像する「中世の家」は間違っている
「中世の家」と聞くと、どんなものを想像するでしょうか。
薄暗い石造りの家。
寒い部屋。
粗末な木の机。
映画やゲームの影響もあって、そんなイメージを持つ人は少なくありません。しかし実際のビザンツの都市生活は、もう少し多様でした。もちろん皇帝や貴族の家と庶民の家では大きな差があります。
決して快適とは言えませんが、コンスタンティノープルには大都市ならではの住環境が存在していました。
意外と「集合住宅」が多かった
私たちは中世の都市というと、一軒家が並ぶ街並みを想像しがちです。しかし人口数十万人を抱えたコンスタンティノープルでは、それだけでは足りません。
実際には複数階建ての建物も存在し、多くの市民がそこで暮らしていました。

もちろん現代のマンションのような快適さはありません。
しかし、「都市に住む多くの人々が、限られた空間を共有して暮らしていた」という点では、現代の都市生活と意外な共通点があります。
千年前のコンスタンティノープルでも、住宅問題は存在していたのです。
家の中心は「家族」だった
ビザンツ人にとって家とは、単なる建物ではありませんでした。
家族が共に生きる場所でした。
現代では、仕事は会社、学びは学校、娯楽は外出先、と生活が細かく分かれています。
しかし当時は違います。
仕事も生活も教育も、かなりの部分が家庭の中で行われていました。
子どもは親の仕事を見て育ちます。
職人の子は職人になります。
商人の子は商売を学びます。
家は人生そのものが営まれる場所だったのです。
台所は家の心臓だった
現代人にとって食事は、仕事や趣味の合間に済ませるものかもしれません。
しかしビザンツ時代の家庭では、今よりもはるかに食事の準備が生活の大きな部分を占めていました。
ビザンツ人の主食はパンです。パンはほぼ毎日の食卓に並びました。
パンを焼く。
スープを作る。
保存食を管理する。
食べることは毎日の重要な仕事でした。
そのため台所は単なる調理場ではなく、多くの時間と労力が費やされる生活の中心でもありました。
ビザンツ人にとって、台所は家の心臓とも言える場所だったのです。
家の中にも信仰があった
東方正教会シリーズで見たように、ビザンツ社会にとって信仰は特別なものではなく、生活そのものの一部でした。
そのため家の中にも宗教的な空間がありました。
小さなイコン、十字架、聖人の絵。
朝起きると祈る。
食事の前に祈る。
夜寝る前に祈る。
教会だけが信仰の場所ではありません。
家そのものが小さな祈りの空間だったのです。
おわりに
コンスタンティノープルの市民は、巨大な宮殿ではなく、ごく普通の家で暮らしていました。そこで食事をし、働き、祈り、子どもを育てました。
歴史は皇帝だけが作るものではありません。
朝になると市場へ向かい、夕方になると家へ帰る。そんな無数の人々の日常が積み重なって、千年帝国は支えられていました。
ビザンツ文明を理解するとは、そうした名もなき人々の暮らしを理解することでもあるのです。
冒頭図版出典:Francis Hervé「Houses in Constantinople」(1837年)/Wikimedia Commons(パブリックドメイン)
※ビザンツ時代の作品ではないが、中世コンスタンティノープルの住宅の面影を伝える19世紀の石版画。
▼シリーズ:ビザンツ文明に学ぶ生き方
第1部「コンスタンティノープルで暮らす」
#1:なぜビザンツ帝国は千年続いたのか― 千年帝国の人々が大切にしていたもの ―
#2:世界最大の都市に住むということ― コンスタンティノープルはどんな街だったのか ―
#3:ビザンツ人はどんな家に住んでいたのか― 千年前の「普通の暮らし」をのぞいてみる ―(本記事)
※このシリーズは今後も続きます。
