結婚は恋愛のゴールだったのか― ビザンツ人の愛と家族観 ―
第2部「ビザンツ人として生きる」#2
シリーズ:ビザンツ文明に学ぶ生き方
もしあなたが新婚の夫婦に、「なぜその人と結婚したのですか?」と尋ねたら、どのような答えが返ってくるでしょうか。
「一緒にいて楽しいから」
「顔がタイプだから」
「価値観が合うから」
「優しいから」
「経済的に安心できるから」
おそらく、多くの答えはこのようなものでしょう。もちろん、それが悪いということではありません。
しかし、もし同じ質問を千年前のビザンツ人にしたら、返ってくる答えは少し違っていたかもしれません。
彼らにとって結婚は、単に「好きな人と一緒になること」ではありませんでした。
それは人生そのものの目的と深く結びついた出来事だったのです。
「好きだから結婚する」は十分な理由ではなかった
現代では、「好きだから結婚する」という考え方はごく自然です。
しかしビザンツ人にとって、それだけでは結婚する理由として十分ではありませんでした。
なぜなら結婚は、単なる感情の問題ではなく、人生全体に関わる共同の歩みだったからです。
結婚によって、家庭が築かれ、子どもが育ち、信仰が次世代へ受け継がれていきます。
つまり結婚は、二人だけの出来事ではなく、家族や共同体全体に関わる重要な出来事だったのです。
ビザンツ人は何を見て結婚相手を選んだのか
では彼らは何を重視したのでしょうか。
もちろん家柄や経済力も考慮されました。
しかし、それ以上に重要だったのは、
「この人と善い人生を歩めるか」ということでした。
現代風に言えば、「幸せにしてくれる人」を探すというより、「共に善く生きられる人」を探していたのです。
誠実な人か。
信頼できる人か。
家庭を築く覚悟があるか。
信仰を共有できるか。
困難に直面したとき支え合えるか。
そうしたことが重要視されました。
結婚は「小さな教会」を作ることだった
東方教会には、家庭を「小さな教会」とみなす伝統があります。
これは単なる比喩ではありません。
ビザンツ人にとって家庭とは、食事をし、眠り、子どもを育てる場所であるだけでなく、共に祈り、共に成長し、共に神へ向かう場所でもありました。
夫婦は単なる同居人ではありません。
神の前で人生を共にする協力者でした。
そのため結婚式も、単なる契約の締結ではなく、神の祝福を受ける神聖な儀式として行われました。
愛とは感情だけではなかった
私たち現代人はしばしば、愛とは感情だと考えます。
好意を抱くこと。
共に時間を過ごしたいと願うこと。
相手の存在に心が強く惹かれること。
もちろんビザンツ人もそれを否定していたわけではありません。しかし彼らは、それだけを愛とは考えませんでした。
むしろ、
相手を支えること。
赦すこと。
忍耐すること。
相手の成長を願うこと。
共に困難を乗り越えること。
そうした行為全てを愛だと考えていました。
結婚は人生の共同体だった
ビザンツ人は、結婚は幸福を保証する制度というより、人生を共に歩み、人格を育てるための共同の営みと考えました。
このように考えられた背景には、ビザンツ人の世界観があります。
彼らは人生を、成功するための競争ではなく、魂を成長させる旅だと考えていました。
仕事も、学問も、家族も、結婚も、すべてはその旅の一部でした。
だから結婚相手も、自分を楽しませてくれる人ではなく、共に旅を歩む仲間として選ばれたのです。
ビザンツ人の結婚観が問いかけるもの
現代人がビザンツ人のように考えるべきだというのは無理があるでしょう。時代も社会も文化背景も大きく異なります。
しかし、彼らの結婚観は、私たち自身の価値観を見つめ直すための鏡になります。
私たちは結婚相手に何を求めているのか。
幸せにしてくれる人なのか。
自分にとって条件の良い人なのか。
それとも、共に善く生きられる人なのか。
千年前のコンスタンティノープルでも、人々は誰かを愛し、家庭を築き、人生を共に歩みました。ただ、その歩みの先に求めていたものは、私たちが今日思い描く幸福とは少し違っていたようです。
冒頭図版出典:ビザンツ時代の都市生活。左は結婚の場面、右は家族の団らんを描いている。Wikimedia Commons(Public Domain)
▼シリーズ:ビザンツ文明に学ぶ生き方
第2部「ビザンツ人として生きる」
#1:なぜ彼らは古典を読み続けたのか― 千年前の教育が問いかけるもの ―
#2:結婚は恋愛のゴールだったのか― ビザンツ人の愛と家族観 ―(本記事)
※このシリーズは今後も続きます。
