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皇帝とは何者だったのか― ビザンツ人が見た「地上の秩序」―

第1部「コンスタンティノープルで暮らす」#5
シリーズ:ビザンツ文明に学ぶ生き方

私たちは「皇帝」と聞けば、どのような人物を想像するでしょうか。

豪華な宮殿に住み、絶大な権力を持つ支配者。
あるいは歴史の教科書に登場する遠い昔の人物かもしれません。

しかしビザンツ人にとって皇帝は、単なる政治家でも、単なる権力者でもありませんでした。

それは、自分たちが何者であるかを示す存在でもあったのです。


皇帝は帝国の頂点にいた

言うまでもありませんが、皇帝は強大な権力を持っていました。

法律を制定する。
軍を動かす。
外交を行う。
官僚を任命する。

国家の重要な決定は最終的に皇帝の名によって行われました。

現代日本で言えば、首相と最高裁長官と防衛大臣を一人にまとめたような存在です。その意味では、まさに帝国の頂点でした。

しかしビザンツ人が皇帝を特別視した理由は、それだけではありません。


皇帝は神ではなかった

現代人は時々誤解します。

「皇帝とは神のような存在だったのではないか」と。

しかしビザンツ帝国はキリスト教国家でした。
皇帝がどれほど大きな権力を持っていても、その上には神がおられると考えられていました。

ハギア・ソフィアで祈り、悔い改めます。
罪を犯せば批判されます。
皇帝もまた神の前では一人の人間でした。

この点は、古代ローマ皇帝の一部が神格化された時代とは大きく異なります。


それでも皇帝は特別だった

では、なぜ人々は皇帝を重視したのでしょうか。

ビザンツ人にとって皇帝とは、単なる政治家ではなく、神によって帝国を託された統治者でした。

帝国を守る者。
秩序を維持する者。
正義を執行する者。

人々は皇帝個人を見ていたというより、
その背後にある帝国そのものを見ていたのかもしれません。


「ローマ帝国」を目に見える形にした存在

第一回の記事で触れたように、ビザンツ人は最後まで自らをローマ人と考えていました。

彼らにとって国家とは、単なる行政組織ではありません。数百年、数千年と受け継がれてきたローマ帝国そのものでした。
しかし帝国は目に見えません。理念や伝統だけでは実感しにくいものです。

そこで皇帝がいました。

皇帝は、ローマ帝国という巨大な共同体を目に見える形で体現する存在だったのです。人々が皇帝に敬意を払ったのは、単に権力を恐れたからではありません。
その姿の中に帝国そのものを見ていたからでした。


市民は皇帝を称賛し、時には批判した

もちろん、だからといって皇帝が絶対的に愛されていたわけではありません。

コンスタンティノープルの人々は非常に政治的でした。
税金への不満、物価の上昇、軍事的失敗。
そうした問題が起これば、皇帝への批判も高まります。

特にヒッポドローム(競馬場)は、市民の声が集まる場所でした。現代で言えば、スポーツ競技場と政治集会場を合わせたような場所です。

人々は歓声を送りました。しかし時には怒りもぶつけました。
有名な「ニカの乱」は、そうした市民の不満が爆発した出来事でした。

ニカの乱において皇帝を支えた皇后テオドラと将軍ベリサリウス(L. Kretzschmar, 1872)。逃亡を考えたユスティニアヌス帝に対し、テオドラは「紫衣は最上の死装束である」と語り、徹底抗戦を促したと伝えられる。出典:Wikimedia Commons(Public Domain)

ニカの乱(Nika Riots):
532年1月にコンスタンティノープルで起きた大規模な民衆蜂起。戦車競走の二大応援派閥「ヴェネトイ(青党)」と「プラシノイ(緑党)」が、暴徒の処刑への不満をきっかけに手を結び、「ニカ(勝利せよ)」を合言葉に蜂起。市街の大部分を焼き払い、別の皇帝擁立まで企てた。逃亡を考えた皇帝を皇后テオドラが説得して踏みとどまらせ、将軍ベリサリウスが競技場に集まった暴徒を包囲・鎮圧。約3万人が虐殺されたとも伝わる。乱後、皇帝の権力はかえって強化され、焼失した建物の再建が進み、現在のハギアソフィアもこのときに建設された。

つまりビザンツ人は、皇帝を神のように崇拝していたのではありません。
期待していたからこそ批判したのです。


良い皇帝と悪い皇帝

ビザンツ史には有能な皇帝もいれば、失敗した皇帝もいます。

例えば6世紀のユスティニアヌス帝は、ローマ法大全を編纂し、ハギア・ソフィアを建設したことで知られています。現代でもビザンツ史を代表する名君として語られる人物です。

一方で、11世紀のロマノス4世はセルジューク朝との戦いで大敗し、帝国を危機に陥れました。また、皇帝の中には宮廷陰謀に明け暮れたり、財政を浪費したりした人物も少なくありませんでした。

つまり、皇帝たちは決して皆が優秀だったわけではないのです。

しかし興味深いのは、人々が個々の皇帝以上に「皇帝という制度」そのものを重視していたことです。

皇帝が交代しても帝国は続きます。
一人の人間が去っても、ローマ帝国は残ります。

そのため人々は、皇帝個人への忠誠だけでなく、皇帝が代表する帝国への忠誠も持っていたのです。


現代との違い

現代社会では国家と個人の距離は比較的遠くなっています。

首相や大統領が変わっても、多くの人の日常生活はそのまま続きます。王室や皇室に親しみを感じる人はいても、自分の生活そのものと直結していると感じる人は多くないでしょう。

しかしビザンツ人にとって皇帝は、もう少し大きな意味を持っていました。皇帝を見ることは、単に一人の政治家を見ることではありません。

帝国を見ること、ローマを見ること、そして、自分たちが属する世界そのものを見ることでした。

皇帝が宮殿から現れれば、人々はそこに帝国の秩序を見ました。凱旋行列が行われれば、自分たちの共同体の力を見ました。競技場で皇帝が観衆に応えれば、自分たちと帝国が結びついていることを感じました。

もちろん全員が皇帝を愛していたわけではありません。不満もあり、批判もありました。時には暴動さえ起こりました。

それでも人々は、皇帝の存在そのものを無視することはできませんでした。なぜなら皇帝は、国家そのものを象徴する存在だったからです。

私たちが国旗や国歌に対して感じる感覚を、もっと人格的な形で体現した存在――それがビザンツ人にとっての皇帝だったのかもしれません。


おわりに

現代の私たちは、「国家は制度であり、人はその一部だ」と考えます。
しかしビザンツ人は少し違いました。彼らは国家を、一人の皇帝の姿を通して見ていました。

だから皇帝が街に現れることには意味がありました。人々は皇帝を愛し、称賛し、時には激しく批判しました。

それは遠い政治への関心ではありません。
自分たちが属する世界そのものへの関心だったのです。

千年前のコンスタンティノープルで、人々が皇帝を見上げていた時、彼らは私たちとはまったく違う形で「国家」を見ていたのかもしれません。


冒頭図版出典:ハギア・ソフィア「皇帝の門のモザイク」(9世紀末~10世紀初頭)。キリストの前にひれ伏す皇帝レオン6世を描く。ビザンツ世界において皇帝がキリストの権威の下にあることを象徴する代表的なモザイク。撮影:Osama Shukir Muhammed Amin FRCP(Glasg)/Wikimedia Commons(CC BY-SA 4.0)


▼シリーズ:ビザンツ文明に学ぶ生き方
第1部「コンスタンティノープルで暮らす」
#1:なぜビザンツ帝国は千年続いたのか― 千年帝国の人々が大切にしていたもの ―
#2:世界最大の都市に住むということ― コンスタンティノープルはどんな街だったのか ―
#3:ビザンツ人の家はどんな家だったのか― 千年前の「普通の暮らし」をのぞいてみる ―
#4:市場では何が売られていたのか― 千年前のコンスタンティノープルを歩く ―
#5:皇帝とは何者だったのか― ビザンツ人が見た「地上の秩序」―(本記事)
※以上で第1部は終了です。


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