【小説】まっさら
「お疲れ様、これでも食べて」
俺はスーパーで大量に買い込んだ菓子をローテーブルの上にぶちまける。ピザポテト、じゃがりこ、スコーン、チョコパイ、ルマンド、プリッツ、コアラのマーチ、ピュレグミ、などなど。色とりどりのパッケージが洪水みたいにテーブルの上を流れて、ピュレグミがそれに抗えず下に落ちた。さすがにこれだけあれば十分だろう。健康もほんの少しだけ意識して、飲み物は爽健美茶とウーロン茶を買ってきた。
「こんなに食えねえよ」
買いすぎだろ、と正志は笑う。
「余ったのは持って帰って。お礼込み」
「もっと他でお礼してくれ」
言いながら正志はテーブル脇にしゃがみこんで、菓子を物色しだした。
こんなにあるとなんか駄菓子屋行った頃思い出すなあ、なんて言う正志の後では、黒い鉄骨がしっかり綺麗に完成している。
正志は俺の買ったベッド――シングルベッドのくせに二人で組み立てろなんて言っている無茶なやつ――の組み立てに呼び出されて、だけど俺は説明書だとか組み立てガイドみたいのを読まないタイプだったから、適当にやろうとして正志に「お前はいい」と押しのけられた。
結局、正志が一人でほとんど全部を組み立てて、じゃあ二人で組み立ててくださいって指示はなんだったんだって感じだけど、それでも正志は不満一つ言わず、黙々とずっと作業をしていた。
貴重な土曜日をこんなことに浪費させてしまうとは。
さすがにいたたまれなくなって、俺は途中で部屋を抜け出してスーパーに行って菓子を買い出してきたのだ。
「あ、これ好きなやつ」
正志は紫色のパッケージを手に取った。『ルマンド』。
なんとなく変わり種を入れたくて手に取った、と言う俺に、
「なんだ、前に好きだって言ったから買ってきてくれたのかと思った」
言いながら正志が袋をガサツに開けると、個包装の棒状の菓子が袋からこぼれた。
俺はとりあえずマットレスをベッドに乗せて(さすがにそれくらいは自分でしないと申し訳ない)、そこに座って正志に「こっち」と言う。
正志は右手に拾ったルマンドを掴んだまま、
「いいけどこれめっちゃこぼれるやつだぞ」
と言う。
「気をつけて食えよ、こぼしたら殺すから」
「なんだこいつ」
作ってもらって偉そうに、と言いながら、正志は隣に座った。
「ほい」
言いながら、それを一本俺に手渡してくる。俺は受け取って、それをまじまじ見つめた。
俺はこれを食べたことがない。だけど正志が好きだと言っていたのは、実はちゃんと覚えていた。見慣れないパッケージを見ている俺に、正志が個包装を開けながら言う。
「『世界』って意味」
「何が?」
「ルマンドが。公式サイトに書いてあった」
「へえ」
世界か。
正志は狭い袋から慣れた手つきでそれを取り出し、口に含みながら話した。
「世界を食ってるんだと思うと、なんかすごいよな」
あっやべ、こぼれた殺される、と言いながら手を伸ばしてティッシュを取る正志の後ろで、窓の外に雪がちらついていた。
「降ってきた。だいぶ冷えてたもんね」
正志は振り返る。「ほんとだ、初雪?」
立ち上がって窓際に向かった正志の背中を見ながらルマンドを食べる。正志は背中が大きい。それを見ながら食べる初めての食感は、あまりにやわらかくて世界というよりも雪を食べているみたいだった。初雪を踏んだときの、足の裏に伝わる感触、まだ誰も踏んでいない綺麗な雪に、最初に足を伸ばしたとき――広がる綺麗な平面に、自分の足跡が刻まれるとき、みたいだった。
「つもるかなあ」
正志が呟く。窓の雪の勢いは弱くて、きっとつもらないだろうと思う。
外を見ている正志の背中に言った。
「なんか、ごめんな」
正志は振り返って不思議そうな顔をした。なんで謝んの? って顔だ。
「……いや、これ」
そう言ってベッドを指差す。貴重な休みにさ、とは、言葉にできなかった。
「ああ、そういうこと? 別に、こんなん気にしなくていいよ。久しぶりに会えたしさ」
正志はベッドに戻ってきてまた俺の隣に座った。別に難しくなかったし、と俺に笑いかける正志は、本当に人たらしだと思う。正志は体つきは大きいが、少し垂れ目でにこにこ笑うから、威圧感は全然ない。おっきい犬みたいだとよく言われていて、その通り悪気なく人に尻尾を振って見せるから、いろんな人に気に入られていた。
だから正志が俺の中の真っ白い雪を踏んで、その足跡をぺたぺたつけたとき、それは本当に犬がただ駆け回るみたいに無邪気だったんだろう。俺が雪を踏むときみたいな緊張はなかったに違いない。
「それにしてもこんな時期に東京に来るなんてな」
「俺が一番びっくりしてるよ」
入社してまだ半年と少ししか経っていない。地元のさほど大きくない企業に就職したのだけれど、その会社がその前後で大きく業務分野を広げて、東京にもまだ小さいけれど支部を作ることになった。そのメンバーの一員として僕がなぜか選ばれてしまったのだ。
「英語が得意だからかな」
「そんだけじゃないんじゃないのかね」
正志は言いながら後ろに倒れ、上半身だけ斜めに寝転がって天井を見上げている。
「まー会社の考えることはよくわかんないよな」
呟くようにそう言った。正志は大学進学のときに上京、そのままこちらで就職した。
辞令が出て俺がすぐ正志に連絡をしたのは、一人で東京に投げ込まれるのが不安で色々教えてもらいたかったからだった。それだけだ。そういうことだと思うことにしていた。正志に久しぶりに会える、その堂々とした口実ができて嬉しかったなんて思ってない。
一本食べたルマンドが意外に美味しくて、そのまま何本も手を伸ばす。袋から出すだけで割れてこぼれてしまうくらいに繊細で、なんとなく親近感さえ覚えながらそれを食べた。
四本ほど食べて、すっかり静かになった正志を見ると、そのままベッドで眠ってしまっていた。多分疲れてしまったのだろう。今日は特に予定もないと言っていたので、そのまま少し寝てもらうことにした。買ってきたお菓子をもう一度ビニール袋に集め、音を立てないように気をつけてまだ終わっていない荷解きを進めた。ずいぶんぐっすり眠っているのか、正志は起きる気配もない。俺はベッドに近寄って、しゃがみこんで正志の顔を覗き込んだ。
目の前に、正志の寝顔。無防備に目を閉じて、少し開けた口。意外と長いまつ毛。俺はそれを真正面で鑑賞した。
シングルベッドは狭かったから、正志と反対側に体を向けて上半身だけベッドに乗せた。反対を向いて、背中も離れていたけれど、まるですぐ隣で寝ている気分だった。
正志の隣で眠ってみたい、とずっと思っていた。高校の修学旅行でさえそれができず、もう叶うわけがないと思っていた夢だった。シングルベッドで、狭苦しく上半身だけを預けているから顔だって満足に見れないけど、それでもこのシングルベッドを買って良かったと思う。慌てて買った安いシングルベッド、組み立てが二人でないとできないとうそぶくこのシングルベッド、正志が組み立ててくれたこのシングルベッドは、きっと俺の宝物になるだろう。このベッドで毎日眠って、俺はこの東京を生き抜くんだ、なんて、本当にバカみたいなことを思った。
* * *
朝だった。
起きた瞬間に、自分が何をしでかしたのか理解して飛び起きる。当たり前に隣に正志はいなくて、部屋を確認して、ベッドにも、ダイニングにも、そしてトイレにもその気配はなかった。靴もなかった。
動転していた俺はそれを確認してようやく落ち着いて、寂しいと思うよりも安心した気持ちだった。正志はどこかで起きて家に帰ったのだろう。ちゃんとお礼も別れも言わなかったということに凹んで気分が沈んだ。それから、部屋の隅にお菓子が大量に入ったビニール袋がそのままなのを確認してもっと凹んだ。書き置きでもあるかと思ったけれどそれもなく、スマホにメッセージも来ていなかった。
ため息が漏れた。新品のベッドとマットレスはやたらに寝心地がよくて、変な姿勢で眠っていたのに体がしゃっきり目覚めているのが余計に悲しかった。
まあ、仕方ないだろう。正志がこんなことで怒るタイプの人間ではないことを知っているので、そのうちにまた連絡を取ろうと思った。
それでもまだ少し気持ちがそわそわしていたから、落ち着くためにコーヒーでも飲もうと思って湯を沸かして準備をした。湯が沸騰し出した頃に、玄関の扉が勢いよく開いた。何事かと思うと、正志がコンビニの袋を下げてそこから入ってきた。うーさむっ、と体を震わせて、俺を見て言った。
「すごい、めっちゃつもってるよ」
子供のように目を輝かせている。何のことかと思って理解が及ばないでいると、
「雪だよ、雪」
――ほら、外!
そう言って外を指差した。カーテンを開けて外を見ると、一面に雪がつもっている。
「こんなにつもること滅多にない」
正志が言う。その口ぶりは、こいつがもう東京の人間なんだなと思わせるには十分で、自分もあと数年したら、こういう風に東京のことを話すのだろうかと思った。だけどその直後、
「近くの公園。朝だからまだ誰も来てなくて。めっちゃ雪つもってたから、足跡つけまくってきた」
正志がそんな風に楽しそうに話して、俺はそれが嬉しかった。
にやけそうになったのを「ガキじゃねーんだから」と言って誤魔化した。
「帰ったんだと思ってた」、と付け足す。
「いや、なんか爆睡して。起きたら終電過ぎてたから、そのまままた寝ちゃった」
ごめんな、おろしたてのベットでさ。
その言葉に、組み立てたのお前だろ、と言い返す。
「つかベッドにおろしたても何もないだろ」
と言うと、確かに、と正志は頷いた。そして持っていたビニール袋をかかげ、
「朝飯もなんもなさそうだったからコンビニで適当に買ってきた。食お」
そう言ってローテーブルの脇に座って、袋から買ったものを取り出した。
サラダ、おにぎり、ホットスナックがいくつか、野菜ジュース、とりあえず健康に気を使っているふりだけしているみたいなラインナップが微笑ましかった。
結局食べ終わってからもだらだらと過ごして、しょうもない話をして(正志の仕事の愚痴だとか、最近ハマっているカメラについてだとか、バズっていたショート動画のあれを見たとかこれを見てないとか)、昼前にさすがに帰ろうという流れになる。
「荷解きもあるだろうし、あんま居座るのも悪いから」
別にいいのにと言おうかと思って、それも違うと思ってやめた、でもまだちょっと名残惜しくて言う。
「駅まで送る」
「え、いいよ」
「俺も道に慣れておきたいし」
雪で滑るかもしれないし。
危ないし。
言うと、正志はじゃあ一緒に行こうと応じた。
外に出ると、雪はもう止んでいるようだったが、歩行者が多くて踏み固められた雪が本当に危ない感じだった。
「帰るとき気をつけろよ」
駅まで辿り着いて、改札を入る前に正志に釘を刺された。
「転んで出勤できなくなったらやばいから」
「はいはい」
「じゃ、また来るわ。今度は棚でも組み立てるか」
冗談めかして言って、正志は改札をくぐって階段を登って行った。手には、菓子が山ほど入った袋を持って。
その背中を見送って、ああいうことをてらいなく言えるのは本当に天性のものだなと感心し、俺はまだ慣れない自宅への道を戻る。途中、正志が朝食を買っただろうコンビニに通りかかり、そうだと思いついて道を逸れた。
公園だ。
そこには誰もいなくて、ベンチや遊具にも雪がつもっている。そして、その地面に、大きめの足跡が連なって刻まれている。正志の足跡だ。俺はその足跡に足を重ねるように歩いて、正志の歩幅の広さに感動しながら進んでいく。正志は途中で飽きたのか、 Uターンするように戻っていた。俺は、そのまままっすぐ――まだ誰も足跡をつけていない場所を歩き出す。
まだ踏まれていないその場所に、俺の歩幅の足跡がさくさくと音を立てながら刻まれて、雨用の靴でもないその靴の中に、じんわりと溶けた雪が染み込んで俺の指先を冷やしていく。
それでも俺は、まっすぐ前に歩いていく。
