ドロップ! ~ひったくったのは殺人の証拠物品でした~ 【1】
【1.里見孝太郎】
掃き溜めに鶴。第一印象はまさしくそれだった。
「……なんだ、客か? 騒々しいな」
古ぼけたビルの一室に誰か立っている。窓際で逆光に照らされたその人物が、ゆっくりと振り返った。眼鏡の縁を反射させて、その奥で長い睫毛が日に透けている。たったそれだけの光景に、妙に心が奪われた。
「あ……えと……その、俺」
「ご依頼なら、そちらの椅子にどうぞ」
「あっ、ウス……失礼します」
バッグを抱きかかえながら、指し示されたソファに腰を下ろす。慌てたせいか、革張りのソファからギギギッと過剰に軋む音が聞こえてきた。
「僕がこの事務所の所長、里見孝太郎(さとみこうたろう)だ」
テーブルを挟んだ向かいで、里見と名乗った男が音を立てずに足を組む。目に眩しい真っ白なシャツにはもちろん、細身のスラックスから覗く靴下に至るまで皺一つない。ビルの外観がみすぼらしかっただけに、彼は良い意味でこの場所と不釣り合いだった。
「お名前と、ご用件は? できれば身分証の提示もお願いします」
「あのっ……俺は都倉圭介っていいます。実は……」
財布からゴールドの運転免許証を出しながら、都倉は胸に抱いていたバッグをおそるおそるテーブルに置いた。ごくりと唾を飲み込み、意を決してチャックを引く。中身を覗いた里見の目が大きく見開かれた。
「っこれは……!」
『──続いて臨時ニュースです』
緊張感を煽る効果音と共に、点けっぱなしになっていた事務所のテレビからアナウンサーの声が聞こえてきた。
『日本でも有数の財閥である東京都○✕区の月宮邸で、女性が腹部から血を流して倒れていると一一〇番通報がありました。女性の身元は月宮財閥の一人娘である月宮薫子(つきみやかおるこ)さん、二十歳。先程搬送された病院で、死亡が確認されました』
「……月宮邸といえば、この近くだな」
里見が画面を睨みつける。映し出された中継映像に、都倉は釘付けになった。豪華な邸宅には見覚えがある。
「……そうだ。俺はこの家から何かを大事そうに持ち出す奴を見て、それで金目のもんだと思って……」
都倉の呟きは聞こえなかったのか、里見は呆れたように腕を組んだ。
「まさかと思うが……きみ、いくらなんでも殺人の隠匿は商売外だ」
「ちち、違えって! 俺はただ……!」
画面の向こうではアナウンサーが報道を続けている。次に入ってきた情報に、都倉は思わず耳を疑った。
『手には護身用のナイフが握られており、現場に争った形跡はなく、さらに密室だったことからどうやら自殺を計ったとみられ、警察も同様の方向で捜査を進めており──』
「……自殺!? そんなわけねえだろ、だって……!」
「そうだな。殺人の証拠ならここにある。きみ、自首するのなら早いほうがいい」
「だーっから違えって! 俺じゃねえの!」
「どう違うと言うんだ。……きちんと説明しろ」
ため息をつきながらも、里見は話を聞こうとしてくれているようだった。
「……あんた、俺の話、信じてくれんの?」
「それはきみ次第だな」
「──つまり、金に困って手軽な犯罪に手を染めた結果、ひったくったのは殺人の証拠物品だった、と。そうだな?」
「うう……ハイ。間違いありません」
「そして今報道されている内容は、彼女を殺した犯人が自殺を演出するために仕立て上げたフェイクだと。さらにこのことに気づいているのは、偶然バッグをひったくったきみだけ。まったく、厄介な案件を持ち込んでくれたな」
都倉は力なくうなだれた。話を一通り整理した里見が、こめかみに手を当てながら深く息を吐く。
「……警察にすぐ行かなかったのは?」
「俺の言うことなんか、誰も信じてくれないと思って……」
「まあ、そうだろうな。ひったくり犯のきみは、きっと今頃めでたく第一容疑者だ」
里見の言葉は容赦なかった。都倉が髪をかきむしる。
「ああしてもこうしても駄目。こんなん俺、どうすりゃいいんだよ!?」
「それじゃあ依頼内容は、きみの容疑を晴らすことか?」
「そっ……そんなのできんの?」
「やれるだけのことはやってみよう。こんな辺鄙な探偵事務所に駆け込んできた、変わった依頼人の頼みだ」
「マジで!? 変わってるのはどっちだよ……ですか」
都倉は改めて里見をまじまじと見た。背格好は自分より少し小さいくらいだろうか。やや可愛らしい顔立ちのせいか年下にも見えるが、しっかりしているし頼もしく感じるのは年上のそれだ。何より偉そうだというのもある。
「それで、依頼料なんだが」
「えっ!? あ、そうか……」
「今回は何やら危ない橋を渡りそうだしな。これ以上は譲れない」
そう言って電卓を手に取った里見が提示した金額に、都倉はがっくりと首を垂れた。
「……とてもじゃねえが、払えねえっす。ていうか、金なくてひったくりするぐらいだし」
「それもそうだな」
ふむ、と里見が顎に手を当てる。その目がふと都倉を捉えて、キラリと光ったような気がした。
「……きみ、腕っぷしに自信は?」
「え? 学生の頃はヤンチャしてたから、多少はあるけど……」
「じゃあ、こうしよう」
悪だくみを思いついたように、里見はどこか意地悪く笑いながら足を組み直す。
「きみの容疑を晴らす方法はいくつかあるが、やはり真犯人を見つけるのが一番手っ取り早いだろう。そこで……」
不敵に笑った里見が都倉を見上げた。
「きみには僕の用心棒をしてもらいたい」
「え……えっ!?」
「僕は真犯人を見つける。事件が白日のもとに晒されるまで、きみは僕を守ってくれ。それで依頼料は特別にチャラだ。どうだ、乗るか?」
都倉の目の前に右手が差し出される。不安はあれど、最早自分に断る選択肢は残されていない。都倉はその手を迷いなく掴んだ。
「よっ……よろしくお願いします!」
「決まりだな」
里見が都倉の手を握り返して微笑む。美術品の絵画を思わせるような、どことなく品性の香り立つ笑顔に思わず見惚れた。
「ウ、ウス。里見……さん」
「里見でいい。どうやら同い年みたいだからな」
「えっ」
都倉から預かった免許証をしげしげと眺めて、里見は先程と打って変わってニヤリといたずらっぽい笑みを浮かべた。
「よろしく、相棒」
「よ、よろしく……」
もしかして、とんでもない約束を交わしてしまったのかもしれない。それでも出会ったが最後、もうこの里見孝太郎という男から目を離せないでいた。
